第16話 流民の集落へ

 水原の屋敷からタロウが塒にしていた廃墟までは、丁度大通りを挟んで反対側にある。都を横断する必要があった。

 出かけは雑談に興じていた3人だが、大通りの人混みとその活気を目の前にすると三者三葉の姿を見せる。


「……相変わらず凄い人混みですな」

 人の多さに、少し辟易とするタロウ。都ならばと、夢を追い、そして現実を目の当たりにしている彼にとっては、この喧噪は嘲笑の様にも聞こえる。


「分かってると思いますが、寄り道はしないで行きますよ」

 武山で一目置かれる実力を持ちながら、イブキの舎弟の様な立場に置かれているシキは、武山の仕事としてもイブキからの頼まれごととしても都に来る機会は多数あった。故に彼にとってはこの喧噪はめずらしいものではなく、むしろイブキがどんな反応を示すかの方に注意が向いていた。


「…………これはすごいな」

 そして感嘆の声を漏らしているのがイブキ。写本業で貴人と文のやり取りがあるような人間だけれども、武山という山奥のみが世界だった彼にとって、この賑やかな街並みは初めて目にする光景だった。


 国中のありとあらゆる場所からの品物が都に集まり、この大通りで売り買いされる。

 翡翠や琥珀といった宝石から、細かな意匠の螺鈿細工に絹の反物、貴族でも簡単には手に入らないものが並んでいるかと思えば、野菜や魚に鳥の肉、薪や塩といった生活に欠かせないものも並ぶ。貴重な鉄製の農具や針を売る店もあるし、牛や馬といった家畜も商品として売り出されている。少し奥まった所では奴隷として人間も。


 東西のありとあらゆるものが売り買いされているだけではない。

 大通りを往く人々も多種多様だった。

 牛車や馬が通れば人混みが分かたれる。一目で上等な衣装を着ている女性が店をひやかしているかと思えば傍らには屈強な男が居たり、食料を買い付けに来た女性が店主と値段交渉を行ない、こんな時間から飯屋と思われる店の軒先で好々爺が談笑に興じ、近くの農村から品物を持ってきたと思われる青年がお土産を何か物色し、子供たちが所狭しと走り回り遊んでいたり、何より都の町民と思われる人々が銘々に何かを買い求めてこの大通りを訪れている。

 

 人々の纏う衣装の色鮮やかさや、話し声や動物の嘶きといった喧噪、土ぼこりに汗が混じった独特の匂いや、食べ物の匂い。

 そんなどれもにイブキは目を奪われている。

 何よりも、香ばしい匂いが漂う鶏肉を焼く屋台に、ふらりと足を向けている。


 そんなイブキの肩をがしりとシキが捕まえる。


「何処に行こうというんです?」

「旨そうな匂いが漂っているんだ」

「だからなんです? 目的地は違いますよね? 最初に寄り道はしないと言いましたよね? そもそも食べたばかりですよね?」


 にこりと笑い、目も細めているが、その奥底では全く笑っていない。

 長年この男のお守りを任されてきて強く学んでいる。この男が好奇心に任せて行動するとロクな事にならない事を。


「まぁいいじゃないか」


 結局シキの制止を振り切ってイブキが屋台へと向かい、香ばしく焼かれた鳥串を購入する。

 シキからすれば割高なその鳥串だが、写本で小金だけは持っていて自分で買い物をするのも初めての人間にとっては、目を惹く商品だったらしい。


「一緒に食べよう」


 目を輝かせているイブキの様子に、結局それぞれが串を受け取り、少し離れた路地裏で食事を取るのだった。



「なかなかイケるな、これ」


 一口齧り、イブキがそう零す。掌ほどの小鳥を丸焼きにした鳥串は、骨ごと貪る事が出来、醤油ベースのタレで味付けがされていた。この時代、醤油という調味料はあっても庶民には手が届かないものだから、彼等には初めて食べる味だった。


「でも骨が多いですね。これはこれで旨いですけど、やはり俺は山鳥や猪肉の方が好きですね」


 イブキの言葉に返事を返すシキ。あれほどイブキを諫めようとしながらも、貰った鳥串は旨そうに食べている。


「……これ、ふぇちゃくちゃふまいです」


 むしゃぶりつくように齧りつき口を膨らませているタロウ。あっという間に食べきってしまう。


「良かったらこれあげるよ」

「え、いいですか」

「ちょ、一人一本じゃなかったんですか」


 隠し持っていた一串をタロウに渡し、そんなイブキをシキが責める。

 それを意に介する事無くイブキが告げる。


「山鳥や猪肉の方がいいんだろ?」

「う……確かに言いましたけど」


 そんな2人のやり取りの間にも、バクバクと鳥串をタロウが食べる。

 そして心底満足した様に言葉を零す。


「このタレが堪らないですな。いつか食べたスルメとも合いそうだ」

「スルメって何です?」


 すかさずイブキが尋ねる。


「イカの日干しですよ、……もしかして知らないですか? こんな形の十本足の海産物なんですけど」


 タロウが両手でイカの姿を描いて見せるが、イブキとシキが互いに顔を見合わせる。お前知ってるとイブキがシキの顔を覗き込み、知りませんよとシキが首を振る。


「……海には不思議な魚がいるんだね」

「魚じゃないですよ。貝、みたいな別の生き物ですよ」


 武山という山奥に引き籠るイブキとシキにとって、海、というものは縁遠い。せいぜい塩水の馬鹿でかい湖で魚が泳いでいる、くらいの認識しかない。

 化け物を食べたんだ、とタロウを見るイブキとシキ。弁明をするようにイカの旨さを力説するタロウ。

 身振り手振りを交えて懸命に説明をする様子に、次第に2人が興味を持ち始める。


「そこまで旨いのなら食べてみたいな」

「ですね」


 思わずイブキからそんな言葉が零れて、シキも同調してしまう。


「さて、探しに行こうか」


 立ち上がってイブキが言う。結局当初の目的を忘れて、この賑わう都の大通りを存分に楽しむのであった。


 租、調、庸、と呼ばれる税体制がある。

 律令と呼ばれた、法、だけでは民衆を支配しきれなくなったこの時代、貴族はその役職に応じて口分される土地からの収入ではなく、じぶんの支配地である荘園からの収入を重視し始めていた。

 荘園の数だけ栄える、貴族という、持つ者の全盛の時代である。

 

 各土地で収穫された米以外の特産物、かつては調として徴収していた特産物を如何に豊富に持っているかが、貴族の富の象徴であり格式の裏付けとされている。

 しかし貨幣が流通し始めた影響で、献上された特産物はこうして金銭に変わり、市井にも出回り始めている。

 金銭を市民も扱い始めた事で、品と金が巡る事で都は更に豊かさを極めていく。


 もっとも、その金銭が巡るのも都とその周辺だけ。

 搾取される地方の悲鳴は届かず、しっかりと色濃くなる都の陰には気づくことなく。都は豊かである。

 

 本当に特別なモノは貴族世界から外に出る事は無いが、こうした豊かさが今日も都を賑わせている。

 

 

 大量に獲れる魚類の干物は取り扱っている店は多いが、イカの干物という希少な商品は見つけるのには難儀した。

 市井に出回る量が絶対的に少ないのだ。

 大通りを端から端まで冷やかして回り、いい加減諦めの色が濃くなった時、ある店舗でスルメを取り扱っているのを発見する。

 思わず3人が感嘆の声を上げ、そしてここがこづかいの使いどころとばかりにイブキが大量にスルメを購入した。

 気になって仕方が無かった目的の品を手に入れた事で、達成感と満足を覚え、3人の足が目的地へ向く。

 くちゃくちゃとスルメの切れ端を齧りながら、都の影となりつつある、打ち捨てられた廃墟へと向かう。


「やっぱ旨いな、これ」


 随分とお気に召した様で、上機嫌でイブキが言う。特にゲソの部分が好きな様で、もう何本目にもなった足を口に放り込んでいる。


「まぁもうどうでもいいですけど、食べ過ぎて腹を壊しても知りませんよ」


 呆れ顔でシキがそう答え、苦笑しながらタロウも続ける。


「イカは生で食うと腹を壊すと聞いたことがありますが、干したスルメはどうなんでしょうね」

「え!? 生で食うんですか? タロウさん」


 心底驚いた様子でシキが大きな声を出す。

 困り顔のタロウに助け舟を出すように、イブキが告げる。


「魚を生で食べる文化は聞いたことがあるな」


 その言葉に、信じられないといった様子のシキ。そのシキにトドメを刺すように続ける。


「というか、菖蒲殿が持ってきてくれた食事に鱠があっただろ? あれは生の魚だぞ」


 衝撃な事実に、驚愕を隠せないでいるシキを余所に、イブキとタロウが会話を続ける。


「タロウ殿の故郷は随分海に近い所の様ですね」

「近い、と言えば近いですかね。海に面してはいなかったのですが、漁村から時々品物が運び込まれて時々市が立っていたんです」


 少しだけ、遠い故郷を思ってか、焦点の合わない瞳をタロウが浮かべる。


「まぁそれも国司が変わるまでですけどね。古き良き時代、ってやつです」

「……そう、ですか」


 次の言葉は紡げなかった。

 何かの歯車が狂わなければ、彼はここに居る事は無く、故郷で農家を続けていたはずなのだろう。


「さて、そろそろですね」


 そうして、大通りから随分と離れ、人影も疎らになった廃墟群へとやってきていた。

 修繕が十分に行き届いていない家は幾らでもある。でもこの辺りは、文字通りに打ち捨てられた場所だった。

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