第39話 頼光

 祖父の時代よりも前に拵えた、生絹の直衣と烏帽子を纏い、見てくれだけはどんな公達にも負けない出立で、水原の姿は宮中にあった。

 一瞬の隆盛を誇った坂上が失脚した。

 その事で水原に官位が与えられる事になった。穿った穴を埋めるように。

 坂上は再起不能にまで落ちぶれていた筈だが、裏で様々に暗躍していた様子であった。坂上の座る筈の椅子に座るのが水原ということで、宮中の者のほとんどが安堵の表情を浮かべている。

 

 勿論、そんな事では宮中には呼ばれない。

 余程大きな役職でなければ、使いの者が家に来て官職を賜ったことを告げるだけで終わる。

 それが、宮中で直々に下賜されることになったのは、鬼の角を献上したことによる。

 鬼を捕らえた者に莫大な賞金が与えられる。

 その賞金が、官職と地方の荘園と、こうした名誉にすげ替えられた訳である。


 不満はない。

 水原の当初の目的であった、家の再興について。大きな足がかりを得た格好だ。

 彼の夢は、夢では決して無くなった。

 仰ぎ見るものではなく、辿り着く現実的な目標に切り替わった。


 しかし不安はある。

 全て、巡り合わせにより手に入ったものだ。

 坂上のように裏で糸を引き、その仕事を手繰り寄せたわけではない。

 イブキのように鬼と戦い、その強固な角を切り落とした訳でもない。

 ここにいることが気恥ずかしくすらある。

 

 それに、坂上が担う場所を押し付けられただけ。

 与えられる職は、国司の職。

 かつてその監視に当たっていた者が担う職としては皮肉が効いており、朝廷に非協力的な場所を歴任することが決まっている。つまり、地方の領地で反抗的な者達を成敗してこい、ということ。

 死を厭い、穢れを信仰する都人達が、最も嫌う仕事。

 そんな物を担わされる。


 だが、だからこそ活路もある。

 そう頭を切り替える。


 謁見の場に近づくと、その部屋に巣食う者達が放つ香の匂いが鼻を付く。

 まるで腐臭を誤魔化すための匂い。


 所定の場所に座り、深く頭を下げる。

 簾の向こうで何かの気配があって、この部屋にいる全てのものが頭を垂れる。

 段取り通りの儀式が進む。

 たかが国司の任命で、この国を牛耳る人間たちは動かない。

 それがここに一同に解すのは、鬼を打ち倒した者をひと目見たいという好奇心と、坂上の後釜に座る水原を見定める為だ。

 謁見の間は暗い。部屋の中央に蝋燭が置かれ明かりが灯っている。

 簾の奥は当然見えず、水原を囲むように座る上級貴族の面々も、笏や扇で顔を隠しているから風貌は定かではない。彼だけが素顔を晒し、見定めるように無遠慮に睨め付けられている。

 

 伏魔殿、とはよくいったものだ。

 水原には視る才はないが、都には魑魅魍魎や妖が跋扈するとされている。

 その理を識る者達にとっては、そうなのだろう。

 しかし水原には、この場所こそが魑魅魍魎が跋扈しているように見える。


 揺れる蝋燭に、貴族たちの陰が壁に張り付いている。

 その陰が、手ぐすねを引き、得体のしれない謀略を企てる、魑魅魍魎に見える。

 この者達の誰かが、都に八芒星を描く儀式を行おうとし、鬼を放り込んだ。

 あげくそれを鬼ごとと称し、戯れ事のように楽しみ、その後片付けを行った者に、自分たちが忌避する職に付けようとしている。

 言葉だけで、人の運命を弄ぶ魔物。


 人外の領域、得体のしれない怪物の棲家に、足を踏み入れた気分だ。


「水原の光。此度の儀、大儀であった。褒美の他に、そなたには『頼』の文字を与える、今後は頼光と名乗るが良い。主上はその名前の通り、そなたを頼りにしておられる。励めよ」

「はっ」


 儀式の最後に、名を与えられ、分不相応な名誉を賜わう。

 決まっていた覚悟が、また一つ重くなる。


 何故こうなったのか。

 分からない、知らない事が多すぎる。

 二転三転した後、最後に最良の目が出た。

 今の状況を説明するなら、そんな言葉が相応しい。


 もしもこれに異を唱えるなら、力をつけなくてはならない。

 坂上の様に暗躍する知恵はなく、イブキの様に誰にも負けない武力がある訳でもない。

 だから、強い仲間を集めよう。

 俺個人は弱く矮小でも、最強の軍団を形成しよう。

 そんな覚悟を新たにする。



 処刑が決まった坂上に、何か語るべき事が在るわけじゃない。

 それでも、師の様に慕った身。

 利用され殺されるところだったとはいえ、最後に面会に望むことにした。


 検非違使の詰め所では、異例の出世を果たした水原を皆が複雑な目を向ける。

 嫉妬は分かりやすい。

 蛇蝎のごとく、嫌悪を示すものも分かりやすい。

 だが掌を返したようにすり寄ってくるものも多い。


 同僚として過ごしている時だけでなく、冤罪で捕らえられている時に散々に罵ってきたものすら、猫なで声ですり寄ってくる。

 その得体のしれなさに、魑魅魍魎を思う。

 都の中枢に巣食う彼等だけでなく、こんな身近にも跋扈している。


 坂上の捕らえられた牢までの道すがら、あの奴隷の男と目があった。

 彼は軽く会釈をしただけで、すぐに目を伏せ小走りに立ち去ってしまう。

 御礼の言葉は幾らも在るけれど、足を不自由にしている様子が、酷い折檻を受けていたことを想起させる。

 自分の行く末を自分で決められない彼は、ここで俺と仲よさげに振る舞うわけには行かない。

 誰かの嫉妬の八つ当たりが降り注ぐのは想像に難くない。

 けれど、けれども。

 どうしたって寂寥は思う。


 そうして、坂上と向かい合う。

 縄で体の自由を奪われ、地べたを這いずるしか無い格好。幾日も、食事を与えられていないのだろう。痩けていた頬は痩せこけ目は落ちくぼんでしまっている。

 それでも、その目は死んだように見えても、奥に光を残している。


「ひさし、ぶりだな。水原」

「えぇ、坂上さんも、元気そうで」

「くくく、随分な、皮肉だな」


 不敵に笑って見せる坂上。

 水原のときとは違い、彼は処刑が確定している。

 しかし、取り乱すような様子はない。

 必ず訪れる運命にも、恨みを募らせた者が眼前に来ても。


「いつぞやとは立場が変わりましたね」

「……あぁ、そうだな」


 坂上が何とか身を捩らせ、地べたから水原を見据える。


「国司になるんだってな。出世したじゃないか」

「別にいいもんじゃないですよ。体のいい厄介払いです」

「だからこそ、だ。都の中枢は一部の人間達に巣食われている。何かをしようと思ったら地方しか無い」


 整然と坂上が答える。

 この鬼の一連の事件を彼が利用しようとしたのは、水原が話を持ちかけてから。

 最後の詰めに利用しようとしていただけで、再起への方策を確かに積んでいたということ。

 その慧眼に、呆れるようにため息が溢れる。

 逆立ちしても、自分には無いもの。


「で、ここに何をしにきた? 俺を笑いに来たか?」

「そのつもりでしたが、何だかそれも虚しくなりました」

「くくく。哀れみをかけるか。それは、罵詈雑言を並べられるより堪えるな」


 苦笑いを、どこか嬉しそうに坂上は浮かべる。


「敗軍の将は兵を語らず、だが。お前がここに来た理由を当ててやろう。あの伏魔殿に巣食う魑魅魍魎共に怖気づいたな」


 言い淀んでしまったのは、その言葉が真実であるから。

 加えて言えば、多くの人が彼への振る舞いを変えた。

 貴族のこの世界は、その人間の本質よりも、素性や肩書の方を好む。

 知っていても、目の当たりにするのとでは大きく違う。


「無理もない。あれは、笑みを浮かべ手を握りながら、刃を刺してくる様な連中だ。お前のような真っ直ぐな人間には理解が出来ない怪物共だ。俺も奴らに狩られた訳だしな」


 そう言って自嘲を浮かべる。


「だがまぁお前も遂にその世界に足を踏み入れた訳だ。水原の家を再興するというのは、あの魑魅魍魎の一味に加わるという事だ。良かったな、念願が叶って」

「……坂上さん。それが分かっていて、何故坂上さんは彼等の仲間入りを果たそうとしたんです」


 坂上の言葉を遮って、水原が問えば、今度は坂上が押し黙る。

 その根源的な問いは、水原のまっすぐに向く視線は、思わず胸襟を開いてしまいそうになる。

 だが坂上は意地でも押し黙る。

 大きな賭けに出て、負けてしまった。突き詰めればそれだけのことで。自分がその器で無かっただけのこと。

 べらべらと言葉を語り、まるで自分の意思を継いでくれるように懇願する姿は、見せられなかった。

 自分が踏み台にし、時には捨て石になってくれた友たちがいた。

 彼等の想いは自分だけのもの。


 押し黙り続ける坂上に、彼はもう口を開くことは無いだろうと。水原が立ち上がる。

 その後姿に最後に声をかける。


「おい、水原。俺の断末魔の叫びだ。聞いていけ」


 坂上が最後にそう気焔を吐く。


「人を殺すのは俺を最後にしろ。この世界は全てが敵だ。友も家族もだ。だが、目的が合えば敵が味方になる世界でも在る。そんな世界では繋がりこそが全てだ。人を殺すとそこで縁が切れ、繋がりは広がらず小さくなる一方だ。だから絶対に殺すなよ」


 いつも何処か余裕めいていた男の必死な姿。じっと水原はそれを聞き入っていた。

 敗軍の将の言葉。

 けれどそれ以上に、師からの最後の金言。

 しっかりと胸に刻む。


「……分かりました」


 踵を返し、再び坂上と向き合う。

 上から見下ろすのではなく、衣装が汚れるのも厭わず、地に座る。


「本当は、全てが終わった時貴方と祝杯を上げたかった」


 2つ分の盃を取り出し地面に並べ、とくとくと瓢箪から酒を注ぐ。

 並々と注ぎ、その一杯を水原が一息に乾す。

 地面に置かれた盃は、坂上の届かぬ檻の外に並べたまま。


「坂上さん。貴方のことは生涯忘れない」


 悲痛な顔で述べる水原の言葉に、坂上が大きく頷いて見せる。

 それでいい。そう言いたげに。

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