第18話 決戦前夜
30人の兵士を用意する。
そんな使命の段取りがついて、根城となった水原邸は毎日賑やかだった。
朝早くから30人の戦士とイブキ達が稽古をし、水原が工面する事になった朝食を菖蒲とその式神達が調理をして、つい先日まで考えられなかった喧騒に、水原が遠い目をする。
日中も稽古が続いて、菖蒲は自分の部屋にした一室に籠ったり、式神を使って何やら野草から薬を創り出していたりした。水原も稽古に加わったり、謹慎中とはいえ溜まった書類の片づけをしたりと、過ごしている。
夜になれば、戦士たちは家に戻り、菖蒲の姿も無く、シキとタロウは早々に寝付き、イブキが使う事になった余った1室では、遅くまで明かりが灯り、写本を行っていた。
そうして、約束の刻限が迫る。
半月の夜の日。
皆が思い思いの覚悟を背負い、そうして戦場へと赴いていた。
ケガレの為に屋敷から出る事は出来ない水原は、屋敷で待機。
人目に付く訳には行かないから菖蒲も今夜は姿を見せない。ただし、時間が無い中作り上げた丸薬とお守りが、全員に手渡されていた。それだけで全員の士気が上がっている。
シキは30人の兵士を率いる為にイブキ達とは別行動だった。坂上の集めた兵士たちが各家の警備に加わり、シキの部隊が往来を警邏するという配置だ。
故に、イブキとタロウが水原家から選出された精鋭として、大江家の護衛に加わっていた。
「緊張しているのかい?」
傍らで、震えが止まらないでいるタロウにイブキが声をかける。
「だ、大丈夫ですよ、この位」
精一杯の強がりでタロウが返す。
その反応にイブキがにっこりと笑って見せる。
「いいね。その震えは武者震いという訳だ」
「ムシャブルイ?」
「あぁ。昔、蝦夷と戦った武者達も、戦いの前は震えが止まらなかった。だから、戦前の震えは武者震いと言うそうだ」
「……なるほど」
「それに。夜はまだ長いから、今しばらくは気を抜いていた方がいいかもしれないね」
タロウの緊張をそう解して、イブキ自身は夜空を見上げる。
月はまだ東の空に浮かんでいる。水原がもたらした情報を信じれば、月が天頂に来た時が犯行の時間帯となる。今宵もそれをなぞる確証は無かったが信じるだけの理由にもなった。
門や、裏口、主人の部屋等、主要な箇所は坂上の息のかかった兵士が詰めている。イブキ達に与えられた指令は庭部での警戒。やることがなければ、立派な庭でも見ているしかない。
水原邸よりも小ぶりながら、良く手入れの行き届いた美しい庭。引き込まれた人口湖には、月と星空と、盛大に焚かれた篝火が揺らいでいる。
戦いの瞬間まで、今しばらく、そうして湖を眺める。
他の護衛の兵士達が血気盛んな中、イブキだけが余裕を持て余していた。
だから彼の周りだけ柔らかく少し明るくて、話しかけやすかったのかもしれない。
若い貴族の男が、イブキに話しかけてきた。
「なぁ。君は、本当に我家が襲われると思うか?」
振り返って、その男を視界に収め、どう答えるべきかと一瞬だけ戸惑う。
相手は貴族の相手だから答えるのも不敬なのではないかという戸惑いと、理知的なその顔には不安や警戒心ではなく好奇心が浮かんでいるから、変に答えると話し相手をさせられそう、という思いからだった。
「さぁどうでしょう。下っ端の私には分かりませんね」
「誤魔化すなよ。どう見てもこの中では君が一番だ」
適当にお茶を濁そうという目論見は簡単に看破される。イブキは一瞬だけ顔をしかめそうになったが、すぐに作り笑いを張り付ける。
「備えておくことに越した事はないが、俺は父の判断には懐疑的でね。貴族の男が狙われていると聞くが、俺の周りでは死んだ奴はいない」
「貴族、と一口に言っても多種多様な方がおられますから」
「それはそうだな。だが俺を消したとして、消した人間も、その裏で糸を引く奴もただで済むと思うか?」
やけにおしゃべりなその男は、どうやら大江家の御曹司らしい。父親の才覚で上級貴族の仲間入りを果たし、それを笠に着たボンボン。しかし成金貴族と断じるには、大江家は古くから続く名家の1つではあった。
だから、今最も波に乗っている一族の令息。目の前の男の評価はそんな言葉が正しい。
「綿々を絶たずんば蔓々を如何せん、ですよ。例え虎穴に入る事になっても」
「…………なるほど。お前学があるな、だがなかなかに不敬なやつだ」
イブキが放った言葉に、驚きと苦笑を御曹司は浮かべる。
だが満足もしたように、不敵な笑みをしてみせる。
「ならば君子危うきに近寄らずだな。今宵は大人しく屋敷に引き籠ろう」
突然話しかけてきた男は、屋敷内に護衛と称して見知らぬ者達が跋扈している事に腹を据えかね、憂さ晴らしも兼てちょっかいをかけてきたのだろう。だが逆に諭されて、一定の納得を示したようだ。
「そうだ、お前名前は?」
「……イブキと申します」
「そうか。ではイブキ、仕事にあぶれたら俺を頼れ。面倒を見てやろう」
ではな。
最後にそう言い放って、大江家の御曹司は屋敷へと帰っていく。
格好を付けて悠然と歩くが名前を名乗るなり、何か縁者である証明の品物でも下賜しないと、平民から上級貴族へ面会を申し出る事は出来ない事に彼は気付いていない。
どこか抜けている、そんな後姿に苦笑が零れる。
それを見逃さない者が居た。
「あーああ。お兄様ったら相変わらず抜けているんだから。餌をやるだけじゃ飼い主にはなれないのに」
幼い童女の声が響く。彼女の兄が立ち去るのを待ち構えていたかの如く。
儀礼として顔を伏した後、イブキの眼が童女と交わる。
いたいけながら、何事も見抜くような、曇りのない瞳。
「お前はお兄様になにやら難しい事を言っていましたね。何と諫めたのですか」
「綿々を絶たずんば蔓々を如何せん、と。異国の故事ですよ」
「どういう意味なの?」
臆することなく童女が問い続ける。
律儀に説いてやる必要も無く、適当にはぐらかす事も出来たが、その瞳のまっすぐさにあてられて、イブキは答えを続けていた。
「面倒ごとの芽は最初に摘まなければ、後々取り返しのつかない事になる。そんな言葉を植物の蔓が生い茂る事に例えた言葉です」
「……ふーん。確かに雑草は放置しておくと、後から抜くのは大変だと婆やが言っていました」
「婆や、さんは博識ですね」
「そうすると、我家の繁栄を良く思わない者がいる、ということですね」
好奇心旺盛な貴族の子供を、少々揶揄ってやろう。そんな心持だったはずが、今は、はっとさせられる。
まだ7、8歳の分別が付かない子供にしか見えないが、聡明な子供だった。
彼女はじぃっと、目を伏し黙ったままでいるイブキを眺めている。
「お前は兵児なのに、どうしてそんなに詳しいの?」
「蛍雪の功ですよ。その気になれば誰でも」
「それは知ってるわ。蛍の光を集めて勉強した人ね」
難しい授業の中に自分でも分かる事があって、ぱっとその少女に年相応の笑みが差す。
聡明な子供と思い侮る事はしていないが、どこか授業の様な雰囲気に、良く出来ましたとばかりに、イブキが大陸式の礼、拱手を行って見せる。
初めて見るそんな流麗な所作に、少女が目を奪われていた。
「お前、面白いわね。決めた。私の部下になりなさい」
言って童女が懐から一つの懐紙を差し出してくる。
「いいこと。今度の仕事が終わったら、それを持って必ず私のところに来なさい、絶対よ」
童女がそう言ってイブキの目を見つめながら、その懐紙をイブキに無理やりに握らせる。
姫様、姫様。と。お付きの者達が彼女を探す声が響く。
「私の名前は蓮花というの。絶対よ、イブキ」
そう言い残し、蓮花という名の童女が立ち去っていく。
掌に、小さく折り畳まれた懐紙だけが残っている。
開始を折り開くと、香の香りの中に少し異国めいた花の匂いが漂う。
懐紙には、和歌が一首印されていて、その繊細な文字には見覚えがあった。
写本の仕事をしていた時に、毎度代金の他にお礼の文を渡してくれる人が居る。
その一人に、こんな繊細な文字を書く人が居た。
立ち竦み、何か思う事があったようだが、懐紙をそっと懐に忍ばせる。
それから踵を返し、持場に戻っていく。
思いがけず勧誘を受け、山を出て先が無い人間にとっては魅力的な話なのかもしれないけれど、頭を振って頭からたたき出す。
「イ、イブキさん。よくそんな流暢に話せますね」
遠目でイブキの様子を見待っていたタロウが、緊張しきりの様子で、そうして言葉を吐いた。
せっかく解したのにこれでは意味が無いなと、イブキの苦笑が漏れる。
「そういえば、新しい武器の調子はどうだ? そろそろ手に馴染んできたかい?」
「え、えぇ。何とか。でもこんなこん棒、役に立つんですかね」
「力が強い人間が振り回す鈍器はそれだけで凶器だ。少なくとも俺が敵なら相手したくないね」
「いやそんな事言うけど、全然擦り抜けて距離詰めてくるじゃないですか」
話が日頃の訓練の話に立ち返って、再び緊張した様子のタロウも、流暢に話している。
戦いまでのわずかな時間を、そうしてイブキも笑みを零す。
一度だけ、お屋敷の様子を窺ったが、すぐにタロウと話をしながら戦いの備えに戻る。
大江家の繁栄を良く思わない勢力がいる。
それだけでこんな事が起きているのであれば、明快な構図なのだけれど、真相はもっと生臭い匂いがする。
しかしそれも、イブキにとってはどうでもよい事だった。
鬼と仕合う。
それだけを、見つめている。
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