第27話 鬼と陰陽師 / 十三夜の章
厳かな神事を見守っていた。
そんな心持ちが皆にある。おそらく、あの剣士にも。
しかしこれは捕り物である。
あの鬼を捕まえなければならない。
燐光が空に還り、鬼火も燃え尽きながら還光をあげ、本当に散ってしまった。
しばし何もなくなった空を見つめ、見届けたあと。徐ろに剣士は振り返る。
ここに姿を現した本来の目的を遂げるために。
凄惨なあの戦いで剣士は力を使い果たしている。
それでも彼女を取り囲むように居る陰陽師たちは立ち上がることはできない。
気圧されていた。
彼女が纏う白装束は、擦り切れ、爪痕に沿って破れ、所々に赤い血を残している。
今のあの剣士にならば、そう思うものの動けない。
それほどに先程の戦いは至高の時間であった。
術を生業にするものであれば、誰もが夢見る高みの光景であった。
同時に一目で至ることは叶わない存在であることも識る。だから、戸惑ったまま体を動かせないでいる。
悠然と歩いているようで、右足を引きずりながら剣士が行く。
彼女がまっすぐに向かう先にいる陰陽師の男は、ごくりと一つ生唾を呑む。
見事な戦いへの敬意と、その凶剣が自分に向けられるという、腹の底から竦むような恐怖とがある。
当世一を自負する彼にも、抗う術は幾らかある。
しかし目算では、8割方命を奪われて終わる。残りの1割が相打ちで、残りが鬼が万全を帰すために踵を返すかも、という淡い他力なもの。
つまりは命の覚悟をしなければならなかった。
ゆるりと鬼がその男に近づく。
片足を引きずり、息も荒い。満身創痍のその姿にも、勝ち筋を見つけられない。
一つ、また一つと近づいてくる。
次第に、供の者が後退しようと足をにじませる音がする。
もう一つ、近づくと。ある者が悲鳴を上げながら逃げ出してしまった。
それを合図に皆が逃げ出し始める。彼が真に心を許していた者すら、もう傍らにはいない。
逃げ出したいという思いを強く踏みしめることで打消し、呪符を取り出す。
先に襲いかかった陰陽師たちの術が、虫を払うが如く蹴散らされていたのを鮮明に覚えている。こんなもので何処まで出来るかわからないが、座して死を待つ訳にもいかない。
鬼が近づいてくる。
冷や汗が伝う。
手を伸ばせば届きそうなほどに、傍に鬼が在る。
血に汚れ、土に汚れ、纏う衣装もぼろぼろで。恐怖の代名詞のような存在。
しかし美しい娘であった。
傀儡と争っていた時の猛々しい紅い瞳はもうない。宵闇の穏やかな黒が湛えられ、月明かりにかすかに揺れている。
透き通るように白い肌に、唇だけが鮮やかな紅に彩られている。
いつかの、誰かの面影を幻視する程に、その姿は美しい。
鬼が目の前に居る。
その刀を高く振り上げて、正に今、眼の前の男を屠ろうとする。
見惚れるような鬼の姿に覚悟が決まり、陰陽師がそっとその目を伏せる。
されど人を斬る音は一向に響かない。
気配を殺し、この行く末を見守っていた者が一人居た。
彼が刀を振り上げた鬼の腕を掴んでいる。だから、剣戟は振るわれることは無かった。
鬼がその闖入者を振り払う。その隙に、彼は一度命を潰えたはずの男を捕まえて、大きく距離を空ける。
「き、君は!?」
助け出された男が、我に返った様子でそう問う。
しかし、額に大きな切創を残す男は名乗ることはしない。代わりに淡々と目的を紡ぐ。
「大江の蓮花、という少女を知っていますね。彼女の紹介で来ました。今、貴方に死なれる訳には行かないんです」
言って、鬼とその男の間に立つ。
後手で払うような仕草は、早く立ち去れ、という意味合いなのだろう。
「お、恩に着る!」
そう言い残し、陰陽師の男は他の陰陽師たちと同じ様にその場所をあとにした。
そして、彼と彼女だけが残る。
先日の、大江邸でのやり取りの焼き増しのような構図。
イブキと、白装束の剣士が再び対峙する。
もちろんかつてとは異なる。剣士は満身創痍の出で立ちで、頭に被っていた薄絹を無くし、その紅い双眸とその見事な角を露わにしている。
イブキも、瞳を隠していた前髪を失い、額に刀傷を残し、その紅い双眸で彼女を見つめている。
「邪魔をして悪かったな」
人気のなくなった、羅生門傍のその通りに、イブキの声が響く。
彼女は新たな強敵の登場に、刀を正眼に構え直し警戒をする。
その様子に、嘆息する。
「ここで決着を付けたいところだが、事情が変わってな。今はそんな暇がないんだ」
そう言って、イブキが懐から一葉の懐紙を取り出す。それを剣士に投げてよこした。
「必ず決着はつけよう」
逸る想いを噛み殺すように、イブキが剣士にそう告げる。
次の瞬間には彼の姿はもうそこにない。
静かなその辻に、一陣風が吹く。
本当に、誰もここには残っていないことを、彼女は確かめるように周囲を見渡す。
そしてその確認が取れた時、頑なに握られていた刀が彼女の手のひらから滑り落ち、乾いた音を辻に残した。
膝から崩れもする。人の居なくなったその通りに、彼女が座り込む。
ぼうっと、ただ夜の空だけを仰ぐ。
それから、徐ろに渡された手紙を紐解いた。
何が記載されていたのか、何を思ったのか。
彼女の様子からは何も読み取ることは叶わない。
ただ、羅生門の傍を横切り、沈んでいくような十三夜の月を彼女はじっと眺めていた。
命からがらに、屋敷に逃げ帰って。汗と穢れとを払うために、急遽湯浴みをし、そうして一息を付く。
まだ動悸が収まらない。
辛うじて、命を拾った夜。
今宵はそんな一夜であった。
庭に設けた人工湖には風に揺れて波紋が広がり、望月が映す。
しかし天を見上げれば、少し欠けた宵待月がある。いや少し欠けているから、あれは十三夜の月。
湖に揺れる姿が望月のように見えただけ。
心の臓がぞくりと一際強く鐘を打つ。
命を拾っただけではない。心の裡から掻き立て、裂くような想いがある。
あの月の姿がその正体を思い知らせる。
昔。
或る一人の女を想った事がある。
鬼の美しい娘には、彼女の面影があった。
彼女は満月よりも、後の月である十三夜の月の方が好きだと言った。
奇特な娘だと思ったが、うだつが上がらずいつも2番に甘んじる俺を思っての言葉だと知って一層に愛おしくなった。
下級貴族の貧しい家の娘。
彼女を正妻にすることは叶わない事を分かっていながら、彼女のもとに通うことを止められないでいた。
そうして、いつしか彼女が私の子を孕んだ。
子をどうするか。そんな事を悩むうちに子が生まれる日がやってきてしまった。
我々の血は呪われている。
この地にたどり着くまでに、血の濃さを保つために身内で交わり続け、そして赴く先々で力あるものの血を混じらせてきた。
血の薄い傍流の者であれば問題ないが、この血を継ぐ子には魔が宿る。子が大丈夫でもその子にもその業は受け継がれる。
生まれる子にもそんなものを背負わせるのか。
魔を宿す子は魔に魅入られる。それを防ぐ為に凄惨な鍛錬を必要とする。
その熾烈を課すのは、躊躇われた。
我家とは縁の無い彼女との子だから。ただただ健やかな子であれと願った。無垢な彼女の血が私の業を和らげてくれると願った。
しかし生まれてきたのは鬼子であった。
生まれた時から角を生やしたその忌み子は、母親の胎盤や産道をその角で引き裂きながら生まれてくる。
さながら蝮のように母体を食い破って生まれ落ち鮮血に塗れた忌み子。
血の濃さの弊害に、我が一族には時折こんな忌子が生まれ落ちる。
このような子が生まれた時、万が一にも生まれてしまった時、ただちに息の根を止めることが習わしだった。
母親の紅い血に塗れた悍ましい鬼子。
我が子の首に手を掛けた時、虫の息の彼女が声をあげた。
血の気を喪った真白の表情で、言を紡ぐのすら命を賭す、彼女の言葉。
「その子を、私と思って」
それが彼女の遺言になった。
いじらしい、そんな最後の願いを踏みにじることが出来ず、手にかけなければならなかったその子の血を拭った。
愛おしい女を奪った呪子。
彼女がその子の幸を願っても。生まれたときから業を背負うその子を、そのまま育て続けることは叶わない。この憎き子は、いずれ必ず鬼となり災となる。
彼女の言を無視して、子の首に手をかけた。されど、これから殺されるというのに、その子は嬉しそうに笑うのだ。
結局、自分ではどうにも出来なくて。
信のおける親戚筋の者に、処分を頼んだ。
子供なぞ、作るものではなかったのだ。
ただ後悔だけが、この身に残った。
あれからどれほどの年月が過ぎたであろうか。
あの鬼の娘の容貌は、愛した彼女によく似ていた。
己の過ちに気付かされる。
あの時、彼女が好きだと言った十三夜の月の夜。溢れる涙に満月にしか見えなかった彼女が死んだ夜に、あの子も送らなければならなかった。
それが、こうして生きていた。生きていてしまった。
人目も憚らずに涙がこぼれ落ちる。
今日ほど、自分の過ちを呪った日は無い。
けれど、今日ほど涙が止められない夜もない。
生きていたのだ。彼女が残した子は。
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