第24話 犬神という呪い

 地獄とは地の獄と書く。獄とは牢獄の事で罪人を繋いでおく場所。地は地面の奥底を指しているらしい。

 これが仮に地面の上でも地の文字を使っても良いのであれば、ここも地獄だな、と水原は思う。

 検非違使の詰め所、野ざらしの地面に堅い木で囲いを作っただけの牢獄に繋がれている。見張りが睨みを利かせ続けているから逃げられる筈が無いのだが、手にも足にも堅く縄を縛られていて身動きが取れない。


 まさか入れられる側の気持ちを味わうとはな、冷静になろうとする頭はそんな事を思う。

 この牢獄は、2日程放り込んでおくだけ大の大人が泣き叫びながら許しを請う。風雨に晒されるならまだしも、四肢を拘束され身じろぎも出来ず食事も満足に与えられず、ただいつか来る裁きと処刑の日を待たされる。

 汚い話、糞便も垂れ流しで汚泥に塗れる事になる。人としての尊厳を剥奪され家畜よりも劣る扱いに、改めて少し恐怖を思う。


 獄に放り込まれた当初は頭が真っ白だった。ここに連れてこられるまでも散々無罪を主張をしたが聞き入られる様子がない。

 水原自身も彼等と同じ立場であったから、自身の様子に彼等が何を思ったかは手に取るように分かる。

 罪人が喚いた所で刑は変わらない。

 変わるはずが無い。ここに連れられてきた者は皆罪人なのだ。そう思って仕事をして来た。例外は無かった。


 冤罪か否か、取り調べの様な事も行うがただ形式的な物に終始する。

 捕らえられたら終わり。

 それが今の検非違使という組織。

 とっくにこの組織は都の治安を守る題目だけを掲げた形骸化した組織に成り果てている。


 そんな組織であるが醜聞にだけは人一倍気を遣う。出世の足掛かりにしか捉えていない彼等にとって、自らの汚点となるような仕事だけは望まない。

 だから即処罰することには恐らくならない。少なくとも2、3日の猶予はある。

 身内から殺人鬼が出たという結末には出来ないのだ、それらしい結末をでっちあげるから、猶予はあるはずだった。


 それが朗報なのか、悲報なのか判断はつかない。

 だが、そんな事を考えられる程度には脳みそが冷静になり始めていた。


 2、3日の猶予があれば。運が良ければ鬼の8人目の事件が起きる。

 状況が変わる可能性は薄い。どうしようもなく薄いが、零ではなかった。

 そんな微かな可能性にどれだけ思いを馳せ続ける気力があるかは定かではないが、今はそんなものを望むしか術がない。


 地面に這いつくばり、満足に顔を上げる事も出来ない。そんな状況の中で誰かが近づく気配がある。


「罪人でもこいつは友人でね。最後の別れをさせてくれないか」


 腸が煮えくり返る、坂上の声。

 賄賂でも渡したのだろう。見張りの者達が姿を消す。

 憎き裏切り者が、すぐそこにいる。


「よぅ、水原。元気か……まぁそんな訳ねぇか」

「フッグゥウウウウウ」

「おいおい止せよ。驚かせるなよ」


 猿轡をかまされた口は満足に罵倒も吐けない。

 怨嗟の目で、済ました坂上を睨みつける。


「これでも感謝を伝えに来たんだぜ。お前のお陰で上に行く目が出た」


 激昂する水原とは違い、努めて冷静に坂上が告げる。

 ぐびりぐびりと瓢箪から酒を呷りながら。


「なぁ水原、どういう気分だ」


 怨嗟しかあり得ない、分かり切ったそんな事を坂上は問う。

 しかしそこに見下すような色は無い。純粋にただ疑問を零したかのように、友人に悩みを吐露するかのように、抑揚はなく不安げな様子だけがある。


「お前も上に立つ者になった訳だろ。どうだ、他人の命を自分の掌に載せ、他人の裁量に自分の運命を任せる感想は。……削るよな、色んなものを」


 檻の中で地べたに転がされ、猿轡を噛まされ喋る事も出来ない水原を前に、服が汚れるのも厭わず檻の前に坂上が座り込み、語る。


「夢なんて見るものじゃねぇな、お互い。友と語らい、女を抱いて、酒を飲み、草木を愛で、子を育み、それで少しの欲望に振り回される人生で満足できれば良かったのにな。どうしても辿り着きたい場所なんかがあるせいで、劫火に焼かれる道を選んでしまう」


 酒を呷りながら言葉を続ける。

 

「お前を生贄にして尚余りあるものを俺は手に入れた。俺達に護衛依頼をしてきた家があっただろ、その家の見取り図を護衛の兵士たちに作らせた。下々に流して強盗をさせてもいいし、大江家の他にもう一つ犠牲を出してみてもいい。これで中級の貴族は俺に逆らうことが出来ない。

 陰陽師との伝手も強固に出来た。菖蒲というお前の女は奴らの世界では垂涎の女だそうでね。お前があの6人目の夜に殺されなかったのは、菖蒲を殺さない為だったそうだ。どういう理屈なのかはてんで分からんが、その報せを伝えるだけで大層感謝されたよ」


 べらべらと、酒が進むにつれて舌が回る者の様に坂上が話す。

 しかし酔っている様子には見えない。少なくとも、酒で機密を漏らすような男ではなかった。

 饒舌に酒場で自慢話でもするように坂上が続ける。


「なにより、上級貴族共と縁が出来た。信じ難いだろうがアイツ等はこの騒動を余興として楽しんでいる。誰が鬼を掴まえるのか、摑まらないのか、鬼事だそうだ。しかし仕舞い方に難儀して、俺がケツを拭く事になった。民衆に鬼の噂が広がり過ぎて話をすり替える必要があった訳だ。そこでお前を贄にすることにした。彼等の依頼通りに大江家の御曹司を屠りながらな。

 お陰で俺は出来るものとしてお目見えが高いという訳だ。最後の友人を生贄にして、俺は今度こそ上級貴族に返り咲く」


 懐から一皿、坂上が白木の盃を取り出す。それを水原の檻の前に置き、瓢箪に残った酒をとくとくと注ぎ、注ぎ終える。


「何故こんなことをべらべら話すか不思議だったろう。誰かに心の裡を話したかったという想いもあったが、そんな甘えを絶つ為でもあってな」


 犬神、という呪いを知っているか。

 坂上の口が無感情にそんな言葉を紡ぐ。


「犬神という悍ましい呪いは、身動きの取れない犬の前に飯を置き飢餓で苦しませる。すぐ目の前に飯があるのに食えない、そのうち何もかもを呪って呪って怨嗟で染まり切る。そんな呪いに満ちた犬の首を刎ね、その悪しき想念を力として利用するというものだ。正に今のお前と同じ境遇な訳だ」


 瓢箪に残っていた酒の最期の一滴を舌で掬うように飲み干して、酒を空にした坂上が立ち上がった。

 そして、最期の別れを口にする。


「これで最後だ、水原。お前の事は生涯忘れない」


 言い終えると彼はじっと水原の瞳を覗き込む。

 怨嗟と驚愕とで揺れる水原。

 そんなものを見納めた後、坂上はもう2度と振り替える事は無かった。


 悍ましい、身の毛もよだつ、人の心が無い所業。

 坂上という男は水原を最後の一滴まで利用し尽くすつもりらしい。


 身動きも出来ず、身じろぎも出来ず。

 そうして人の悍ましさと、かつて師のように仰ぎ兄のように慕った男の覚悟を、水原は目の当たりにした。

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