第15話
翌日。
水原が目を覚ました時、邸内は異様な光景だった。
庭先ではイブキとシキとタロウの3人が稽古をしており、菖蒲の式神が忙しなく部屋内に食膳を運んでいる所だった。
「あ、寝坊助」
いつの間にか背後に居た菖蒲が水原を揶揄う。
「いや、おい吃驚するだろ。急に声をかけるのは止めろ」
「ふふふ。でも寝坊した水原が悪いよ。 さぁ、皆ご飯にしようか!」
菖蒲が庭に居る3人に声をかけると、彼等は汗を拭きながら楽し気にこちらに向かってくる。
「いやー、お2人共本当にお強いですなぁ。力だけなら自信はあったんですが」
「いえいえ、タロウ殿の腕力は十分に脅威です。戦い方と武器を工夫すれば、並の武芸者では相手になりませんよ」
「タロウさん、本当ですよ。この人武芸に関してだけは嘘は付かないですから」
「本当ですかぁ! いやぁ少し照れますなぁ」
「はいはい。ちゃんと足も洗ってから部屋に上がりなさいな」
水原が眠っている間に、自己紹介は済んでいたらしい。4人が随分と打ち解けた様子でいる。
促されるままに食膳の前に座り、5人で共に食事が始まる。
昨日、主人と従者の道を説いていながら、同じ場所で食事を取るのはいいのだろうかとも思いながら、何となく肩身が狭く何も言葉には出来ない。
そして食事は、昨日と同様、上等なものだった。
「菖蒲殿。この朝餉は本当に美味です」
「俺まで共に食事をさせていただいてすみません、奥方様」
「いい加減、その奥方様ってのは本当にやめなさい」
「しかし本当に旨いですよ、菖蒲さん。毎日でも食べたい位です」
本当に皆仲睦まじい。1週間位寝食を共にしているかのようだ。
水原だけが肩身が狭い。自分の家なのに。
賑やかな食事に居たたまれず、コホンとわざとらしく水原が咳をしてみせると、歓談は止み皆が水原の方を向く。
皆の視線にも少々戸惑いながら水原が言う。
「あーいやー、全然いいんだが、皆仲良すぎない? 俺のいない所で何かあった?」
水原の言葉に、皆顔を見合わせて確認し、所見を述べる。
「どう、だろうな。武山は基本雑魚寝で皆で食事するし、特段変わった事は無いと思うが」
「武山は大体こんな感じですよね。果し合いになれば殺伐とはしますけれど」
特殊な環境で育ってきたイブキとシキの弁。
「農村は基本家族多いですからね。近所の人も親戚ばっかりで、正直ご飯時はがちゃがちゃ賑やかなのが普通ですかね」
農民出身としての意見を述べるタロウ。
「まぁ手間のかかる式神をお世話してるって感じだし」
事も無げにそう告げる菖蒲。
水原がそう水を向けた事で、何か粗相があったのかとギクシャクし出すタロウとシキ。空気を読んで静かにするイブキ、話しかけられない限りは話をしない菖蒲。
お陰で、話し合いは止み、食器の音だけが響く。
「あーなんかホントごめん。皆普通に食べて、全然俺の事は気にしないでいいから」
気まずさに耐えきれず、水原がそう呟き、慣れない賑やかな朝食を取るのだった。
「実はさ、手伝ってほしいことがあるんだ」
食事を終えて、歓談が終わった時、待ち構えていた様に水原が口にする。楽し気な空気が真剣なものに一変する。
「手を組んでるヤツが居るんだが、例の半月の夜に、護衛として30人ほど人数が必要になるんだ」
「…………それはどの程度の練度の者だ?」
水原の問いに、イブキが確認を求める。
「正直間に合わせで構わない。変な話だが、彼等が戦う事は無い、数を揃えるだけだ」
「それでも30人は多いですよ。武山から更にその人数を引っ張ってくるのは無理ですね」
援軍は出せないとシキが答える。それならと、菖蒲に話を向ける。
「なぁ菖蒲。式が――――」「無理よ」
言い切る前にそうピシャリと言い放たれる。
「私の式神は、短時間だけなの。それに30人分の働きをさせるなんて過労死させる気?」
「う、すまない」
一つ言えば倍になって返ってくる。がりがりと後ろ手で思わず頭を掻く。
正直に言って、当てが外れた格好だった。最初から他力本願なのも自覚をしていたが、今の水原の力では30人という人間を集めるのは難しい。
先々代のころ。まだ知行地もあり、荘園も大いに保有していた頃であれば、その人数は容易かったであろう。
没落していった過程で荘園を手放し、職も得られなくなり知行地も没収されていった。
今はこの屋敷の維持で精一杯の有様。
虎の子の貯金を叩いたとしても、30人は難しい。
襲われる可能性が低いという情報を話せない以上、殺人事件の護衛と知れば吹っ掛けられることは当然だった。
はした金で命をかけられる都合の良い存在なんて早々居ない。
「あ、あの……」
難しい顔をして唸る水原と、静まり返った周囲の様子を窺いながら、タロウがおずおずと語り出した。
「本当に間に合わせでいいなら、俺の仲間を紹介できるかもしれません」 タロウの語る内容は、彼と同じ境遇の、都に逃げてきた農民を雇おうというものだった。
先日、タロウが水原を襲った地区は昨年の大火で人気が無い。貧困層も住みたがらない打ち捨てられたその建物群に、タロウの様な流れ者が仮宿にしているという事だった。
都で職も無く、帰るにも帰れないでいる者達。
体裁を整える頭数としてならば、確かに打ってつけだった。
「興味深いな。俺も付いて行っていいか」
「それなら私も」
一連のタロウの話を聞いて、イブキが付き添いの打診をし、シキが追随する。
ならば俺は不要だな、と水原が思う。あまり大人数で行って刺激するのも、とも思うし、何より表向きは謹慎中の身だった。堂々と往来を歩き、検非違使の同僚に見つかる様な愚は犯せなかった。
それに、菖蒲から聞き出しておきたいことがあった。
「イブキ、任せてもいいか」
「あぁ。勿論だ」
2つ返事でイブキが答える。予定がそうして定まった。
食事が終われば、イブキがシキとタロウを引き連れて屋敷を出ていく。
残された菖蒲は呼び出した式神達に食器の片づけを行わせている。
「見事なものだな」
「褒めたって何も出ないよ」
式神の技に褒め言葉を送ったつもりが、棘のある回答が返ってくる。
水原が会話のきっかけを見つけようとして、菖蒲が続けて言葉にする。
「私に何か話があるから、わざわざ残ったんでしょ」
「……そんなに分かり易いか、俺」
「まぁ顔には出やすい部類よね」
もっと気軽に尋ねるつもりが、お互いに姿勢を正し、相対して座ることになった。
菖蒲に童女の雰囲気はない。
貴族の娘としての凛とした何事にも動じない芯があり、2人の間には緊張感が漂っている。
機先を制された、と水原が思うのは。やはり聞き出しにくい事を聞かなければという負い目があるからだった。
「白装束の件だ。敵は俺達を殺せたのに標的しか殺さなかった。わざわざ目撃者を逃した訳だ。その理由を教えて欲しい」
「……分からないわよ」
「はぐらかさないでくれ。もしも気まぐれではなく、呪術的に縛りがあるのだとしたら、勝機になり得るんだ」
「だから、分からないわよ」
菖蒲が否定をする、しかしその瞳が水原を睨むのではなく目を合わせないように逸らされるから、何かしらの心当たりがあるのだと水原は確信する。
時間の制約がある以上、彼女から聞き出すのがもっとも確実だった。
「菖蒲、頼むよ」
すい、と。水原の顔が菖蒲の顔を覗き込む様に近づく。
「ちょ、近いって」
唐突に距離を詰められた事に菖蒲が顔を赤くして言う。
そんな様子に構わず水原が続ける。
「話せない事情があるのかもしれない。それでも、お互いの目的を果たす為だ」
無自覚に、無遠慮に、真摯な態度を示す為に、彼女の瞳を覗き込む。
水原が話せない事情があるのかもしれないと前置いたのは、陰陽師という存在が秘密主義の連中であることを分かった上での発言だからだ。
星を詠み、古今の占術に精通し吉凶を占い、暦を作る。
表向きはそんな役職だが、知るものにとっては、彼等が得体の知れない呪術や秘術の研鑽を積む、得体の知れない連中だった。
その力でこの国に多大な影響力を持っているという事も。
そんな得体の連中から外れて、女の陰陽師が行動している。
何よりも、下っ端検非違使の力を必要とするまで、なりふり構っていないのだ。
陰陽師界隈の力関係は分からないが、相当危ない橋を渡っているのは容易に想像が付く。
秘匿すべき情報を漏らすのは、どんな世界でも禁忌である。陰陽師という得体の知れない力を扱う組織ならば猶更に。
それでも彼女は水原に情報を流し、賭けに出ている。だがまだ引き返せない程掛け金を払った訳では無い。
一度掛け金を吊り上げれば行く所まで行くしかない。それは身を焼く所業だが、出し惜しむのであれば最初から勝負に出るべきではない。
分水嶺を超えろと、水原が迫る。
水原の言葉に菖蒲が心を開いたのかは定かではない。
「……おそらく、儀式だから、よ。1人ずつ殺める事に、何かしらの意味があるのよ」
「そうすると、あの場では誰か1人しか殺せなかったという事か?」
「おそらく、ね」
「では何故俺ではなく、あの貴族の男だった? 俺を屠る方が簡単だった筈なのに、わざわざあの男を殺しに行った。そこに何らかの呪術的な意味合いはあるか?」
「それは流石に分からないわ。あるかもしれないし、ないかもしれない。捕まえてみない事には」
「……わかった。すまなかったな、尋問の様な真似をして」
「…………私も。情報を出し渋ったりして、その、……悪かったわ」
菖蒲という娘には、年相応に甘さがある。負い目とも言えるそんな甘さに水原は付け込んでいる。
利害が一致しているとはいえ、己の願望の為に他人を死地に追いやっているという負い目。そんな物に付け込んでいる。
聞き出した情報にも一定の価値があるが、情報を聞き出せた、という事実が水原にとって最大の収穫だった。
一度目を許せば、二度目三度目は当然敷居が低くなる。情報を話せば話すほどに、彼女は水原たちと運命をともにするしかなくなっていく。タガが外れたという訳だ。
薄汚い大人になったなと、嘆息が一つ漏れる。だがこれも全て目的の為だった。
まだ聞き出さなくてはならない事は沢山ある。しかしこれで、あの白装束との戦いに一つの道筋が出来た。
(5人ではなく、1人でいい)
そんな邪な事を思う。
「そうだ、昨日焚いた香を今日も焚いてはくれないか。芳しい香りで気に入ったんだ」
「えぇ、構わないわよ。貴方の持ち物だし」
平静を取り繕っているのか、取り戻しているのか。もう菖蒲の声音に動揺の色は無かった。
そこに少しだけ水原は安堵する。
この程度の事では、溝は出来ないのだと確認をするように。
水原に促され、黙々と菖蒲が香の準備をする。
その表情は彼女の背に隠れて水原には確認が出来なかった。
彼女の表情は能面の様に無表情なものだった。情を殺した無表情が浮かべられている。
自分の命よりも大切なものの前では、他人など塵芥でしかない。それが既知の者でも、どれだけの数でも。
絶対に明かす事の無い秘密が菖蒲にはある。
それは、この鬼の一連の殺人は、鬼の力を高める儀式であるという事。
人が鬼に至る儀式と言い換えてもいい。
誰が都に鬼を放っているのかは知らない。そこにどんな意図があるかは分からない。
だが、そいつが1つ儀式を踏むたびにその力は増す。
理想は8人目の儀式の時に捕らえる事だった。儀式が完遂する直前の、もっとも力を蓄えた身体を器にすれば、杏奈は霊力の渇望に悩まなくて済む。
その為ならば、既知の者でも、どれだけの数が死んでも構わない。
1人だけを律儀に殺して回っても。本当に切羽詰まった事態になれば、形振りは構っていられない。儀式が破綻することを覚悟で、己の命を優先する可能性は十分にある。
だがそれでも構わない。
どんな形であれ、あの白装束を捕らえる事さえ出来れば、彼女の目的は達せられるのだ。
だから、ここで零した情報はほんの少し理想に近づくかもしれない布石でしかなかった。
菖蒲が準備した香が焚かれて、邸内には芳しい香りが漂い始めた。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます