第23話 火の消えた家
夜な夜な、鬼が人を殺して回り跋扈している。
そんな噂話が都を恐怖に陥れていた筈だが、たった一夜でかき消された。
飛ぶ鳥を落とす勢いの大江家の御曹司が殺された。そしてその首謀者が掴まった。
その首謀者の名前は水原の光。
何故、男は大江家の御曹司を殺めたのか。怨恨か女の獲りあいか激情か。その動機を求めて都中が噂話に興じている。
水原の悪行が噂される中、実行犯は流民らしい。という噂がまことしやかに流れている。
業腹な事に、その噂ではタロウが実行犯という扱いになっていた。
大江の捨介という貴族を討った後、逃亡した所を自警団によって討ち取られた。そんな筋書きに変わってしまっている。
流民によって仕事が奪われ始めていた人々と、地方の耕作地を放棄し都に人が流れるのを阻止したい為政者の思惑が重なった格好だった。
シキという若者が、流民で構成された武装組織の頭領に収まっている。
流民が実行犯、という噂が共に流れた事で彼等に対する迫害はより直接的なものに変わるだろう。
それに対抗する武力として、彼に白羽の矢が立ったわけだ。
勿論、彼自身にも思惑があった。
「シキさん」
彼等が根城にしている廃墟の一角で、思案に暮れる彼を部下が呼ぶ。
こくりと首肯をしてシキが立ち上がると、案内されるままに廃墟を進む。
薄暗い一室にうめき声が響く。捕らえられた男が縄で縛り上げられた状態で床に転がっている。
「代わろう。後は俺一人で大丈夫だ」
シキが部下にそう告げれば、皆その部屋を後にする。
縛り上げられた男と、シキだけが部屋にいる。
「俺が昔居た所では、腑分け、なんてこともやる。結局人も獣も同じでさ、腸や臓を傷つけると簡単に死んでしまう。でも、逆に言えばそこさえ傷つけなければ生物を殺さず痛め続ける事が出来るんだよね」
感情を込めずに淡々と、シキが男に告げる。
ご丁寧に何やら金具を取り出しながら。
「大陸では凌遅刑って言うんだってさ。悍ましいよな。死なないように人間を生きながら刻むなんて。考えた奴はよっぽど頭がおかしい奴か、よほど人間を恨んでいたんだと思うんだよ、とにかく苦痛を味あわせてから殺したい奴がいたんだろうな」
捕らえられた男がシキに髪を摑まれ引っ張り上げられる。何も光を灯さない無機質な目が、男の瞳を覗き込む。
「割と今、そんな気分なんだよね。俺の仲間を殺して、更に罠に嵌めた奴等はそうしてやってもいい気分なんだよね」
男が何かを叫んでいる様子だが、猿轡をされてくぐもった声しか部屋には響かない。
「早く吐かないと、取り返しが付かなくなるよ」
シキが、何の感情も無く男にそう告げる。
自警団を組織し、流民に暴力を振るってくる者を返り討ちにする傍ら、シキは彼等の顔役を洗っていた。
流民を排斥するよう糸を引く者達を探っていけば、坂上に通じている者に繋がると考えた訳だ。事実それは当たりで、この男に至るまでに何人もがその関りを吐いていた。
単純な話だ。
坂上という男も自前の兵隊は持っていなかった。そこで懇意にしていた都の民のやくざ者達を集めて頭数を用意していた。彼等にしてみれば人ひとりを殺すだけで金が手に入り、噂を流すだけで目障りな流民を排斥する口実が手に入った訳だ。
嘘を嘘で無くすために形振り構わずに坂上は動いている。
部屋の扉が開かれる。
皆が一斉に、部屋から出てくるシキに視線を向ける。
「簡単に吐いたよ。ただ、残念ながら外れだ。有益な情報は無かったから次の奴を攫おうか」
事も無げにそう告げるシキに、元は小市民の自警団の面々が戸惑いながら応える。この都で自分たちの居場所を確保するために既存の組織と小競り合いはあったけれども、ここまで過激な行動は想像した事すらなかった。
しかし、魔法の様に彼等を束ねる言葉がある。
「しんどいけど頑張ろうか。タロウの死は無駄に出来ないからね」
タロウの死。これが彼等の合言葉だった。
水原の悪行と流民が実行犯であるという噂が流れる中、流民の集落ではタロウの葬儀が伝説の様に語られている。
路地裏で虫けらのように死んで風葬地に野ざらしになるしかない末路が、水原の為に戦って死ねば、美しく葬って貰える。高名な僧侶の葬儀方法だとシキが付け加えた言葉も瞬く間に広がって、涅槃に行ける、その葬儀で葬られれば天へ行ける。そんな共通認識が出来上がっていた。
友の死を神格視し利用している。
そんな自覚があるけれども、その無念を晴らすにはこれが最も効率的な手段であった。
だから、倫理観なんてものは塗りつぶしてシキは修羅でいる。
家主が囚われ、人気の無くなった水原邸にイブキが一人屋敷に居た。
彼は一つ文を書き上げると、庭へと歩き出す。
半月が少し膨らみを伴った夜。
待ち人を待つ様に、彼は夜空を見上げている。
「やぁ、遅かったね」
彼が声をかけたのは、都に住まう武山の手の者。普段は民に扮しているが、要請があれば武山に情報を送っている。昨今はイブキの手紙のやり取りを仲介することが多く、武山からの手当よりも彼からの小遣いの方が実入りのいい稼ぎになっていた。
「約束が取れました。今日にでも、お伺いください」
「ありがとう、助かるよ」
彼の言葉を聞き遂げた後、イブキは軽く屈伸運動をして見せる。とうに準備は出来ていたけれども、心構えを新たにする為に。
「そうだ。最後にこれをお願いできるかな」
そう言って金の入った巾着と、先ほど書いた手紙を渡す。
「最後、ですか?」
「あぁ、最後。これで俺から何か頼むことはもう無いからさ。頼むよ」
彼の返事を待たず、イブキは大きく跳んだ。足場も無く塀を飛び越えて見せる脚力に改めて人間離れした姿を見せられる。
イブキが塀の外に消えていき、伽藍の様に静まり返った水原邸を最後に振り返って、彼もイブキとの約束を果たす為に屋敷を去る。
僧ではなく、町民となる道を選んだ彼だけれども。かつてはイブキや水原と共に武山で修練を共にした者であった。
最期に、水原とイブキの運命に武運を祈って、そして屋敷には誰も居なくなった。
イブキが訪れたのは、先の戦いの舞台となった大江邸であった。
門は閉ざされ忌中の張り紙が為され、さらに兵士たちが屋敷の周りを巡回している。
そんな隙を掻い潜って、イブキは屋敷に入り込む。
大江捨介という、この家の御曹司が死んで数日と経たない邸内。暗く、静まり返り、耳を澄ませば誰かがすすり泣く音が聞こえる。
邸内は所々荒れたままの様子でいる。イブキと鬼が戦った時は何か物を壊すことは無かったから、彼が去ったその後、何かが起きた様子であった。
そうして人口湖に設けられた小さな東屋、釣殿に、1人少女が佇んでいた。
ゴホンと、咳ばらいをひとつかけると、蓮花という名の少女が振り返る。
「呆れた。お前もお前の仲間という者も、どうしてそうも容易く屋敷に入り込めるのですか」
「非常事態ですのでご容赦を」
「何も知らなければ、お前たちの犯行と納得してしまいそうです」
そんな挨拶が終われば本題に入る。
童女と、先日はもっと幼い印象を受けた蓮花であったが、もっと分別の付いた女性に見える。
「兄が殺されました。本当にお前たちの仕業ではないのですね」
こくりと首肯する。曇りなく純粋な瞳に何も恥じ入ることなく。
「そうですか。分かっていた事ですが、そうですか」
少女は少し項垂れながら、語り始める。
「警備の者は家の者と、父が雇入れた者。そして坂上という者から借りた者達でした。屋敷の中は家の者で警備を、という事でしたが、鬼が出たという報に皆が気を取られてしまっていましたから、その隙に乗じられたのでしょう」
整然と少女は語る。大人びたように在るのは、子供では居られなくなってしまったから。兄という後継ぎを喪い大江家の栄達は閉ざされてしまった。家を残す為に彼女が政略の駒とならなくてはならない。
その年でその状況を理解し、感情と理屈を分けようと努めている。
「兄の供の者の仕業であれば随分と昔から機を窺っていた事になります。万全を尽くしたつもりですが、外の者の犯行でしょう」
子供の弁、と打ち捨てる事は出来ない。
言い切るだけの彼女の結論がある。見た目だけは子供でも、覚悟を決めた人間の言葉であった。
「よほど、我家が憎かったのでしょうね」
最後に彼女はそう零す。
都に鬼を放った者の真意は分からない。
儀式の様に見えて、大江家の御曹司を討つ事が目的であったのか。これも目的の一つに過ぎないのか。
どちらであれ、大江家が沈めば利益が上がる者の犯行であると断定しても良いだろう。
裏切り者の坂上程度ではこんな計画は出来ない。彼も駒に過ぎず、ずっと奥に操っている者がいる。
「ねぇ、話は変わってしまうけれど。お前は本当に強いのね。お前とあの白装束の鬼との争いを見ていました。……ねぇ、本当に私の物になってはくれないかしら」
一夜にして栄光の宝船から泥船に変わってしまったお姫様。そんな悲痛な願い。
「まだ、事が終わっておりませんから」
「……そう、よね。餌も無い小さな籠に、好んで入る鳥は居ないものね」
妙齢の女性がそうするように、扇子で口元を隠して蓮花が笑う。悔しさでどれほど歯を食いしばっても、目だけは微笑みを絶やさない。
「それでは、お願いがあります」
言って、懐から小さく折り畳んだ懐紙をイブキに渡す。床に置きイブキの元へ滑らせ、決して直接手渡す事は無く。
「母の親戚筋の者からです。この騒動について詳しい者を寄こして欲しいと。弔問もまだなのに、陰陽の方は随分気が早いようです」
受け取った手紙は蓮花宛のもので、差出人の名前も書いてある。
この者に会えと、告げられていた。
「水原様はとても大変な事になってしまったけれど、お前はまだ鬼と争うのですか?」
聞きたいことがあると使いの者を出し、こうして面会が適った。確認すべきことは確認し、次の手がかりまで手に入れた。
もうここに居る理由は無い。
それでも、この少女に、わずかな時間の邂逅とはいえ、情があった。
「俺自身はそのつもりです」
「そう。では、お前も死ぬのね」
顔の下半分を隠し、目だけを覗かせる少女の真意は読み取れない。
「人が鬼に適う訳がないもの。それが分かっていながら引けないのだから、お前という兵児は愚かです」
目は何も語らないながら、震えを伴うその声は何よりも思いを伝える。
決して蔑みではなく、立ち向かわざるを得ない愚かしさをこころから嘆いた蓮花の声音。
「もっと面白おかしく、生きられる世であれば良かったのに。……詮無い事ですが」
誰に対しての嘆きであったのか。蓮花がそう零し、そして月を見上げる為にイブキから視線を外した。
平安の、争いの無い世でありながら。貴族の世界の闘争はいつも苛烈だ。誰もが誰かの都合で涙を流す。
貴族としてしか、生きていけない少女に伏礼を捧げ、そしてイブキは大江邸を後にした。
イブキが塀を跳び越える際の跳躍に呼応して、人工湖に波紋が広がる。半月を少しだけ膨らました月がそうして水面に揺れて、落ち着いてしまえばまた静かにその姿を湛える。
火の消えたように静まり返ったその家は、また再び静けさに沈んだ。
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