第10話 闖入者

 水原とシキと菖蒲の3人が閑散とした邸内で弁当を囲む。

 死闘と徹夜明けの体は、栄養を欲していた様で黙々と口に運び続ける。

 奉公人すら雇えなくなった水原にとっては、久方ぶりのまともな食事。それどころか、祝い事の時にしか食べないような豪勢な食事だった。シキも恐々とした様子ながらも噛み締める様に食べている。おそらく始めて食べる馳走だった。

 菖蒲だけが、姿勢を正し優雅な様子で食事を口にしている。食べなれたものを食べる様に。

 彼女の出自は謎だが、陰陽師の中でも高位の家柄かもしれないと水原は予測した。


 そうして腹も満ち、箸を置けば、あの戦いを振り返らなければならない時間が訪れる。

 口火を切ったのは、水原だった。


「威力偵察のつもりだったが、相手の力量を見誤っていたな」


 謝罪は口にしない。3人が3人共に自身の目的で動いている。それに結果として命を失わなかっただけとはいえ、この鞘当てで得たものも確かにある。


「シキ。次にあいつと対峙するとしたらどう戦う?」


 率直に、彼の意見が聞きたくて水原が促す。

 手を顎に当て、少し時間をおいてからシキが喋りだす。


「一対一では勝ち目がありませんね。被害者を出す事を覚悟で、同時に襲い掛かるしかないかと」

「だとすると兵隊が居るな。最低何人必要だろうか」

「質によります。何十と集めても烏合の衆では立ち竦むだけで役には立ちません。手練れでなくても死兵であれば、最低5人」


 淡々と紡ぎだすシキの数字は、おおよそ水原の計算と一致していた。

 死兵が5人。手練れでなくとも、と前置きが付くのは、文字通り彼等が死を覚悟し肉の盾となった場合、という計算だ。


 相手は一振りで人間の胴を薙ぐ様な凶剣の使い手。呼吸を合わせ四方から飛びかかり最初の一太刀を命を張って止め、5人目がトドメを刺すという計算。手練れで無くても、というがそんな事が出来るのは十分に経験を積んだ人間だ。金に任せて奴隷で人数を揃えたとしても、そんな芸当が出来るのは十人に一人もいない。

 事実上、正攻法では無理、という事だった。

 ならば搦め手で。夜討ち、闇討ち、毒殺、等々。そういう邪法な手段を考えなくてはならない。


 だがそれも八方塞がり。

 目と鼻の先にまで肉薄したとはいえ、手がかりなんてものは欠片も無い。せいぜい、白装束の背格好と、三日月を模した美しい武具。その位しか目ぼしい情報は無い。

 武具は、当たる所を当たれば辿り着くかもしれないが、時間が無かった。

 あと8日足らずでは、もっと確かな情報が無ければ動けない。


 あーでもない、こーでもないと頭を悩ませている水原とシキと2人に、呆れた声で菖蒲の声が響く。


「悩んでたってしょうがないでしょ。最初の計画通り、もっと強い奴を仲間に引き入れるのよ。やるべきことをやっていれば妙案もその内浮かんでくるわ」


 菖蒲という女を、水原は陰湿の極みの様な邪法使いの陰陽師と思っていた。しかし、もっとさっぱりとした性格の女なのかもしれない。てきぱきと弁当箱を片付け始め、淀みそうな空気を吹き払う様に、竹を割った様な快活な声が2人の思考を止めていた。

 それから、懐から取り出した呪符を床に丁寧に並べていく。


「何してるんだお前?」

「掃除よ掃除。集めた仲間をここに集めるんでしょ? だったらもっと過ごしやすい場所にしなくちゃ」

「いや、いつそんな話に……。というか普通に宿をとればいいと思うんだが」

「そんなお金あるの? 言っておくけど私は出さないわよ」

「いや、こう、懸賞金の前借的な……」

「私は出さないわよ」


 菖蒲の迫力に気おされ、水原が押し黙る。彼も蓄えが無い訳ではないのだが、そう何人も雇えるような資金は無い。

 イブキという強力な駒と、坂上という人間の力を借りればいかようにもなるという当初の目論見は崩れていた。彼等が居ても勝てるかどうかは分からない。そもそも思い通りに動く確証も無い。

 搦め手で行くとしても、犠牲を覚悟で正攻法を取るにしても、己の自由になる人間の数は欲しかった。

 打てる手は打っておく、そんな必要を思う。


 目を閉じながら菖蒲が何かを諳んじる。すると足元に並べられた呪符が淡い光を放ち始め、そこから5、6歳頃の猫耳を頭に付けた子供たちが浮き出てきた。


「な、何だこれは」

「何って式神よ。どうせ貴方達だけだと陽が暮れちゃうから、この子たちに掃除を手伝ってもらうの」


 菖蒲が、呪符で呼び出した小さな子供たちの式神に指示を出すと、何処からか用意してきた掃除用具を持って彼等が屋敷中の掃除を始めた。


 これ要らないわよね、これも要らないわよね。一応水原に確認は求めるものの、ほとんど彼の許可を得ることなく、菖蒲が式神と共に邸内の不要なモノを処分していく。

 いや、これは取っておきたい、と時々水原が呟くものの、この前いつ使った、そう言ってると片付くものも片付かないわよ、本当に大事なモノならこんな所に放っておく訳ないでしょと、何倍返しにもなって言葉が返ってくる。

 

 閑散としていた様に見えて、モノを一所に集めていただけの邸内がどんどんと片付いていく。生活に必要なモノと、貴重なモノ、水原が大切にしていたモノ以外の荷物はことごとく処分され、広さを取り戻した邸内を式神達が片っ端から綺麗にしていく。


 邪魔だから、と。そうして水原とシキが屋敷の外に追い出されてしまった。庭も手入れするから、と、門の外まで追い出される。

 水原とシキが顔を見合わせて、そして苦笑する。


「なんか、ごめんな」

「いえいえ、屋敷が片付いて良かったじゃないですか」


 死線を共にくぐった事で、随分と距離は縮まった様に感じていた。白装束と闘り合った時の話をすると、どうしても後ろ向きな内容に終始するから、菖蒲が持ってきた弁当が旨かったな、なんて。世間話に興じる。

 そんな無駄話が、止まる。今まで笑みを絶やす事の無かったシキが鋭く周囲を見渡し、水原に目配せをしながら人差し指を唇に当てる。

 水原も、近くの物陰に何かの気配を感じ取った。

 こくりと頷きながら目配せをする。


 一呼吸の後、獣の様にシキが地を蹴った。

 物陰でこちらを窺っていた男は、驚嘆の声を一つ上げた後、為すすべもなくシキに取り押さえられる。

 地面に顔を押し付けられるように拘束されている男は、見た顔だった。


「お前は昨日の男じゃないか」

「……知り合いですか?」

「まぁそういうことになるのかな、おい、まだ俺に何か用か」


 彼は昨晩、勘違いで水原に襲い掛かってきた男だった。

 ガタイがいいだけで、やはりマトモな戦闘訓練は受けていない様子だった。こんな簡単に摑まるようでは間者にしても余りにお粗末。昨日の逆恨みでお礼参りに来たにしては、武器を携えた様子も無い。危険は無いと判断するしかなかった。

 シキにきっちりと関節を極められ、痛みにもんぞり打ち喋るに喋れない様子の男に少し同情心も湧く。


「離してやってくれ」


 シキが指示通りに拘束を解く。男は土が口に入った様子でひどくせき込んでいる。


「改めて問うぞ。俺に何の用だ」


 分かり易く剣の柄に手をやりながら再度問う。

 男の反応は予想外のものだった。


「お、俺を家来にして下さい!」

「は? 家来?」


 余りにも想定外の事で、水原がオウム返しに言葉を返す。

 驚いた顔を浮かべていたシキもすぐに状況を理解した様で、昔を懐かしむ様に、決して嫌味からではなく薄く微笑みを浮かべる。


「まてまてまて、何がどうしてそうなった。順序だてて話せ」

「いいじゃないですか。男が男に惚れる瞬間てのはありますよ。この人の為に生きたいって」

「シキお前は今本当に茶々を入れてくれるな。本当に今唐突の事で混乱しているんだ」

「昨日のあんたの、いや貴方様の剣裁きは本当に凄かった。俺も貴方様みたいになりてぇ」

「わかった。いや違う、そういう意味じゃない。少し整理するからちょっと黙ろうか」


 往来の真ん中で、地べたに座らせ続ける訳にもいかないから。仕方なく男を立ち上がらせ、仕方なく男に事情を説明させる。


 男の名前はタロウ。

 水原の予想通り、都に住まう町人ではなく、地方から流れてきた農民だった。

 都とそれ以外。この国を大別すると、その二つに分けられる。朝廷も都の民も、地方の民も、そんな認識を持っている。

 それほどに文化的にも物質的にも都が発展している証左だが、同時にこの国を差配する朝廷にとっても、都とそれ以外、という感覚は根深い。


 都で殺人が起きれば一大事だが、地方で起きても誰も騒がない。律令はあっても機能することはほとんどない。地方では、その土地の権力者によっていかようにも法は捻じ曲がる。

 だから朝廷が定めた以上の税を課せられても、地方の民は苦しむしか術はない。訴え出るところも、税を検分するのも、法を履行するのも地方の権力者なのだから。

 力無き民衆の行く末は悲惨でしかない。

 富も、尊厳も、希望も、命すらも絞られて奪われる。まともな生活が送れる保証はなくても、そんな生活を逃げ出す者は後を絶たない。


 噂を頼りに、こうして都にやってくる者は多く居る。

 だが皆すぐに現実を思い知る。

 地獄から逃げ出したつもりで、また別の地獄にやってきたことを。

 学も、伝手も、力も無い人間が、都で真面な人生は送れない。路地裏に転がる浮浪者の数が増えていくばかりだ。


 タロウという男も、そういう人間の一人だった。

 ただ、現実に絶望して投げ出すのではなく、己の現状を変えようと無鉄砲でも動くことが出来る。そんな稀有な才能があった。


 そうして夜な夜な殺人鬼を探して回り、男女の二人組を付ける怪しげな男に襲い掛かったという事が、水原を襲った顛末だった。


 純朴な瞳と顔つき。詐欺師に簡単にカモにされそうだなと思わせる程、まっすぐな瞳。

 水原の剣の腕前に惹かれた、というのも本当だろう。学も、伝手も無いのなら、力を付けるしかない。しかしそういう打算めいた考えの奥に、純粋な熱を感じさせられる。


「……俺の家来になる、ということは、賞金を諦める、ということだぞ。いいのか? 命の張り処だぞ」

「いいんです。貴方様にやられた時、こういう人が本物なんだって思い知りました。貴方についていきたいんです」

「では、俺の為に死ねるか?」


 一通りタロウの話を聞いた後、あえて声音を低くして、そのまっすぐな瞳を射貫きながら水原が問うた。

 逡巡の後、タロウは首を横に振る。


「いや、俺はまだ死にたくねぇ、です。でも、それ以外の事なら何だってやります!」


 その答えに、苦笑が漏れる。それはそうだよなと、苦笑は満面の笑みに変わっていく。

 水原の他、シキも笑いだした事でタロウが不安げに2人の様子を見守る。


「当分の間給金は出せないし、殺人鬼事件を解決する確証は無いぞ」

「構いません!」


 躊躇ったりはしないんだなと、眩しく思う。そして一つの記憶を思い出す。

 思い出すのは、坂上という男と共に地方を回っていた時代の事。

 家を再興する。そんな漠然とした目的を追いながら何をしていいか分からなかった時。憧れて、着いていきたいと思ったのが彼だった。

 死んだ目で楽な道を往くのではなく、険しくても高潔な道を行くあの気高さに憧れた。


(彼もこんな気持ちだったのだろうか)

 

 タロウの眼差しに、そんな事を思う。

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