第33話

 少年に連れられて水原が行く。人気のない通りを縫うように行くと、廃墟が続く地区になる。

 以前、タロウが話していた流民の隠れ集落の近く。

 そんな人が立ち寄ることのない場所を行く。


 女がそっと水原に体を寄せるのは、不安の表れ。

 鬱蒼とし、人気のない廃墟の戸口からは風鳴りが響き、鴉が侵入者を警戒するように鳴き声を上げる。

 そうでなくとも、四方から襲いかかられれば一溜まりもない。

 少年を利用しているつもりで罠に誘い込まれている。

 そんな不安が渦巻くが、水原は毅然と暗がりを進む。


 そして、一つの廃墟へと案内される。

 その入口に立つ男は恐らくただの見張り。しかし見覚えがあった。

 向こうも水原の顔を知っているようで、驚きながら声をかけてくる。


「水原様じゃないですか、どうしてこんなところへ?」


 彼はタロウの仲間で、傭兵として力を貸してくれた30人の内の1人だった。

 顔見知りではあるが、同時に仇でもあった。彼の仲間であるタロウを死なせた張本人が自分であった。


「あ、あぁ。道中、この少年と知り合ってな」


 水原よりも気まずそうな顔をしている少年に視線が向く。


「また、お前か……」


 見張りの男が心底呆れたように言葉を紡ぐのは、彼らが仲間で、少年が問題児であることを伺わせる。

 流民の協力についてはタロウやイブキにまかせきりであったから、水原はその実態を知らない。

 生きるために何でもしなくてはならない。こんな子供でも。

 この世の当たり前をさめざめと見た思いだ。


「彼は悪くないんだ。案内を頼んだんだ」

「案内って、こんな所に……」


 そこまで言いかけて見張りの男がはたと気付く。


「というか水原様なんでここに!? 今街中が貴方の噂で持ちきりですよ。 というか誰ですかその女、奥方様に殺されても知りませんよ」


 奥方様。菖蒲のことをからかってタロウ達がそう呼んでいたなと、破顔する。

 たった数日前の出来事と言うのに、もう随分な時が流れた思いもある。


「あぁ、なるほど。だからここを頼ったんですね。頭領の所に、今案内しますんで」


 一人そう合点して、見張りの男は堅く閉ざした建物の鍵を開け、水原たちに手招きをしてみせた。


 

 少年はお役御免とばかりにそこで帰され、水原が見張りの男に連れられ建物の奥へと進む。

 女は何か言いたげな様子だが、目まぐるしく回る状況の変化に、口を噤むことを決めた様子だった。

 

 扉を閉じきり隙間から差し込むかすかな日光だけを頼りに、かつては寺社であっただろう建物の廊下を3人が行く。

 ぎしりぎしりと、腐りかけた床が音を鳴らす他、誰も喋らない。

 沈黙に耐えかねて、水原が口を開く。

 

「君たちは、俺を恨んでいるとばかりに思っていたよ」

「恨む? ですか。それはどうして?」

「……タロウの事さ」

「あぁ……」


 贖罪を求めてか、水原がそう口にするが男は苦笑をしてみせる。


「水原様、あんたはやっぱりお貴族様だな。地方を回る仕事をしていたと聞いていたが、俺達の実態は知らないようだ」

 

 決して水原を蔑むような物言いではないが、諦念と何か言葉にならない怨嗟が言葉に混じり始める。


「俺達は生まれた土地で一生を過ごさなくてはいけない。あんた達の都合で川境の一つ荘が違うだけで天国と地獄に分かたれちまう。地獄に生まれて少しでもマシな場所を求めて逃げ出せば、そこにも地獄が待っている。都にまでやってきても、そこもこうして地獄のまま。説法で聞く無限地獄とはこの世の事と骨の髄まで思い知っている。

 食う物に困り僅かな財産も買い叩かれ、虫けら同然にそこらで野垂れるしか無い。そんなクソも同然な人生で、最後にあんな盛大な葬儀をしてもらったんだ。恨むというのは筋違いだよ」


 男の言葉は、その最後に少しだけ明るい色を感じさせた。


「さぁ頭領はこの中だ」


 そして、彼らの頭目の下へと案内をされる。


 かつては、立派な本堂だったであろうその場所は、先の大火で半分焼け落ち、風雨にも晒され酷く傷んでもいる。避難されたのか、盗掘にあったのか、本堂には何もなくただ伽藍堂となっている。

 その奥に、鎮座する人影がある。


「久しぶりですね、水原さん」


 声の主はシキ。イブキの片腕として、武山からの応援としてこの地にやってきていた男。

 水原が捕まって、その処遇が宙ぶらりんとなった中、なんと流民のならず者たちの頭目に収まっていた様だ。

 驚愕している水原の様子にほほえみを浮かべて、シキが続ける。


「お互いに、数日前からは考えられないような変化ですね」


 お互いに。

 つい数日前まで検非違使の下っ端とはいえ、列記とした貴族であった水原がいまはお尋ね者となった。

 何者でもない武山の一介の僧であったシキが、今は流民たちの顔役。

 お互いに、ろくもない人生で、ろくでもない変化。

 鬼を追いかけて、気づけば人生はあらぬ方向へと進んでいた。

 そんな変わりように笑い合う。

 

「それで、何の用です?」


 突然の感動はそこまで。久しぶりの再開に頬を緩ませても、お互いに、お互いの立場の為に行動をしなければならない。


「彼女を覚えているか?」


 そう言って、傍らに居る女の被り物を取らせる。憮然としている女の顔に、シキの顔色が変わる。


「6人目の事件の時。俺達が最初に鬼と退治した時に、被害者と共にいた女だ。この一連の事件を起こしている黒幕へと繋がる証人だ」

「……仮に黒幕が居たとしても、繋がるのはその末端でしょう」


 訝しむシキの反応は当然のもの。状況は大いに変わってしまっている。

 あの事件の直後ならば話は違っただろうが、今となっては、何の意味も持たない。

 水原、という犯罪者に協力する理由にはならない。


「こいつも見てくれ。豪奢な簪だろう。この女とその夫を利用した者がちらつかせていたものだ」


 単に貴族という特権階級にいるだけでは手に入らない逸品。この国の中枢に巣食い富を貪る者でもなければ扱わないような代物。誰の目にも明らかな値打ち物が、ここにある。


「彼女たちを始末してこいつを回収しようとしている者がいる。そいつをふん縛って関係を辿れば、その黒幕に届きうるとは思わないか?」


 少年を追って背後の連中に接触することを試みたのは、簪の情報を広げるためだった。街の噂話ですら焦るところに、裏からも確かな情報が流れば、簪を回収したい人間がより拙速に直接的な行動に出るかもと踏んだ。

 勿論金目の物を狙って袋叩きにされる危険もあった訳だが、人間相手であれば返り討ちにする自信と、少し頭のキレる人間であれば更に利益を狙って簪の出所を探るために、共闘出来るかもと考えた故であった。

 出たとこ勝負の行き当たりばったり。

 でも今は、そんな綱渡りの勝負に勝ち続けなければ生き残る目が出ない。


 シキの立場から見れば、鴨が葱を背負ってきた状況である。

 流民のならず者たちの頭領に収まったのは並外れた武力だけではなく、集団に益をもたらすと考えられるから、担ぎ上げられているに過ぎない。

 この場合の益とは、流民の立場向上に寄与すること。

 水原の逮捕に付随し、彼と近い関係にあった流民の迫害が加速してしまった流れを止めること。

 それがこの立場に収まった理由であった。


 ここで水原の首を差し出せば、流民と水原に関係がないことを強調出来る。

 流民の迫害に積極的であった検非違使の管理職や、町民の顔役もタロウの復讐も兼て潰している。

 最後の仕上げと考えれば、またと無い条件。

 けれど。

 そう、けれど、と言葉が続く。

 それではただ、急場しのぎにしかならない。


 流民の彼等の事実上の立場は、この国の棄民である。

 その土地で生きていく事が出来ず、土地を捨てて彷徨い、何処にも行くことが出来ず朽ちるだけの人々。

 地方から決められた税が滞りなく届き続けられれば、この都に住む人々は彼方の土地で人知れず涙する人間を思う事は無い。

 

 もしも、それを変えようと思えば。少なくとも今、都に逃げ出したこの人たちを救おうと思ったのならば、貴族の後ろ盾がどうしたって必要になる。

 

 それも急に力を持ち、人材や労働力を必要とし、余計なしがらみを持っていない新興貴族。

 そんな都合の良すぎる人間がそうそう居る筈が無いのだが、シキの目の前に居る人間はその条件に合致する人間なのだった。


 思わず、苦笑いが零れる。

 天命、という言葉がある。命が運ばれると書く運命ではなく、天によって定められた命。

 タロウの葬儀の後、早々に捕まってしまったから、シキがここに居ることは想像も出来なかったであろう。情報を紡いでここに辿り着いた訳では無く、まるでそうあるようにここにやって来た。それも、自身の運命をひっくり返す可能性を持つ切り札を携えて。


 シキは、かつて水原を放っておけない人間と評した。放っておけば命を落としかねないそんな危うさからの表現であったが、同時に思わず手を差し伸べたくなる人間でもあったからだ。

 貴族、という人種をシキは良く知らない。それでも街の人々の様子から見れば察しは付く。下層の人間を唾棄する選民思想の権化のような人種。それが貴族。

 彼はそんな人種でありながら、下層の人間にも手を取り言葉をかけ、車座になって食事を取り、対等な友人として扱う。


 彼に加担するのは分の悪い賭けだ。大穴の大穴に張る様な物だ。

 だが人を魅了してやまない魔力がある。

 もしもこの男がこの難局を跳ね除け、都を駆け抜けたとしたら一体どんなことになるだろう。

 遠くない将来に先細るだけの未来なら、ここで全てを賭けるのも存外悪くない決断ではないかと、甘言が鎌首をもたげる。

 こんな好機はもう2度と訪れないと、囁く。


 何よりも、彼の力になってみたい。

 武山という場所で、生きるためにイブキに近づいた時以上に、彼に魅力を感じてしまっている。

 

「それが仮に上手く行ったとして、それだけで本当に貴方の汚名を晴らすことが出来ると思っていますか?」


 ついつい試すような物言いになるのは、彼がどんな反応を返すのか楽しみだから。


「分からない。だが謀略とは所詮謀りごとだ。嘘はどれだけ重ね続けても、いつか破綻する」


 この期に及んでそんな戯れごとを。そんな子供じみた正義を彼は語る。

 しかし後ろめたさの無い想いは強い。下心の無い真心は人に届く。結局人は美しいものが好きで、今の、彼の在り方には美しさがある。

 その純粋さに、運命を賭ける。


「……分かりました。協力はしましょう」

「本当か! 恩に着るよシ――――」

「但し」


 言葉を遮り、恩を売り込むために十分に間を作る。


「貴方の思惑が外れた時は、遠慮なくその命を検非違使に突き返させてもらう」

「分かった」


 間髪を入れず、水原が答える。彼の状況を考えれば渡りに船なのだろうが、それでも間断なく、曇りもなく真摯な目で、そう答える。


 手元に、再起不能にした検非違使の幹部と坂上が内通していた証拠は押さえている。ここにあるだけではただのガラクタだが、しかるべき人間の手元に渡れば逆転の一助にはなる証拠が押さえてある。

 しかしそれをシキが口にすることは無い。

 切り札は手元に置いて、最も効力を放つ瞬間に使う代物。何より、心酔しても心酔しきってはいない。

 この男が、果たしてどんな人物であるのか、まだ見定める必要がある。

 その眩しい在り方に、少し目を細めながら。


 賽の目は振れば振る程に、確率は収束を見せる。

 それでも、理屈にならない偏りがいつだって生まれる。

 往々にしてそれは運命の悪戯と呼ばれ、あるいは運命や宿命と名前を付けられる。

 天命と呼ばなければ、説明が付かない瞬間もあるだろう。


 かくして、水原は仮宿を得て、シキは新たな選択肢を得た。

 釣り上げる魚が何者かは定かではない。それでも、釣り上げてみなければ何も分からない。

 大きな勝負に挑む。

 そんな覚悟を新たにする。

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