第40話 結末
国司の職を得た事で、慌ただしい時間が過ぎた。
まず第一に信頼できる人間の確保。任地では、その地を治める他、中央に敵対的な者達を屠る仕事が暗に与えられている。
その大仕事の右腕として、シキを頼った。
予想外のことに彼はこれを2つ返事で受けてくれた。
「国司様に仕えるとなれば、俺も貴族の端くれに仲間入りということでしょう。断る理由が無いですよ」
そう嘯きながら、指で頬を掻きながら照れくさそうに。
またシキという名前もこれを期に改名するらしい。
水原もシキ自身も知ることは無いが、シキとは様々な文字を当てる。
式神が良い例で、あれは使役、という言葉からも来ているが。
使鬼と書いて式神とも呼べる。
シキの場合は、鬼に仕えると意味を込めてシキ。
河原で彼を拾った武山の僧正も、中々に皮肉な名前を込めた訳だ。
名を改めたシキは、今後、綱、を名乗るらしい。
流民の一行達にも話を通すと、多くのものが手を貸してくれることになった。
荘園に赴く者、赴任地へ共をしてくれる者。
苦楽を共にした者達が、ひょっとしたら今生の別れになるかも知れないのだが、彼等は前向きだった。
曰く、都で生きるよりも余程展望があるということ。
新たな地に受け入れられるか。そんな不安も確かにあるが、根無し草の生活が一応の終わりをみせる。
全ての人を掬う事が出来たわけではないけれど、協力をしてくれた人に僅かでも報いる事ができたかも知れなかった。
また、これは後から知った話だが、シキは、流民の頭領になった中で、多くの人間から恨みを買う事になった。
そのほとぼりを冷ますために、地方に逃れ、名を変える必要もあったということだった。
淡々と、それでも騒がしく過ぎていった事の顛末を、そうしてタロウに報告する。
墓標も何もないから、ただ心の内でそう思うだけだけれども。
この結末を彼がどう思うだろうか。
そんな事を想う。
再び、屋敷の中に一人になる。
いずれは任地に向かい、今回以上の荒事に巻き込まれるのかも知れなかったが、今はまだ後片付けに励まなければならない。
家を留守にする間の、家の管理。各貴族たちとの繋がりを維持し続ける必要もある。
仕事に邁進しすぎた結果、都での居場所を失う。
そんな轍はもう踏みたくない。
静かで、伽藍堂のようになった邸内に一人いる。
鬼を追う。
その一連の事件は、濃厚な時間だった。
一生を駆けて経験すべきことをこの瞬間全てに詰め込んだような、そんな時間だった。
だからだろうか、この伽藍のような邸内がひどく広く、ただっ広く見える。
そういえば菖蒲が、真っ先に屋敷中を片づけたのだったな、と。そんなことを一人、零す。
別に何かがあった訳では無い。
ただ、一人になった今、無性にその顔が浮かぶだけの事。
共闘関係、と割り切り、彼女のことを水原は何も知らないでいる。
知っているのはせいぜい、よく香を焚いていたことくらい。
そんなことを思い出してしまうと、無性に世帯無く落ち着かなくなる。
仕方なく、彼女が好きだった香を探し出し、火を灯す。
懐かしい香りを漂わせながら、そして、大の字に寝転がって天井を見詰める。
一連の事件が、ようやく一段落を見せた。
問題は山積みだけれど、ようやく少し荷を下ろすことが許される。
ふっと息を吐き、肩の力を抜いてみれば、想像以上の疲労感が襲ってくる。
満足感もあり、徒労感もあり。
自分の無知さと弱さと覚悟のなさとを、突きつけられる瞬間の連続だった。
それでも、無事に生き残り、結果だけは最良の目が出た。
伽羅の香が少し変わり、落ち着く香りが邸内に漂う。
苦い母との記憶を思い起こすものではなく、もっと柔らかくて眠気を誘うような、穏やかな匂い。
意識を手放しかけていた体が、誰かの気配を感じ取る。
黄昏れる水原の傍に、いつの間にか音もなく一人の女性の姿があった。
水原を、じっと眺めていた彼女と、視線が交わる。
「本当に気づかないのね。剣士の名折れなんじゃない?」
気まず気に、誤魔化すように、嘯いてみせる菖蒲。
それに参ったとばかりに、肩をすくめてみせる水原。
「いやいや、気配も殺す相手の動向を探るのは不可能だ」
それで、互いに笑みを見せ合う。
彼女が無事で居てくれ、姿を見せに来てくれたことに。
彼が無事で居てくれ、変わらず迎え入れてくれたことに。
邸内に2人。
何か交わすべき言葉が在るはずなのに。
水原は安堵が更に眠気を誘い、床に横になる。
菖蒲も水原の隣で横になる。その柔らかい空気が心地よくて。
そして、彼女が寝そべる彼の手を取る。
「……どうした?」
「しばらくこうしていてよ。大切な人を喪ってしまった辛さは、知っているでしょ」
言って、彼女の手が水原の指に分け入ってくる。
人の体温は温かい。
掌の向こうに居る生きている人の実感は、同時に自分が生きていることも明らかにする。
「……あぁ、そうだ菖蒲。お前には謝らないと」
襲う睡魔に抗いながら、水原が言葉を紡ぐ。
「お前が臨んでいた鬼の躯だが、運良く角は手に入れたんだが、完全にお前のことを失念していた。全て献上しちまったよ」
「…そう」
彼の言葉に、菖蒲が生返事を返す。
「怒らないのか?」
「怒ってるわよ。でも、鬼の素体はもう必要なくなってしまったの、間に合わなかったから。だから約束を忘れていたことにだけ、怒ってる」
「本当にすまない。俺に出来ることなら、何でも埋め合わせはする」
「あら、いいの? 陰陽師に何でも、なんて言って」
「……悪い。俺に出来そうな事で、頼む」
「ふふ、正直な人」
勇気を振り絞るように、菖蒲が水原の手を強く握る。
「それじゃあ、私をここに置いて」
縋るように、彼の手を強く握る。
「帰る、所がなくなってしまったの。お願いだから、私を貴方のそばに居させて」
顔を真赤に染めながら、切実な願いを伝える。
彼女の真剣な様とは対称に、彼は何でもないことのように答える。
「あぁ、わかった」
「え、いいの?」
「俺に出来ること、だからな。それに、今は猫の手も借りたいくらいだから。お前みたいな奴が居てくれるのは、本当に、たすかるよ」
「約束を、結んだからね」
「……あぁ」
人の肌は柔らかく、暖かくて。
そうして水原が静かに寝息を立て始め、穏やかな寝顔を浮かべている。
菖蒲がそれを愛おしく眺めた後、彼の傍らに体を寄せた。
陰陽師という存在は、目的のためならば手段を選ばない。
彼女の心には大きな穴が穿ったままでいる。杏奈という片割れを喪ってしまった苦しみは、生涯塞がることはない。
でも穴は少しずつ埋めることが出来る。
次に彼女が選んだ手段は、杏奈を産むという事。
幸い彼女は女で、女は子を孕むことが出来る。
今度こそ、この陽の当たる場所で、杏奈を温かい輪の中に連れ出すことを彼女は願っている。
そうして2人は寄り添いながら、しばしの穏やかな休息を過ごす。
刀が何時、何の目的で生まれのか。その歴史はまだ定かになっていない。
定説では、戦が増えた時代、馬上で容易に抜くことが出来る武器が必要となり、鞘から抜きやすい様湾曲した剣が登場したのが始まりとされる。
そして平安時代の末期から、明治維新が起こり西南戦争で武士が滅ぶまで、刀は武士と共にあった。
刀は武士の魂。
そんな言葉とともに、現代でも刀の歴史は紡がれ続けている。
戦争の道具として、美術品として、武士の生き様を如実に顕すものとして。
しかしそんな刀の黎明期は、鬼や妖怪を斬った歴史で彩られていることはあまり知られていない。
武士が、覇権を競う支配者となるよりも昔、単に武人を指す言葉であった頃。
刀は数多の鬼や妖怪、怪異を斬る呪具であった。
その最たる歴史が、酒呑童子の物語である。
酒呑童子の物語は、源頼光が鬼の頭領である酒呑童子を斬る物語。
その結末に向かい、この物語も進む。
武山とは何か、貴族たちが企てる謀略の真意は。様々な謎を残しながらも、二人の始まりを描き、この物語は一度幕を閉じる。
SYUTEN 酒呑童子の物語 第一部 完
SYUTEN 平安の都で鬼を斬る話 @nakasugi
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