第29話 苦肉の策

 その後、上体起こし、長座体前屈、反復横とび、20mシャトルラン、50m走、立ち幅とびをこなし、体力テストは無事終了した。


 ボール投げこそ危うかったけど、途中からはコツを掴んで実に平均的な記録を出すことに成功した。

 ガッツポーズでもしたい気分だったが、それは内心に留めておいた。別にいい記録が出たわけでもないのに、そんなに喜んでいたら不自然だ。


 しかし後ろを見れば、悔しそうに唇を噛んでいる天塚の姿がある。そんな嗜虐心をそそられる顔を見せられれば、どうしても黙ってはいられない。


「どうしたのぉ? そんな怖い顔しちゃってさ。私のことずっと見てたみたいだけど何か気になることでもあったぁ?」


 赤牙は僅かに挑発的な声音を滲ませながら、天塚に声をかける。


「ほとんど確定してるのに……! あとは提出できる証拠さえあれば……!」


 天使にとって、吸血鬼は倒すべき宿敵である。それが目の前にいるというのに手が出せないもどかしさは相当なものだろう。

 可愛い顔がくしゃくしゃに歪むのも気にせず顔をしかめているところからも、彼女の余裕の無さが伝わってくる。


「あなた、本当に認めるつもりはないの?」

「何の話? 私は後ろめたいことなんて何もない清廉潔白なだよ」

「……もうややこしい腹の探り合いは止めにしましょう。赤牙茜、私はあなたが吸血鬼であると確信しているわ」


 体力テストが終わった直後で、周りにはまだ人がいる。にも関わらず、天塚は直接的な単語を用いて詰めてくる。


「あんまり変なこと言ってると、誰も寄りつかなくなるよ?」

「元より仲良しごっこをするつもりなんかないわ。私の使命は吸血鬼を始末すること。ただそれだけなんだから」

「初対面の男の子にベロチューしといてそんなクールぶっても駄目だよ」

「だ、だからそれは……! ああ、もう! 面倒ね!」


 天塚は自分の煌びやかな髪を手で乱雑に掴み、頭を掻く。


「このままでは済ませないわよ! あなたみたいな危険因子! 絶対に放置するわけにはいかないわ!」

「なんだよ、そんなに叫んじゃって。君、思い込みが激しいタイプでしょ? もうちょっと冷静になった方がいいと思うけどなぁ」

「私は冷静よ。冷静でないのはあなたの方じゃない? わざわざ私を挑発して、あなたに何も得なんかないでしょうに」


 そう言われると返す言葉がない。この窮地を作り出したのは自分自身だ。しかし同じ学校に転校して来てしまった以上、いつかはこうなる運命だった。


「冷静じゃいられないに決まってるじゃん。そっちは人の彼氏に手を出したんだからさ。それより、そろそろ謝罪があってもいいんじゃない? こっちはブチギレそうになるのを堪えてあげてるんだけど?」


 想像以上に天塚は確信を得ている。このままでは決定的な証拠を掴むまでいつまでも粘着してきそうだ。

 こうなったら、少々リスクはあるが賭けに出るしかない。魅了チャームを仕掛けて記憶を改ざんするのが最善の策だ。


 人間を相手にするのとは訳が違う。天使を相手にどこまで通用するかは怪しいところだが、それ以外に方法はないだろう。上手くいけば上級天使を手駒にできると考えれば、充分乗るに値する賭けだ。


「私があなたに頭を下げる? 冗談もほどほどにしてほしいわね。そんなことするはずがないでしょう」

「なんで? 君ってちょっと性格悪すぎない?」

「どの口がそんなことを! あなたは彼を脅して、無理やり従わせているだけでしょう!」

「そんなことしてないって」

「嘘よ。私は信じないわ」

「そう言わずに、ほら私の目を見てよ。これが嘘吐きの目に見える?」


 赤牙はその目を赤く光らせ、天塚ににじり寄る。その瞳の怪しい輝きが天塚の瞳孔を埋め尽くす直前、天塚は唐突に赤牙の両腕を掴んだ。


「えっ」


 そして驚く暇もなく、天塚は噛みつくような勢いで顔を寄せ、自分の唇を思い切り赤牙に重ね合わせた。


「な、なにするんだ!」


 赤牙は慌てて後退り、距離を取る。それを見た天塚は、してやったりと笑みを浮かべる。


「払いのけたわね。私の手を」


 彼女の指摘を聞き、すぐ自分が犯してしまったミスに気が付く。


「天使である私の力は人間の比じゃないわ。それを力で払いのけた。これは間違いなくあなたが人間以外の何者かである証拠よ!」

「……くそっ」

「それに今の赤い瞳。吸血鬼の特徴だわ。ひょっとして私を支配しようとしたのかもしれないけど、舐めないでもらえる? そう簡単にやられるわけないじゃない」


 天塚は人差し指を突き出し、犯人を名指しする探偵のように高らかに叫ぶ。


「赤牙茜! やっぱりあなたは吸血鬼よ!」


 この瞬間、天使である彼女は確証を得た。彼女の持つ権限、能力の全てを行使して赤牙を討伐することが許されたのだ。

 それはつまり赤牙茜にとって、風見恵太のクラスメイトとして過ごす生活が終幕を迎えたことを示していた。

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