第6話 都へ戻る
翌日。
水原の姿は馬上にあった。
武山から都へと続く街道を、ひた走りに走っている。
「6人目は明日だな」
イブキが告げた言葉が頭の中で幾度も浮かび上がっていた。
元から2~6日間の周期で犯行が行われていた訳だから、その指摘は不思議でも何も無いのだが、今はそれが答えとしか思えなかった。
「水原様、少し飛ばし過ぎです! 馬が潰れますよ!」
背後から大声でそう叱責される。声の主はシキ。イブキが都に来るまでの間、護衛として共に来てくれる事になっていた。
鈴を付けられたのか、本当に護衛なのか。
だが、自分とは預けられた時期が違うため幼少時に面識は無かったが、優秀な人間であることは一目で分かった。
立ち振る舞いや武芸の腕前もだが、こうして馬を操る術が一朝一夕で身に付いたものではない。武山で武芸に耽っていただけの人間の芸当では無かった。
シキの進言を受け、近くの河原で馬たちに水を飲ませる。
水原たちも腰を落ち着け、一息を入れる。
すると、シキが竹の水筒と笹に包まれた弁当を手渡してくる。
「やけに準備がいいんだな」
「備えあれば患いなし、ですよ」
手渡された弁当は塩気が効いた白米の握り飯で、昨日から馬に乗りっぱなしで疲れた体によく染み渡った。
礼を言おうと振り返った時には、離れた場所で黙々と食べている。
すっと立ち上がり彼の元に行くと、驚いた顔を浮かべている。
「一緒に食べよう」
「いや、ですが……」
武山の僧であるとはいえ、一介の僧と貴族ならば、貴族の方が身分は上だった。それが没落した家だとしても。
身分が違う者達が食事を共にする。それは常識では考えられない。
それに、水原がシキの手元を見れば、彼の持っている握り飯は、水原に渡したものとは違い雑穀が多数混ぜられたものだった。
自身の握り飯を差し出して水原が言う。
「一つ交換しようか」
「いや、ちょっと、水原様」
シキが何かを言う前に彼から雑穀の握り飯を一つ奪い、代わりに自分の分を押し付ける。
そしてそのまま隣に座り込んでしまう。
シキから奪った握り飯は、塩気は少なく雑穀独特の渋みや苦みが口に広がる。
お世辞にも美味いとは言い難い味。
しかし、幼少の折に食べた懐かしい味だった。
「相変わらず苦い飯だな」
苦笑しながらそう話すと、シキも少し心を許した様で少し笑みを浮かべている。
「……そういえば水原様は昔武山に居たのでしたね」
「あぁ、イブキと一緒にこの雑穀米を食べていたよ」
イブキの名前を出す事で、更にシキの表情が柔らかくなる。
貶さない程度に、イブキとの失敗談なんかを話してみると、そんな事があったんですか、と驚いた返事が返ってくる。
急ぐ余りに、少し周りが見えていなかった様だった。イブキが都に来るまでという条件付きだったが彼は力を貸してくれる味方で、年下の青年だった。佇まいや落ち着いた様子が大人びた印象を与えるが、こうして共に食事をし歓談に興じれば、幼い一面も見え隠れする。
ふっと息を吐くと、体が少し軽くなったように思う。
イブキの言葉を信じるならば、今夜、事件は起きる。だが急いでも出来る事は限られている。
やるべきことはただ、威力偵察。
死なない程度に立ち会い、その鬼とやらの力量を測り、情報を持ち帰ること。
冷静に引き際を見極める手腕が、最も必要とされる。ならば焦りこそが禁物だった。
塩のたっぷり効いた握り飯に、少し驚愕した様子でがっついているシキの様子に、昔を思い出す。
武山を出て水原家に連れ戻された時に食した白米の旨さを。
この苦みが常識と思っている人間には、別世界の食べ物。
彼の様子にそんな事を思い出す。
シキがしっかりと食べ終えたのを見計らって、水原が立ち上がる。
表情に、今までの険は無く、余裕から来る笑みがある。
「さぁもう少しだ。都に行こうか」
夜明けと共に馬を走らせたにも関わらず、都に着いた頃には陽が暮れている。
事件のせいで往来を行く人影は疎らで、代わりに物々しい様子の検非違使たちが巡回に当たっている。
検非違使の中でも閑職に追いやられている水原には、こんな事態でも仕事が無い。代わりに、法外な賞金を手に入れるため普段は現場に出てこないお偉方が鼻息を荒くして郎党を連れ巡回している。
しかし好都合ではあった。
水原はシキを引き連れて6人目の殺害予測地点へと向かう。
街外れの、人気のない寂れた場所。
貧民街となりつつある街の南部と、一般市民の住まう住宅街の間にあるこの場所は、まるでそう取り決められたみたいに無人の家屋が続いていて、昨年の大火で焼けた家がそのまま打ち捨てられている。
都でも有数の人気のない通り。
そんな場所に貴族の男と僧侶という2人組では怪しすぎるから、少し離れた場所で、予測地点へと向かう人間を物陰から見張る。
「本当にこんな場所で起こるのでしょうか?」
ぽつりとシキがそう零す。
初めて見る都の壮大さに目を輝かせていた彼だが、こうして人気のない予測地点に近づくにつれ浮ついた様子は無くなり、昨日初めて会った時の様な柔和ながら冷たさすら感じる落ち着いた様子だった。
「おそらく、な」
確証はないから、そう返す。だが水原の勘は、間違いなく今日ここだと告げている。
検非違使としてではなく、徴税官として曲がりなりにも鉄火場を渡ってきた経験。現場を回った時に感じた違和感と、じっとりと滲む不快な汗と悪寒。
悲しい事に、悪い予感は外れた試しが無かった。
「間違いなく、よ」
水原の言葉に強く同調する、女性の声がする。
驚愕した2人が一斉に後ろを振り返る。
「うわ、びっくりした。突然現れるなよ菖蒲」
「き、気付かなかった……」
物陰に潜む2人の傍らに、いつの間にか菖蒲の姿があった。闇に紛れやすい様黒い装束を身に纏っている。
「それにしても抜け駆けなんてずるいわね。私を出し抜こうって気?」
「そんなつもりはない。単にお前の居場所を知らないだけだ」
「ふーん、まぁ別にいいけど。でも私も仲間に加えてもらうわよ。もし貴方達が鬼に打ち勝ち、約束を保護にされたらたまったものじゃないもの」
「……勝手にしろ。でも邪魔だけはするなよ」
「えぇ。荒事は任せるわ。で、君が水原の口車に乗せられた強い味方?」
言って菖蒲がシキをじろじろと見回す。
「な、何か?」
「なかなか強そうじゃない。私菖蒲、よろしくね」
「あぁ、シキです。よろしく」
2人の面合わせが済んだ様で、水原が再び周囲に警戒を向けようとすると、ずいと袖をシキに強く掴まれる。
小声で、けれども怒気が込められた声が紡がれる。
「水原さん、彼女は何者ですか」
「いや説明しただろ? 今回の事件の為に仲間を集めてるって。例の陰陽師が彼女だ」
「だからって普通じゃないですよ。背後を警戒していたにも関わらず後ろを取られるなんて。イブキさんにも取られたことが無い」
「……本気?」
「本気です」
専門家の言葉に、背筋が凍る。
確かに、気配を殺す術は暗殺等と相性が良すぎる。
今は互いに利害関係にある。だがシキ程の手練れも欺くとなれば脅威でしか無い。
こほんと、咳払いの後、水原がイブキに問う。
「随分と気配を殺すのが上手いんだな」
「いつも宿舎に入り込まれる水原にとってはそうでしょうね」
自然と煽る菖蒲の物言いに、少しだけ眦が上がる。
「怒らないでよ。そう難しい話じゃないわ。意識を一つに向けているとね、どうしても隙が出来るの。それを付いただけ。……まぁちょっとは術も使っているけれど、身を隠すだけのものよ」
そう言って取り出した札をひらひらとさせる菖蒲。
こくりと水原が息を飲んで、シキが黙って聞いている。
「……ちなみに相手も同等の力を使えるとか無いよな? 使えるなら、割とお手上げな状況なんだが」
「無い、わね。これはそんなに便利な術じゃない」
その弁をどこまで信じて良いものか。
一抹の不安を残しながらも水原が言葉を飲み込もうとするが、シキが続ける。
「なるほど認識を阻害する術ですか、脅威ですが悪意を持つと機能しないとは万能とは言えませんね。それでも便利なものですね、符術とは」
一片の紙を握りしめている菖蒲の表情から笑みが消えている。
「……貴方、何者?」
「ただの坊主ですよ」
符術。呪いや超常の力を紙に込め、念を込めた瞬間に力を開放することが出来る、陰陽師たちが好む術。
存在は知っていても、目の当たりにするのは初めて事だった。
それをこの短時間で、術のからくりを看過したというシキ。
水原には、どちらも呆れるくらいの実力者に見える。
互いに警戒を隠そうともせず、いつの間にか剣呑な雰囲気が漂っている。
それを見かねて、2回ほど手を打ち、水原が2人の注目を集める。
「お互いに実力者だということが分かって良かったな。考えてみればそんな芸当が出来る者がいれば、鬼はとっくに打倒されていることだろう。とりあえず今は、鬼を探すことだけに集中しよう。」
無理矢理に場を収める。
互いに、言い足りない事があるが、それを飲み込みざるを得ない。
水原の言う通り、息を潜めているのは鬼を探しているから。相容れない相手であっても、今は自分の為すべきことに集中する。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます