第25話 菖蒲の覚悟(1)
咄嗟の事に身を隠し、水原が連行されていく様子を見届けた。
得意の人の注意を逸らす術を使い、何とか水原邸から離れることが出来た。
そうして菖蒲は自分の家に居た。
だが安堵は無い。ただただ絶望的な現実を目前にしている。
杏奈という名の彼女の式神は、もう虫の息でいる。
式としての寿命をとうに過ぎ、ひたすらに延命を重ねてきた。その努力が徒労に終わろうとしている。
最近は特に、彼女が恐怖や絶望を感じる瞬間が多すぎた。
杏奈と菖蒲は霊的に密接な繋がりを持っている。その繋がりだけでこの世に形を残せている状態とも言える程に。
そんな最中で、菖蒲が抱く負の想念は、杏奈の命をどうしようもなく削る。
一度目は、あの白装束を纏った鬼と対峙し生き永らえた時。
何故今も生かされているかなんて考えない。少し連想してしまうだけで体を震わす恐怖が蘇るから、努めて考えないように頭を他の事で一杯にしている。
二度目は、水原が連行されていった時。
正確には強い不安を抱きながら、同じく屋敷に残っていたイブキとの会話において、彼女は末恐ろしい恐怖を感じてしまっていた。
庭に出でて、水原が検非違使に連行されていった後姿を見送っていた。
自分がしゃしゃり出ても余計な混乱しか生まない。他の家の娘がここに居たのは絶対に見られるべきでは無いし、検非違使を止める事も叶わない。だから大人しくしていたけれども、何も出来ない、というのはただ自身の無力を突きつけられる。
「あ、イブキさん……」
水原が連行されていった後、庭で何も出来ないでいた彼女の傍らに大柄の体躯のイブキの姿があった。
菖蒲と水原が並んだときは、少しだけ菖蒲が見上げる背格好になる。タロウの場合は少しその角度が上がる。
背が高いということは知っていたけれど、ここまで違いがあるのは知らなかった。
一週間近く行動を共にして、どんな人間であるかは分かった気でいた。タロウという青年ともほとんど同じ付き合いの長さであったけれども、彼を通して皆と交流を持っていたことを思い知る。
表面上にこやかな顔を浮かべてはいても、何を考えているか分からない。タロウの様に恐れる事無く懐に入っていければまた違っていたのだろうけれど、どのように話せばいいか分からない。
何より、目元までも覆っていた前髪がすっぱりと斬り落とされ、額に残る生傷が近寄りがたい雰囲気を一層濃くしている。
「菖蒲殿、ひとつ伺っても?」
「え、えぇ。何かしら」
前置きまでして、どんなことを尋ねられるのかと身構える。
「貴女方、陰陽に属する人はその血統を護るために近親婚を重ねてきましたか?」
唐突に何を言い出すのだろうか。そんな戸惑いがある。
同時に。
何故その事を確かめるように問うのだろうか。
そんな疑問もある。
近親婚は血が偏り過ぎる為望ましくない、そんな価値観は貴族や陰陽師達の間でも共通認識としてある。同時に、血の保存の為には致し方ない所業であるとも。
三代離れただけでその血統は別物となる。一族が残してきたモノよりも、受け入れざるを得なかったモノの要素が濃くなりすぎるのだ。
故に血の保存を進めなくてはならない。貴族と呼ばれる者はその血の正当性を維持するために。呪法や法力を綿々と残してきた一族は、その力を尊ぶ故に近しい者で交わざるを得ない。
兄妹や親族、という形を忌避するようになっても、同じ貴族間や陰陽に属する者の間で血を交わらせる。
何故今、そんな事を確認する必要があったのか。
イブキの真意が分からず、菖蒲が困惑を浮かべる。
「あぁ、そうでしたか。分かりました。すみませんね、変な事を尋ねて」
菖蒲の答えを聞くまでもなく、イブキがそう答える。
顔に出ていただろうか。出ていたとしても、その答えを得て彼は何を確信したのだろうか。
困惑し続ける菖蒲をよそに、イブキが屋敷へと踵を返そうとする。
「ま、待って。そ、そうだわ。何とかして水原を助けないと。何か方法を考えないと」
「無理ですよ」
菖蒲が絞り出した行動案を、イブキが切捨てる。
「と、友達じゃなかったの」
「関係ないですよ、そんなことは。急襲をかけて彼を救えたとしても何の益もない。貴女にとってもそうでしょう」
理路整然に淡々とイブキが答える。友を攫われた直前にも関わらず。
表情が全く変わらず、それどころかこんな状況でもいつも通りの笑みを湛えているイブキ。
得体の知れなさを菖蒲は思う。
自分も含めて、陰陽師という連中は頭のおかしい連中の巣窟だ。一般的な倫理観がどうしようもなく欠乏している。
しかしそうでなければ高みには登れない。深淵には至れない。分からない領域に足を踏み入れるのだから、二の足を踏ませる倫理観は邪魔なものでしかない。
それでも、この男にはもっと根源的な違いを思う。
白装束の敵と対峙した時に感じた、関わり合いになってはいけない存在自体が忌んだ怪物。
そんな得体の知れなさをこの男からも感じる。
「君も」
イブキが何かを話すけれども。熱に浮かされて聞くお話のように頭には残らない。
「今は自分の事だけを考えた方がいいよ」
そう言い残して、屋敷の自分の部屋へとイブキは去っていく。
この男は当てにならない。何か別の策を講じなければならない。
去っていく後ろ姿にそんなことを頭は考える。
確かに水原という人間を救い出す術が無い以上。誰かと協力し、鬼を狩る、という手段は失われてしまった。
どうしてもその素体が必要だから。自分だけで鬼を倒すしかない。
水原の仲間の助力は得られそうにもない。
自分が立たされた状況に思いを巡らせて、はたと気が付いてしまう。
冷静になっていく頭はそんな事を思い、そんな事を思うから更に冷静になっていく頭が気が付いてしまう。
自分も水原という男を、目的の駒としか捉えていない事に。
他の人間から見れば、私は自分の目的にしか価値を感じない冷血漢に映る事だろう。
この数週間。水原たちと共に過ごした時間は悪くなかった。それでも、それだけであった。
お互いに、お互いの目的の為だけに集まった間柄で。利用し合う為に一緒に居ただけ。
慕った仲間が死んだというのに、涙の一つも零さない。冷血な、女。
誰かと心を通わす事なんて無い。杏奈と生きる、その目的の為だけに生きている。
そう思い込んできたけれど、水原たちと一緒に居た時間は悪くなかった。
本当に悪くなかった。
こんな時間がずっと続けば、そんな事を思う瞬間だってあった。
ここに鏡がなくて良かったなと、心底思う。
イブキという男も何処かに行ってしまい、屋敷の中はひどく閑散としている。
あの喧騒がすぐにでも始まりそうなのに、ここにはそんな賑やかな時間はもう訪れない。
楽しかったはずの場所が無味乾燥な場所に成り果てる。
そんな光景は良く知っている。
ずっとずっと、昔。まだ彼女に妹が居て、何も知らない子供でいれた時。あの家は楽しい場所だった。
しかしそれは見てくれだけだった。今では悍ましい生き物の巣窟にしか思えない。
結局、私もあの家の人間なのだ。
人の死を利用して生きるしかない、魔の術を扱う一族の末裔。
日向に出て温かい場所に憧れてはみたけれど、結局石と土に囲まれた薄暗い場所でしか生きてはいけないのだ。
ざわざわと心がかきみだされているような感覚がある。これを殺す術はよく知っている。
人形のように心を空にして、冷血に冷徹に、心も体も冷たくして、生まれた感情を殺せばいい。
そういう術を私はよく知っている。
ここに鏡がなくて本当に良かった。誰も居なくて本当に良かった。
友の死を嘆くこともなく、殺される運命にある人を救おうとも思わない、冷酷な女。
そんな女のウソの涙は、誰にも見せるわけにはいかなかった。
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