第32話
検非違使の建物を脱け、しかしその行き先に困る。
水原邸には帰れない。捕まえてくれと言う様なものだ。かといって、咎人を匿ってくれる様な友人は居ない。
簪の出所を洗うにしろ、詳しい人間を尋ねる必要がある。連れる女を餌におびき寄せる場合でも、この身元を晒す必要がある。
行き先は大通りに決まった。
この簪の出所をわざわざ聞いて周り、簪を探す男の噂を流す。そしてそれを追ってきた人間を狙う。
今は拙速を尊ぶ時。
その策に決める。
女の手を引き、水原は大通りへと歩みを進める。
朝が明けたばかりでも、大通りの市は賑わっている。
その中の、旅人向けの飯屋に入る。
麦粥を頼み、久しぶりの食事に舌を打つ。同時に、店で交わされる噂話にも耳を傾ける。
地方の国司による迫害の話。西方の瀬戸内の海賊の話題。旅人が集う食事処であるから、外部からの噂話が多い。しかし、都の話題も負けず劣らず話されている。
主に検非違使の醜聞について。幹部職の男が悪事を働いており、鬼に成敗されたという噂。殺されるよりも酷い姿になったという。
水原が知る鬼ならば、そのようなことはしない。あれは裏で糸を引く人間が指示した敵だけを狙う役目を持つ。義賊の真似事をするようには思えない。
黒幕の目的が変わった。そんな示唆もするが、如何せん確証に足る情報がない。今は断片を得ただけに留める。
「なぁ、あんた達。見たところ旅人のようだけど、やはり目利きには自身があるのかい」
突然隣の席の男に声をかけられたことで、談笑に耽っていた商人風の男たちが怪訝な顔をする。しかしすぐにほほえみを作る。
彼らにとっては繋がりこそが商いの糧。どこに儲け話が転がっているか分からないから、こんな胡散臭い話にも興味を示す。
「そりゃあ当然だ」
「商人は目利きこそが命だからな」
「そうかい。ならこいつが本物かどうか、一つ確かめてはくれないか」
傍らで女が水原を咎めようとするが、水原がそれを制し、商人たちに簪を見せる。
その簪のあまりの意匠に、商人たちが言葉を失う。
「ど、どこでそれを?」
「悪いがそれはちょっと、な。こういうのは何処の土地のもので、誰が造ったかが価値を持つと聞く。それで、どのくらいだ」
水原の言葉に、商人たちが言葉に窮する。大店の人間でも無ければ、目にすることもない逸品。まさか突然話しかけてきた胡散臭げな男がそんな物を取り出すとは思ってもみなかったのだろう。
そっと、その品を水原が懐に収める。
「突然悪かったな。別の人間に尋ねてみるよ」
「お、おい。あんた」
要件を果たした水原たちが踵を返そうとすると、慌てた様子で商人の一人が呼び止める。
「悪いことは言わねぇ。往来でそんなものを見せちゃいけねぇ。盗品だと思われるだろうし、命を狙われかれない。何なら俺が買い取っって――」
「大丈夫だ、間に合ってる」
忠告に見せかけて、安く買い叩こうとする商人の言葉を遮る。
これ見よがしに腰に吊るした剣を見せて、武芸者であることも伝えた。
当初の目的を果たし、再び水原たちが雑踏に姿を紛らわせる。
「驚いたわ、貴方なかなか演技の才能があるのね」
「実は自分でも少し驚いている。だが人間、追い詰められれば何だってする。これも火事場の馬鹿力なんだろうな」
「でも効果はあるのかしら、貴方が言う私達を付け狙う者に伝わるかしら」
「この調子でもう2、3件回ってみよう。それに、必ず喰い付いてくるさ」
女は懐疑的な様子を見せるものの、水原には手応えがあった。
簪を懐に戻した段階で商人の一人が、飯屋から姿を消していた。商人の大声に店の客の視線もこちらに集まっていた。
女連れの男が、途方もない価値の簪を持っている。そんな噂はすぐに広まる。
面倒な人間が集まるのも確かだが、この噂は必ず簪を探す男の耳に届く。そして他の者に手を出される前にと、不十分な準備でも必ず接触を取ってくる。
今はまだ、釣り餌の匂いを振りまく段階。釣り上げる準備を進めながら、今はまだその下準備に励む時。
水原の瞳には、決して脳をも煮えたぎらすような燃え盛る炎はない。静かに強く燃える青い炎が宿っている。
屯する商人の一団に尋ねてみたり、高級品を取り扱う店の主人に声をかけてみたり、怪しげな裏路地の露天商にも見せてみたり。精力的に情報を振りまいていると、鋭い視線と誰かにつけられている気配を感じ始める。
ただしそれは素人のもの。真に気配を消す人間たちを水原は知っている。そういう術を持つものが本気になれば、知覚することも適わない。
だから、それは取るに足らない素人。
しかし捨て置くことも出来ない。
多勢に無勢。群れを作り烏合の衆となったとしても、自身の腕では多数には適わない。
そんな自覚があるから、本命を釣り上げる為に、雑魚は散らしておく。
そうして、誘い込むように人気のない場所へと進む。
ある曲がり角で、そいつを待ち受ける。
剣の柄に手をやるが抜く必要はない。あくまで素人の敵う相手ではないと教えるだけ。
「おい、何のようだ」
脅すだけで逃げ出すようなら重畳。だが付けてきた相手は、年端もいかない子どもたちであった。
街に巣食う浮浪児。日々を生きるために残飯を漁らなければならない者たち。
水原の言葉に、一瞬驚愕を浮かべながらも少年たちは果敢に襲いかかる。
何処で拾ったか、木の杭のようなものを握り締め、てんでばらばらに水原を襲う。
彼らの動きを一瞥し、水原が剣を抜くまでもなく武器を払うだけで相手を打ち倒す。
それだけで、格の違いを思い知った浮浪児の一団は蜘蛛の子を散らすように消える。
最も年長の首領だけを残して。
尻もちをつき、鞘に収まったままの剣が浮浪児の喉元に突き立てられている。
少年も覚悟をしていたとはいえ、貴族の男に手を出して無事でいられる訳がない。殺されることはなくても、半殺しくらいの目には合う。
直接殺されることはなくとも、その怪我を原因に死んでいった仲間を数多く見てきている。
ただ、ぎゅっと覚悟を決めて目を瞑る。
けれど暴力は襲ってこない。
代わりに言葉を投げかけられる。
「少年。誰に頼まれた」
恐る恐る目を開けば、少年の目に水原が映る。
そこに怒気はない。瞳にも声にも怒気はない。見下すような冷酷さもなく、純粋に道でも問うかのように涼しげに疑問を問うている。
「……偶然、あんたが金目の物を持っていると聞いただけさ」
罰が悪そうに、視線をどこかにむけたまま少年が答えた。
水原が見る限り、少年の言葉に嘘は無いように見える。
痩せぎすの襤褸を纏った少年。頬はこけ、肋が浮き、不衛生を極めた様な出で立ち。
ただ、瞳だけはまだ濁りきっていない。落ちくぼんだ双眸は、それでも純な色を残している。
「仮に奪えたとしてどうする気だったのだ。売りさばけるのか」
その問いは水原の好奇心。
気になったことを思わず聞いてしまっただけ。
「……何でも買い取ってくれる人がいるんだ」
少年のくぐもった返事に、言葉通りの意味ではないことを流石に水原も理解する。
こんな場所で生きる子供の立場は弱い。彼らを利用する力を持つものが後ろにいる。その者たちの裏にも、その更に裏にも。
坂上の件でその底知れなさを思い知っていた。
「そいつの所に連れて行け」
「え?」
「それで襲ってきた件は許してやる」
水原が鞘を収める。
傍らで女が何かを喚いたいるけれども、彼は意に介さない。
それに決して正義感からの言葉ではなかった。
蛇の道は蛇。
今は少しでも多角的な情報が欲しい。盗商というのは、都合の良い存在であった。
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