第17話 流民の集落

 タロウを先頭に、打ち捨てられた街区に足を踏み入れる。

 陽はまだ十分に高く、薄暗いはずがないのだが、完全に建物が取り壊された野原からは風が吹き、廃墟の開け放たれた扉や隙間に流れ込み風鳴りがする。そのせいでどこか不気味な様子が漂っている。


 イブキが周囲の気配に意識を向けてみれば、確かに遠巻きからこちらを観察している人の気配がある。

 闖入者に対して様子を窺っているのだ。


 慣れた様子でタロウは奥へと向かう。荒れた通りをただ往くのではなく、時折廃墟となった民家を横切る事もあるから、流民たちが住み着いた集落へは、その場所を知る者にしか辿り着けないような、一種の隠れ里の様になっている。


「イブキさん、シキさん。ここからは本当に俺の指示に従ってください。間違っても好戦的な雰囲気は出さないでくださいね」

「状況による」

「シキ」

「……分かった」


 そうしてタロウに心構えを説かれ、彼等の、流民たちの集落へと足を踏み入れる。


 井戸を中心に広場があって、その周りを廃墟から集めてきた建材で家らしきものが立ち並んでいる。手作りの簡素な造りと、すえた独特の匂いと濁った空気が漂っている。

 イブキ達を待ち構える様に、一人の老人が広場に立っている。他の住人と思わしき人影が家の中や物陰からイブキ達を遠巻きに眺めている。


「何の用じゃ、タロウ」


 老人の声は、簡潔に敵疑心に満ちている。歓迎されている様子は全くない。


「仕事を紹介できるかもしれない」

「帰れ。そう何度も甘い話に騙されはせん」


 イブキ達が想像していてた展開ではない。何なら突然襲われかねない剣呑な空気がある。


「だがいつまでもこうしている訳にはいかないだろう。何か食い扶持を見つけなければここでも餓えるだけだ」

「そうだとしても、それでも故郷で朽ちるのと同じじゃろうが。わし等はわし等の力で生きねばならん」

「題目は素晴らしくともそれでどうなる。現に俺たちはドブネズミも同然な生活じゃないか」


 この集落の長と思しき老人と、タロウの関係性は分からない。ただならぬ関係であることは明白だった。

 道中を思い返す。

 ただ漫然と通りを往くのではなく、時々廃墟を横切ったりしなければこの場所には辿り着かなかった。都は大陸の大都市を倣って碁盤目状に街区が形成されているが、こうして端の方にもなれば、込み入った道や無秩序な開発地域も増える。それだけでなく、あえて廃墟の建材をうず高く通りに並べ、防壁めいたものも形成している。

 こうしてイブキ達の侵入に合わせて住民が家に戻っている事からも見張りが居る事は明白だった。

 つまりここは一種の城壁都市なのだ。

 虎穴に入ろうとして袋小路に誘われた様な格好だった。


 一斉にかかられるのは上手くないな、と武山で培った観察力がそう訴える。

 どんな人数が相手でも全員を叩きのめすだけの力はある。

 それは油断でも余裕でもなく、冷静に自分の実力を評価してのものだ。それだけの力を有している自覚がある。傍らにはシキも居るのだから負けるような展開にはならない。

 だがそれは、考え得る限り最低の結末。

 目的も最低限の礼節も欠いた、押し入り強盗の様な最悪な所業だった。


 さて、どうするべきか。そう思案を進めながらも、イブキには一つの感激があった。

 それは、この地に住まう人の逞しさ。


 都では、階層とそれに伴った仕事が固定化されている。底辺の階層に居るものには底辺の仕事があり、彼等の様な流民には分け与えられるような仕事は残っていない。

 それでもこうして集落が出来ているのだ。

 彼等がどのように生活を成り立たせているかは分からない。だが、身を互いに寄せ合い、爪に火を灯すような想いで毎日を生きているのは、嫌でも分かる。


「あの……」


 気が付けば、イブキが集落の長とタロウの口論の中に割って入っていた。


「何じゃお前は」

「ただのタロウの友達ですよ。それはそれとして、どなたか火を貸してくれませんかね。ここに来る途中、勧められてスルメを買ったのですが、焼くと更に旨いと聞いて試してみたいんですよ」


 突然の申出に誰もがあっけに取られ、更にイブキが続ける。


「それに、良かったら皆で一緒に食べません?」



 緊張した空気にそぐわない、気の抜けたとも表現できるイブキの申出に、皆が戸惑う。

 口論を行っていた、タロウと集落の長もあっけにとられている。

 問いかけに誰も何も言葉を発さず、沈黙が続く。

 傍らにいるシキですら、主の滑りっぷりに頭を抱えていた。


 こいつは次に何をするのだろう、という周囲からの視線の中、無言のままイブキは通りの脇に寄った。

 何をするかと思えば、懐から火打石を取り出し、廃墟の建材を焚き木に火を起こし始めた。

 火打石を持ってるじゃん、と誰もが思っても言葉にはしない。

 そして火が大きくなった時、おもむろにスルメを投げ入れた。


「ばかもの! 燃やしてどうする!」


 堪らず、ぞんざいすぎるイブキの調理法に集落の長が叱責の声を上げていた。

 声をあげながらずかずかと火の元にまで来たかと思えば、躊躇なく炎の中に手を突っ込む。引っ掴んで取り出したスルメは、特に足先が黒く焦げている。


「あーあー消し炭にしおって! いいかスルメはな、火の熱で炙るだけでいいんじゃ」


 そうして、イブキから奪ったスルメを丁寧に火に翳して炙り始める長。

 辺りにスルメの焼ける香ばしい匂いが漂う。


「随分詳しいんですね」

「わし等にとっては貴重品なだけじゃ。どこの貴族の倅か知らんが、お前は無知すぎる」


 イブキにそう悪態をつきながらスルメを焼き続け、良い塩梅になると火から上げる。


「ほれ、これで完成じゃ」


 そして焼きあがったスルメをイブキに手渡す。

 それを小さく裂いて、イブキが口に放り込む。


「凄いですね! とても香ばしい!」


 イブキの、少年の様な屈託のない感想に、長は少し上機嫌で居る。

 少なくても先ほどの、タロウと口論を行っていた時の剣呑な雰囲気は和らいでいる。


 噛めば噛むほどに広がる旨さを楽しみながら、イブキがまた少しスルメを裂く。そして長へと差し出す。


「焼き方を教えて頂いたお礼です」


 そう言われてしまうと、彼も拒む理由がなかった。事実、常に腹を空かしている中、スルメの焼ける香ばしい香りはどうしようもなく食欲を誘った。

 施しを受けない。そんな気位の高い人間の集まりだから、生まれた土地で搾取され続ける人生を良しとせず、都まで流れてきた。その都で疎まれ謗られようとも、尊厳を守るために自立の道を歩もうとしている。

 そんな彼等には、対価として受け取る理屈が必要だったようだ。


「他の皆さんもいかがです」


 長がスルメの切れ端を口に含んだのを見届けた後、大声で遠巻きにしている住人に告げた。


「俺が焼いたら全部焦がしてしまうので、手伝ってください!」


 そんな言葉も続けた。


 長が受け取ったから、と、徐々に家々から住人たちが集まってくる。最初は子供が、次に女性、そして男たちが集まってくる。

 とても一つの調理場では賄えず、隠れ里の広場で次々に火が焚かれ始めていく。

 この人数にこれだけの量ではとても腹は満ちない。それでも、滅多に口にする事の無い珍味に、たとえほんの一欠けらでも皆嬉しそうに食している。


 昼時に差し掛かった事もあって、女たちが昼食の準備を始める。

 大きな鍋に僅かな残飯と水を入れただけの汁物。そんな粗末な料理だが、この地ではご馳走だった。


 タロウには、この光景がとにかく眩しく、不思議な光景に映っていた。


 ずっと昔、故郷で行われた収穫のお祭りが、こんな光景だった。男も女も子供も老人も、みんな車座になって火を囲んで同じ食事を取る。笑い声が絶えなくて、調子に乗った者が踊り始めても居る。

 在りし日の、思い出をなぞる様な光景。

 この土地では初めて見る、景色。


 シキの姿が見当たらないと思っていると、どこかで抜け出し、両手いっぱいに食材を買い込んできていた。

 施しを嫌う人々だけれども、それを同胞の贈り物として受け取って、すぐに鍋に加えられる。味の薄い鍋が、2杯目は酷く深い味わいの料理となっていた。

 誰かが秘蔵の酒まで持ち出して、いつの間にか宴会が始まっている。


 余興として始まった相撲が、真剣な戦いになって、賑やかに応援の声が上がり、歓声の声も上がる。

 軽々とシキが十連勝を果たして、そうして力自慢たちとの仲が深まっていて、いつの間にか30人の同胞を雇入れる事が決まっていた。


 ともかくも不思議な光景だった。

 ずっと望んで、諦めたはずの景色が、そうして夜まで続いた。

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