第7話 夜空の吸血鬼

「────もう夜も遅いし、送っていってあげようか」


 食事が済み、ある程度体力が回復して動けるようになったところで、そろそろ帰宅しようと腰を上げると、赤牙がそんなことを言ってきた。


「は? いや、別にいいよ」


 ここから家までは歩いて一時間ほど。そこそこの距離があるが、高校生にもなれば余裕で活動範囲内だろう。


「遠慮することないって。夜は何が起こるかわからないよ?」

「それはそうだけど……」


 俺はお前といる方が怖いんだが。果たしてそれは正直に言っていいものなのかどうか。

 こいつはあれだけ俺に脅しをかけておきながら、自分が恐れられているとは微塵も思っていない節がある。

 惚れさせようとしてやってくることも的外れだし、どうしようもなく感性が人外なのだ。


「吸血鬼とか出るかもしれないよ?」

「お前以外の吸血鬼がそんなにいるものなのか?」

「よほど遭遇することはないけどね。私の縄張りに踏み込んでくるおバカな吸血鬼がそうそういるとも思えないし」


 赤牙は吸血鬼の中でも群を抜いて強いらしい。しかしそれは、他の吸血鬼が弱いということにはならないだろう。こんな化け物が他にもいると考えると、世の中の平和とは実に薄っぺらいものだという気がしてくる。


「わかった……じゃあお言葉に甘えて」

「ほい来た!」


 彼女は浮かれたように小躍りし、俺の手を取って外に出た。


 日はすっかり暮れていて、空は完全に真っ暗だ。帰宅部で、習い事もしていない俺がこんな時間に出歩くことなど滅多にないので、やや新鮮な気分になる。


「それじゃ行くよ!」


 赤牙の細い腕が、背後から俺の腰を掴む。


「え?」


 直後、俺の視界は急激に上へと引っ張られた。


「うわあああああああああああああああああああああああっ⁉」


 風を切って急上昇し、重力を振り切って夜空に飛び上がった。眼下には見慣れた街の景色が見慣れぬ角度で広がっている。


「ちょ……な……なんだこれ⁉」

「ほら、暴れない暴れない。落っことしちゃうでしょ」


 背後には、翼を広げて夜空を舞う赤牙の姿がある。言うまでもなく、そのシルエットは人間のそれとは遠くかけ離れていた。


「飛んで行った方が早いでしょ。家はどっち?」

「いいのかよ! こんな目立つことして!」

「バレないでしょ。派手な服着てるわけでもないし、もう暗いんだから。これが人間の多い都会ならともかく、ここらはそうでもないしね」


 この街の夜景はさほど輝かしくない。灯る明かりはまばらで、人口の少なさをそのまま表している。

 高い建物などどこにもないし、ふと立ち止まって夜空を見上げる人も少ないだろう。ましてや夜に溶け込む吸血鬼と、冬服を着た高校生を、星空の背景から見つけ出すのは困難なはずだ。


「それにしたって大胆だな……」

「普段はこんなことしないけどね。もう最悪バレてもいいかな~って。君という最高のパートナーを見つけたからね」


 それはつまり、自分の進化に必要な血を持つ人間を見つけたので、他の人間に価値はないということか。

 万が一の場合は、俺以外の人間が一人残らず滅亡したとしても問題ないとか考えてるみたいだし、やっぱりこいつは敵に回さないようにしないと。


「……マジで絶対放すなよ?」

「放さないって。君が死んで一番困るのは私だよ?」


 高いところが苦手だと感じたことはない。ただ、それはの話だ。

 俺を支えているのは赤牙の腕二本のみで、両手両足は宙ぶらりんになっている。掴む場所も踏ん張る場所もなく、彼女が気紛れを起こせばその瞬間に、俺は地上へと真っ逆さまだ。


 この状況で恐怖を感じない人間がいるとするなら、それこそ異常だと思う。そういう意味では、俺はすこぶる正常な人間だったみたいだ。さっきから心臓がとんでもない速度で鼓動している。


「────しまったなぁ」


 しばらく飛んでいると、不意にポツリと赤牙が言った。


「え? 何? 何がしまったの? ヤバい? ヤバいやつ?」

「まあまあ落ち着いて。ちょっと面倒臭いなぁと思っただけ」

「何が? ねえ何が⁉ トラブル? 羽根に穴が空いたとか⁉ お前はこの高さから落ちても無傷なんだろうけど、俺は木っ端みじんだぞ⁉ その辺わかってるのか⁉」


 こいつの場合、感性が人間とズレすぎていて、耐久力を見誤っているなんてこともあるかもしれない。

 空中で急に放り出されて「この高さから落ちた程度で死ぬとは思わなかった」とか言われたら洒落にならないぞ。


「大丈夫大丈夫。人間がどの程度の力をかけると壊れるのか。そんなことは君よりよく知っているよ。でなければ、今頃君は私の腕の中で潰れてる」

「……お前ってそんな怪力なの?」

「当然でしょ。君の背骨くらい小指の力だけでへし折れるよ」


 となると、俺を支えているこの腕も、安全装置というよりは首元に突き付けられたナイフのようなものか。掴まれても放されても死ぬ二段構えだな。くそったれめ。


「……で、何があったんだよ。面倒臭いって」

「うーんと……ちょっと鬱陶しい奴に見つかった」

「見つかった?」

「部屋の中にゴキブリが出たようなものだと思ってくれればいいよ。仲間のゴキブリを集める前に、サッサと駆除しないとね」

「一体何の話を……」


 さらに問い詰めようとした時、恐らく赤牙が鬱陶しいと評した相手であろう存在を俺も認識できた。


 何やら光る球体のようなものが宙に浮かんでいる。その球体の周りには三角錐状の物質がいくつか浮かんでいて、不規則に周回している。


 見たこともないようなものだった。俺が知っているどの生物にも、どの機械にも似ていない。

 かといって宇宙人とか、吸血鬼ほど突拍子もないものという感じもせず、ただただ異質なものがそこにあるとしか言いようがなかった。


「なんだ……アレ……?」

「天使だよ」

「……天使? 天使って、あの天使?」


 頭の上に輪っかがあって、背中に白い羽が生えていて、弓を持っていることが多いあの天使か? その割には随分無機質というか、イメージと違い過ぎるのだが。


「天使にも色々いるんだよ。私もよく知らないけど、あの手の奴は放っておくと無限に増えていくからなんとかしないと」

「なんとかって……」

「殺すってこと。人型じゃないし、気にしないでしょ? 天使は吸血鬼を目の敵にしてるから、仲間呼ばれる前に対処しないと厄介なんだよね」


 もはや驚きもしない話だ。吸血鬼がいるのなら天使がいたっていいだろ。いちいちリアクションを取ってやる義理もない。


「……いや、ちょっと待て。今からあいつと戦うつもりか?」

「そういうことになるね」

「俺を抱えたまま⁉」

「ジッとしててね」


 赤牙はそう言うと、猛スピードで球体に突っ込んでいく。俺という文字通りのお荷物を抱えたまま、天使と吸血鬼の決戦が始まろうとしていた。

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