第34話 吸血鬼の本性
「────うわあぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ…………あ? あれ?」
目が覚めると、そこは保健室のベッドの上だった。
なんだか悪い夢を見ていたような気がする。全身を冷たい汗が伝っていて、少しだけ寒気もする。
「やっほ~目が覚めた?」
隣を見ると、赤牙が座っていた。
「ん? お前……あ、そうだ。天塚はどこ行った⁉」
「教室に戻ったよ」
「教室に戻ったって……お前の正体がバレたんじゃないのか? だって、なんか攻撃されてたみたいだし……」
段々思い出してきた。俺は赤牙が天塚にやられそうになっているのを見て、咄嗟に飛び出したんだ。
吸血鬼なんて放っておいてもどうせ自分でなんとかするだろうし、俺が赤牙を必死に守る理由なんてどこにもないのに……なんでわざわざそんなことをしてしまったんだか。
「彼女とは協定を結ぶことにしたよ。一時休戦ってとこかな」
「休戦? 天使と吸血鬼が? てっきりお前らはもっと絶対に相容れないような仲なのかと思ってたけど」
「そうだよ。絶対に相容れない。人間とゴキブリみたいなものだよ。君はゴキブリと仲良くできる?」
「……じゃあなんで休戦したんだよ」
「私は……彼女のせいで大事なことを思い出させられた。せっかく……あんなことまでして忘れていたのに。これじゃもう元には戻れない」
気のせいだろうか。俺が眠ってる間に赤牙の雰囲気が随分と変わった気がする。確かに赤牙茜本人であるはずなのだが、まるで別人のようだ。
「詳しい説明は省くけど、天使を撃退しなきゃいけない理由がなくなっちゃったんだよね。彼女に負けるならそれでもいいか……なんて思っちゃって。でも、それは嫌だと思う自分もいて……」
「なんだそれ。まるで意味がわからんぞ」
「とにかく、天使をブッ殺してやろうってモチベーションがなくなっちゃったの。そして向こうも、私を倒すことはできないと察して交渉に乗ってきたってわけ」
「そうか、まあ何にせよ、丸く収まったならよかった……」
ん? よかったのか? 俺は赤牙がやられてくれた方が得だったはず。なのに二人が休戦協定を結んだとなれば、また吸血鬼に血を吸われる毎日に逆戻りじゃないか。
「……なあ、お前、俺に何かしたか?」
「ひぇっ⁉」
赤牙は雨の日のカエルみたいな声を上げ、目を丸くする。
「な、なんで……?」
「何か忘れてる気がするんだよ。というか、とても大事なことをせっかく思い出したのに、またすぐ忘れてしまったような……」
「そ、そういう時ってよくあるよね。思い出したのはいいものの、言葉にする前に全部忘れちゃう……みたいな」
「そういうことなのかなぁ。絶対忘れちゃいけなかったことのような気がするんだけどなぁ……」
「忘れちゃったものは仕方ないよ。忘れちゃいけないけど、思い出さない方がいいことだってあると思うよ」
赤牙は俯きながらしんみりそう言った。
「……やっぱお前変だぞ。何かあっただろ」
「何もないよ。どちらかといえば、今の私が本来の私だから」
「本来?」
「人間は見栄を張ったり、嘘を吐いたり、自分や他の人を騙しながら生きていくでしょ? 私もそれと同じことをしてたの」
「ふぅん……お前は誰の目も気にせず、傍若無人に生きてると思ってたけどな」
「酷いなぁ。私だって色々悩んでるのに」
今までの彼女であれば、ここはあからさまに冗談めかして言うセリフだ。しかし今のは正真正銘、心の底からの本音に聞こえた。
「ねえ、私たち別れようか」
唐突に、彼女はそう口にした。
「元々付き合ってるなんて血を吸うための建前みたいなモンだと思ってたけど……」
「だから、それをやめようかって話」
「は? なんで急にそんな話になる?」
「だって、迷惑かなって……毎日血を吸われたら君も大変だろうし。やっぱり嫌がる人の血を無理やり吸うのは可哀そうというか……」
「なんだよ。急にしおらしくなりやがって。気持ち悪いぞ」
まるで別人のようだという表現は撤回すべきかもしれない。ここまでの変わりようではもはや完全に別人だ。
「天使といざこざがあって、考え直したってとこか?」
「まあ、そんなとこだよ。君との付き合い方を改める必要があるんじゃないかなってさ」
それは願ってもない話だ。これで俺は毎日迷惑吸血鬼に血を吸われることも、訳の分からない人外戦争に巻き込まれることもない。しかも平和的にトラブルを解決できるなんて、この上ないほどの僥倖じゃないか。
「……それで、お前はどうするんだ」
「え?」
「血を飲むのは趣味じゃないんだろ? お前が生きていくために、人間の血は必要不可欠なんじゃないのか?」
「それは……そうなんだけど……」
「お前に望んで血を差し出す奴が何人かいるんだっけ? そいつらに頼るのか?」
「まあ……それしかないかな……味の違いはあれど、生きていくだけなら誰の血でもいいわけだし」
「ちなみになんだけど、これは一応聞いておくだけなんだけど、それってどんな奴らなんだ?」
赤牙は俺の問いかけを聞いてしばらく固まり、不思議そうな顔をする。
「どんな奴って?」
「だから、そいつらは男なのか? 女なのか?」
「……お、女の子だけど?」
「全員?」
「う、うん、全員」
「ふぅん……」
特に意味の無い質問だ。どんな答えが返ってこようが構わない。「昨日の晩御飯何食べた?」と同じくらいどうでもいい質問なのだ。
「え、もしかして嫉妬し……」
「してない」
「いや、でも、今の質問は……」
「ただ好奇心でしただけだ。それ以上でもそれ以下でもない」
「……そっか」
寂しそうにそう呟く赤牙。その姿を見ていると、心がざわつく。このままでいいはずなのに、このままではいけないと心の奥底で何かが叫んでいる。
「あああああ! もう! やり辛いなぁ! 散々振り回されて嫌気が差してたけどさあ! そんなに大人しくされるとそれはそれで調子狂うんだよ! お前は最強の吸血鬼なんだろ⁉ だったらもっと堂々としていてくれよ!」
俺は大声を上げながら、赤牙を見下ろすような格好でベッドの上に立つ。
「俺の血じゃなきゃダメなんじゃなかったのかよ! 今さら誰でもいいとか言いやがってこのクソビッチが!」
「ビ……ビッチ……⁉」
「いいか? 俺はもうお前に血を吸われるのはウンザリだ! 天使との戦いに巻き込まれるのもな! だからお前が天使に負けてくれればそれが一番だと思ってた!」
「それは……薄々わかってたけど……」
「なのにお前は休戦協定なんか結ぶし! 目が覚めたら普通の可愛い女子みたいにしおらしくなってるし! こっちだってどうしていいかわからなくなるだろうが!」
「か、可愛い……?」
一通り言いたいことを怒鳴り散らした後、呆気に取られていた様子の赤牙も理解が追い付いたようで、俺と目線を合わせるようにベッドに上ってくる。
「私だって大変だったんだから! こっちがどれだけ苦労して衝動を抑えてるのか知らないくせに! 君のことだって……本当の気持ちを必死で隠して……君が来てくれて嬉しかったのに……君のためになると思ってまた記憶を消して……」
「何言ってるのかわかんねえよ! 俺にもわかるように言え!」
「私だって色々頑張ってるの! ワガママなんかじゃない! ちゃんと君に迷惑をかけないようにしてるの!」
「迷惑をかけないようにだあ? それでアレか⁉ どう考えてもおかしいだろ!」
「それはだから……違くて……! とにかく私も悩んで、君のことを一番に考えてるんだから! そんなに怒らなくてもいいじゃん!」
「なんか知らんがせっかくお前が弱ってるんだ。このタイミングで言いたい放題言わなくていつ言うんだ」
俺は深く息を吸い、そして吐いた。慣れない大声を出し続けたせいか少しばかり酸欠になった。
思えば、こんな風に言い争える相手なんか俺にはいなかったな。友人と呼べる相手は長いこといなかったし、昔からそれを気にしていた。
高校になってからはやっと友達らしき奴もできたが、それでも俺にとって人との繋がりはずっと憧れの的だったんだ。
例えその相手が吸血鬼であり、血を吸われるだけの関係だったとしても、名残惜しいと思ってしまうくらいには。
「こうやってたまに喧嘩するくらいの対等な関係でなら、これから先も血を吸わせてもいい。吸血鬼がどうとか、人間がどうとか、そういうのは無しだ」
言いたいことを言い切って、冷えた頭で答えを出した。我ながら馬鹿げているとは思うが、これが俺の素直な気持ちだ。
「対等……私と……君が……?」
「なんだよ。人間にデカい顔されるのは嫌か?」
「嫌じゃない! 嫌じゃないけど……いいの? 私とこれからも付き合ってくれるってこと?」
「つ、付き合う……いや、まあ……形式上は……そうだな。うん。その方が何かと都合がいいだろうし」
「そっか」
赤牙は満面の笑みで抱き着いてきて、そのまま俺をベッドに押し倒した。
「おわっ⁉」
そして首筋に噛みつき、いつも通り血を吸う。しかし今回はほんの数秒だけ吸った程度で離れ、唇の端から零れた血を指で拭って舐めた。
「今までで一番美味しい」
そう言って笑う赤牙を見て思い出す。
彼女がどれだけ可愛かろうが、どれだけ大人しくなろうが、人類を滅ぼせるほどの吸血鬼であることに変わりはない。もし彼女に惚れてしまえば、人類は彼女に対抗する術を完全に失う。
俺はこれから先も、彼女に惚れるわけにはいかない。それこそが俺と彼女との関係を維持する唯一の繋がりなのだから。
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