第7話 勘違いの襲撃
今宵、この場所で。事件が起きる。
その確率が非常に高い事が分かっても、流石に何時に起こるかまでは絞り込むことは出来ない。
ただ待つ、という行為はじりじりと精神を焼く。
おまけに今日は風もなく、妙に蒸す暑さで、体を伝う汗も不快だった。
こんな長丁場になるのであれば、坂上にも声をかけるべきだったと後悔も浮かぶ。
しかし邸内はもぬけの殻でどこに行ったのかも定かではなかった。いつ事件が起こるか分からない。探し回る、という選択は現実的ではなかった。
一つ、強く息を吐いて頭を切り替える。
水原の獲物は、剣。シキは武山仕込みの体術と身の丈ほどの長さの棒を装備している。菖蒲は呪符を扱うようだが、戦闘ではどの程度役に立つかは未知数。
お互いの力量も分かっていない3人で、嵩にかかった攻撃は望めない。それどころか拙い連携は足を引っ張り合う、まである。
被害者はださない。
それは検非違使としても水原自身の信念としても譲れない。その反面、万全を期すのであれば相手の力量を図る見に徹するべき、とも思考が浮かぶ。
相手の力量が未知数で、待つという時間が更に余計な事を考えさせる。
気が付けば、漆黒の夜空の天頂には、三日月が輝いている。
風の止んだ通りに、生暖かさを孕んだ風が、一迅凪いだ。
「水原さん」
シキの呼びかけに首肯で返す。
こちらに向かって、提灯で足元を照らしながら、足音が近づいてくる。
身なりから、男は貴族階級の人間であることが分かる。女は、布を目深に被り表情は窺えない。ただその衣装は上等なものだが、ちょっとした所作が街歩きに慣れたもので、貴族の女ではない。
貴族の男と、町民らしき女の取り合わせ。
牛車を使う事も、共を連れて歩くことも無く、こんな夜更けに人気のないこんな場所。
男と女。いつの時代もこのような者はいる。
「二手に分かれよう。俺が遠くから様子を見張るから、お前たちは後を付けろ」
「えぇ、俺がですか」
「万が一あの女が人間に化けた鬼の場合、剣を持った俺より、不良僧侶の方が油断を誘いやすいだろ」
適当な理由を付けて、釈然としない様子のシキと、怪訝な顔を浮かべる菖蒲に送る。
相容れない組み合わせでも、菖蒲を自由に動かすのは余りにも未知数で憚られた。
今までの被害者は全員男。
確かに女としけこんだ所を襲われたのであれば、抵抗なく殺害に至ったのは納得が出来るような気がするが、実際は無理だろうと予感が走る。
この一連の事件による遺体の状況は、皆腹部を鋭利な刃で切り裂かれている。
ちらりと見た女の細腕では、人を切り裂くような膂力は無い。
だから、剣を携えた大柄の男。
そういう存在をどうしても警戒しなくてはならなかった。
シキと菖蒲が、提灯を手に暗がりを進む男女を追い駆け、水原がその後を追いながら、他に人の気配は無いかと周囲を探る。
彼等を追うのは無駄足かもしれない。
そんな思いもどうしても湧くが、これだけ待ってやっと得た手がかりらしきものを、追わない訳にも行かなかった。
生暖かい空気に、じっとりと汗をかき、打ち捨てられた都の街区を行く。
廃墟が続き、道も荒れ、草木が覆い茂った古寺跡も散見するようになる。身を隠す場所が多いこの場所は、密会の場所としても絶好で、奇襲をかけるにも絶好な場所だった。
例えば女が犯人ではなく、他に仲間が居て言葉巧みに誘導しているのでは、なんて思う。
そんな時だった。
「都を荒らす殺人鬼だな。その命、貰い受けるっ!」
突然、背後で男の口上が響き、次の瞬間には上段から大きく振るいあげられた剣が叩きつけられた。
とっさに鞘ごと上段からの剣を受ける。
「馬鹿。勘違いだ!」
「言い訳は聞かんっ!」
力づくで押し込まれ鍔迫り合いになる。
襲ってきた男は大柄の男で、その体つきと着ている服の身なりからは、街の者というより、もっと農村に住まう男の様子だった。少なくとも剣の扱いは、素人が力任せに振るっているだけ。
そもそも振るう剣が、木剣で。撲殺することも可能だろうが、材質は樫や枇杷といったものではなく、その辺の材木のようだった。
間髪入れずに背後から加勢に来る様子もない。
左足を一歩引き、半身になって力押しされた剣を受け流す。体勢を崩した男の顎に右掌底を喰らわせる。頭蓋骨は堅いから少し打ち所が擦れただけで拳を痛める事がある。突然襲われ殺気立った状態でも、その程度の分別は弁えていた。
ただしちゃんと落とし前は付ける。
顎を揺らされたたらを踏んでいる男に、腰を入れた左拳を鳩尾に叩き込む。男の体は九の字に曲がり、そして地面に突っ伏した。
目を大きく見開き、口からはよだれを零し、うめき声を上げながらもかろうじて息をしている。
「曲がりなりにも検非違使に闇討ちとは恐れ知らずだな」
身なりを整えながら、水原が言う。男は更に目を見開いてかすれる声で絞り出す。
「け、けび、いし?」
「あぁ。一応確認しておくが、誰に頼まれて俺を襲った?」
男が凄い勢いで首を横に振る。
「勘違いして、賞金に目が眩んだだけか?」
凄い勢いで今度は首を縦に振る。
「ちっ」
思わず舌打ちが零れる。
余計な時間を喰った。そういう焦りがあった。
「この件からは手を引け。不問にしてやるから」
そう言い残し、水原はその場所を後にした。
足音を極力抑えながら、シキ達を置い街路を駆ける。
嫌な予感ほどよく当たる。人気の無い通りに女性の悲鳴が上がった。
再び舌打ちが零れる。別行動が仇となった。
全速力で、シキたちの元へと駆ける。
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