第13話 イブキ、都に来たる

 白装束の敵をどう捕らえるのか。菖蒲からどのように情報を聞き出すのか。本当に上位貴族がこの問題に関わっていた場合、どの様な落としどころを探るべきなのか。そもそもこの事件にこれ以上首を突っ込んでも大丈夫なのか。30人もの兵隊をどうやって用意すべきか。

 坂上が去り、母屋には水原がただ一人きりでいた。

 1人になると、どうしても思考が渦巻いてしまう。

 その思考が堂々巡りになっている事に気が付いて、頭を振って、目先を変えようと庭先に出る。

 夜半。天頂には月が輝いている。

 三日月を少し膨らませた月の姿。

 月の満ち欠けに沿って、殺人事件が続いている。この様子で行けば半月の夜に、犯行が行われる。

 まだ幾何かの余裕はあるようだった。


 ざぁっと一迅、風が凪ぐ。

 今夜は、本当に来客が多いらしい。いつの間にかやってきていた人影に目を向ける。


「やぁ、イブキ。そろそろだと思っていたよ」

「気配は殺し切ったつもりだったんだが、腕は落ちていないな、ヒカル」


 月明りが夜の都を照らし、そして影を濃くする。

 塀の闇に紛れていた大きな体が、月光の元に姿を現す。

 武山最強の、友人の来訪だった。


「聞いたよ。鬼と仕合ったと。抜け駆けだぞ」

「ただの顔合わせさ。それにまぁ命を拾っただけで、俺には手に余る相手だったよ」


 その言葉で、イブキの纏う空気が少し変わる。

 闇に溶け込む静かなモノではなく、闘気が混じった武人のモノに。


「それで。舞台は用意してくれたのか?」

「……正確な情報は追って連絡するが、とある貴族家の護衛に行ってもらう。その家が襲われる可能性が高い」

「分かった」


 そう言い切り、イブキが母屋ではなく使用人の住居の方へと向かい始める。慌てて水原が呼び止めた。


「おい、詳細は聞かなくていいのか?」

「追って教えてくれるんだろ? それにシキの事も労いたいし、何より逢瀬の邪魔をしたくないからな」

「なに? 逢瀬?」

「え? 違うのか?」


 お互いに疑問符が浮いた状態で顔を見合わせ合う。水原が本当に気付いていない事を確認すると、イブキが口を開く。


「匂いだよ、匂い。微かだが芳しい匂いが漂うから、邪魔しちゃ悪いと思ったんだ」


 匂い、と言われて思い当たるのは一つしかない。菖蒲が焚いた香の香りだ。


「あぁ、母の残した香だ。掃除していたら出てきて、使ってみたんだ。その残り香だよ」

「へー。まぁそうなのかもな」


 イブキが含み笑いを浮かべる。その様子にムッとして、水原が食ってかかる。


「なんだよ、その笑いは」

「いやいや、別にそうならそうでいいんだ。ただな、伽羅の香に少し薬草の様な香りが混じっていたから、ついな」


 その答えに得心がいっていない水原。気恥ずかしさを覚えながらもイブキが説明を行う。


「最近の女性の間では、香に香りを足すことが流行っているんだよ。花だったり、植物だったり、同じ匂いでは無く少しでも自分と分かるものを使うのが流行りなんだ。だから、逢瀬と思った訳だ」


 おそらく、菖蒲が香を焚いた時に、彼女の服か何かに残っていた匂いが混ざってしまったという事なのだろう。水原はそう、理解する。

 しかし腑に落ちない点もある。


「ちなみに何でお前がそれを知っているんだ?」


 色事や機微に疎い自覚はある。しかしそれでも、都から離れた山奥に引き籠っているイブキの方が詳しいのは納得がいかなかった。


「簡単な話さ。写本で儲けてるって言ったろ? お礼として若い女性からお手紙を頂くこともある。手紙に匂いを付ける事も流行りなのさ」


 そうして今度こそ、イブキが使用人の使う離れへと向かう。


「じゃあまた明日な」


 去っていく友人の後姿が、水原には少しだけ大きく見える。同僚たちから揶揄されるほど、女性の心の機微を読むのは苦手だった。だからといって、都に居ない人間よりも劣っているとは思いもしなかった。

 それでも、すっと腑に落ちる。そういえばこいつは本当に要領のいいヤツだった、そんなことを思うのだった。


 

 寝殿造りの屋敷の、目には付かないような片隅に使用人の家がある。

 ほとんど馬小屋同然の屋根と壁があるだけの建物内に、2人の男が雑魚寝をしている。

 イブキが窓からそんな2人の様子を確認すると、ほんの一瞬だけ殺気を込めた。

 バッと、寝ぼけ眼ながらもシキが戦闘態勢を整える。タロウは変わらず寝息を立てている。


「シキ、俺だ」

「…………人が悪すぎますよ、イブキさん」


 大きくため息を零しながら、力無くうなだれるイブキ。その様子に少しだけイブキが笑みを浮かべる。


「ご苦労だったね。話を聞きたかったんだが、明日でも構わないよ」

「わざわざ叩き起こしておいてそれを言いますか」


 シキが眠たげな眼をこすりながら離れを出る。薄暗い月明りの下を歩きながら会話を交わす。屋敷の外は人影もなく静かではあったが、時折巡回する検非違使に遭遇するのは面倒だった。


「それで、ヒカルという人間を、君はどう見た?」


 殺人事件の犯人と戦った事を知りながら、まずヒカルの印象をイブキは問う。


「どう、なんですかね。放っておけない、そんな印象ですかね」

「ほう、その心は」

「心も何も無いですよ。武人としては、思いきりの良さが光りますが、強さはそれなりですね。少なくても武山の中では並みか下の上、といった所です」

「人物評は?」

「まぁ、ですから放っておけない、ですよ。他に貴族というモノを見た事はありませんが、近寄りがたい気品を感じながら、同時に妙に人懐こい印象もあります」

「そうかそうか」

「……何か嬉しそうですね」

「友人が褒められてるからね、それは嬉しいさ」

 

 武山での生活で、足音を殺して歩くことが常となっている。会話に興じながらも自然と周囲に注意を払う事も。

 寝息を立てるタロウに気を使って、人気のない庭を2人は歩き出す。


「それで、件の鬼は、どうだった?」


 穏やかな口調に、ほんの少しだけ武人としての好奇心が混じっている。


「怪物、ですよ。端的に言って。拙い連携だったとはいえ、3人でかかって子供の様に転がされました」

「君をか、それは驚愕だね」

「えぇ。少なくとも俺一人で掛かるなら、勝ち目はありませんね」

「それは本当にとんでもないね」


 穏やかに、努めて穏やかにイブキは振舞うが、シキにはそれが逆に恐ろしい。

 次に紡がれた言葉はぞっとするほど感情が無く、瞳に光もなく、ただただ静かさを湛えている。


「俺でも、勝ち目は無いかな?」

「………………知らないですよ。イブキさんの本気、見た事ないですから」


 緊張から逃げ出すようにそれだけを言い切る。瞳の色はもう覗けない。

 

 そう、なのだった。全国から手の付けられない暴れん坊が集められ、年がら年中武芸の稽古に明け暮れている連中の中で、誰もがこの男が最強と認めている。にも関わらず、この男の本気を誰も見たことが無い。

 

 白装束と立ち会った時以上の得体の知れなさが、底無し沼を目の当たりにした時の様な、恐怖感がある。

 

 彼が少し強く力を込めれば、人は簡単に死ぬ。

 そんな男が本気を出せるかもしれない相手との戦いにようやくこぎ着けようとしている。

 彼が湛える微笑みが、待ち遠しくて仕方が無いように、焦がれて焦がれて仕方が無いように、シキには見える。


「……知ってましたけど、やっぱりイブキさんって戦闘狂ですよね」


 シキの軽口に、ふっと場の空気が弛緩する。イブキが少し口を尖らせて反論する。

 

「心外だな、俺は平和主義者だよ。武の神髄は戦わない事にある。戦いたいなんてもっての外だよ」

「でも、戦わなければならない、としたらどうですか? やっぱり血が騒ぐのでは?」


 月明りで逆光の、影に染まったイブキの表情に、再びシキが戦慄を覚える。

 時に笑顔は恐怖を呼び起こす。


「その時は、そう思うのかもしれないね」



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