第22話 不協和音

 タロウの葬儀を終えて、水原の屋敷に戻ってきた一行は空腹を満たすために食事を取り始める。

 いつかと同じ、追体験をしている。

 そんな既視感があるが、決定的に違いも浮き彫りになる。

 

 率直で、愚直で、からかいがいのある賑やかな男の姿が無いだけで、こうも雰囲気が異なる。

 水原だけでなく、誰もが喪ったものの大きさを突きつけられる。


 2度目の邂逅も失敗に終わり、8人目の最期の機会だけが残っている。

 戦わない、という選択肢はない。

 ここで投げ出せるようなら、そもそも鬼と対峙するなんて、そんな危ない橋を渡りはしていなかった。


 だが心持は大いに違う。

 それぞれが、重い荷を担ぎうなだれている。


 イブキは、食事を終えると早々に自室となった一室に引き籠りに行った。

 流民の兵士たちは、8人目の時にまた声をかけてくれと屋敷を後にし、シキも途中まで付いて行くと屋敷を離れた。

 約束の給金の他、タロウの親族の方へと財産から切り崩した一部を渡せたが、彼には直接の血縁者はもう居ないらしかった。彼が所属していた共同体で使われるらしい。


 再び屋敷に静けさが訪れる。

 厳かなものではなく、火が消えたような寂しさを伴って。


「諦める、なんて言わないわよね」


 傍らに菖蒲が居て、その神出鬼没ぶりに驚きも呆れも思わない。それが自然でごく当たり前のようにすら思う。


「そんな事はない。ここで投げ出せるなら、最初から話に乗っていないさ」

「ならいいけど」


 自分に言い聞かせるように告げた言葉に、菖蒲が一定の納得を示す。


 しかし、八方塞がりなのも事実であった。他者よりも情報を持っているという有利は消え、戦場に数多の人間が押し掛ける事が予想される。そんな中でどう戦うか。それよりもやはり被害者の共通点から背後関係を洗う方が早いかもしれない。

 水原達が最初に遭遇した6人目の被害者。彼は、目的を持ってあの場所に来た。

 そこに鬼が現れ、襲われた。

 鬼に血の八芒星を描かせる。

 そのために、生贄を用意している者がいる。


 あの時の女を検非違使に任せたのが不味かった。本当に何も知らないのであれば、男が自らあの場所に向かった事になる。そうなれば男の交友関係の中にその場所に向かうよう仕組んだものがいる。女が何者かによって男を誘導する様支持されていたのなら、その線を探れば何者かに辿り着く。


 そんな事を思っても結局何も出来ない。検非違使の下っ端として何も碌な権限が無く、あの女を個人的に洗う事が出来るような金も人も持ち合わせてはいなかった。

 つくづく、自信の無力さを水原は呪う。


 考えても仕方が無い事ばかり浮かぶから、そっと目先を変える。

 屋敷内で、菖蒲がまた香を焚こうとしている。


「本当に気に入ったんだな、その香」

「まぁね。でも今は結界を張りたいからかな」


 菖蒲に話しかけてみれば、またいつぞやの結界談義の続きをしてくれるらしい。


「どういうことだ」

「……やっぱり人の念は強いのよ。どうしてもあぁいう場所は憑きやすいから。一応ね」


 具体的な内容はぼかされる。知らない方がいいのか、説明が面倒なのか。水原も追って聞き出すことはしなかった。

 伽羅の香りが邸内に漂う。意識をすれば、香の中に確かに草花の澄んだ匂いが微かにある。

 以前、イブキが教えてくれた、菖蒲の香り。


「そういえば、何故鬼の身柄を求めているんだ。詳しい理由を聞いていなかったな」

 

 あくまで雑談として、そんな話題を振ってみる。


「どうしても話さなくてはならない?」

「……いや、そういう訳じゃないが」

「なら、このままでいましょ。貴方は賞金を、私は鬼の素体を手に入れる。それで互いに万々歳よ」


 ある一線からは、彼女は誰にも心を開かない。

 少し打ち解けたという思いも、そうして砕かれる。


「むしろ貴方はどうして賞金が必要なの?」


 完全に帳が降ろされたと思ったが、少しは興味を持ててもらっているらしい。

 水原が言葉を紡ぐ。


「家の再興の為だ」

「……と言うと? 具体的には?」


 続けられた彼女の疑問に答える。


「そのままの意味だ。この家は広いだろ、昔は多様な人間が出入りしていたんだ。そんな在りし日の姿に戻すんだ」

「それは本当に本心から?」

「……どういう意味だ」

「いえ別に。……何だか借りてきた言葉みたいに聞こえたから」


 菖蒲の言葉に、嘲りの色や蔑んだ思いは無かった。

 お互いに少しずつ心を開いていて、そんな軽口が許されるかもと発した言葉。

 ただ状況がそれぞれに良くなかった。


 追い詰められている、という思いと。友を喪ったばかりの喪失感がまだ鮮明に残っている。それを和らげるための雑談の筈なのに。

 7人目は鬼が直接殺めた訳では無い。儀式として、どんな扱いとなるのか。それを確かめなくてはならないのに。

 言葉は意のままにならない。


「悪かったな、夢想者の大言壮語だよ、確かに」

「そうは言ってないでしょ」

「じゃあどういう意味だよ」

「…………本当にそんなものを望んでるようには見えないって言ってるの。もっと別の――――」

「あのな、貴族が立身出世を望まず我家の繁栄を目指さず何の為に生きるんだ。鳥が空を飛び、蛇が卵を生む子孫を為すほどに自然の理だ」

「空を飛ばない鳥も居るし、蝮はお腹で子を育むわ。貴方は何だか無理して――――」


「分かった様な口を聞くな。貴族の男子として生まれた者の気持ちが分かるものか」


 時に意図せず言葉が口をついて出る事がある。

 それでも放った言葉は、相手に届く。届いてしまう。


 菖蒲の目から光が消える。熱を帯びていた筈が、不自然な程に温度を無くす。


「……そうね」


 それで会話は打ち切られる。しまった、という思いから水原が何か言おうとしたが、形にはならなかった。


 気まずい沈黙。

 冷静になればいいだけのはずなのに、それが出来ない。



 水原が歩み寄れないでいる間に、屋敷には来客があった。

 ずかずかと遠慮なく踏み入ってくる検非違使の一段と、上役。

 その男は水原を視界に収めると勝ち誇る様にせせら笑って見せる。


「これ程の屋敷に住みながら使用人の一人も居ないとは、嘆かわしいの水原」

「……何の用です」

「無論、検非違使の務めを果たす為である。咎人を捉えに来たのだ」


 仰々しく、不敵に上役はそう告げて、懐から懐紙を取り出し読み上げる。


「水原の光。貴様を大江の捨介殿の殺害容疑で逮捕する」


 あまりにも身に覚えのない罪状と冤罪に、水原が固まってしまう。

 その隙を逃さず、同僚たちが容赦なく水原を囲み縄を取り出す。


 大江捨介。聞きなじみの無い名前だが、記憶の線を辿ればある人物の名前がそんな名前だった。

 昨日、鬼の襲撃を受けた大江家の御曹司。今を時めく時代の寵児の名前が、確か捨介という名前であった。

 

「一体何の冗談だ。昨日の襲撃は我が家門の者により返り討ちにし、同じく我が家門の者から死者が出たが、それだけだ。防衛には成功した筈だ」

「我々もすっかりと騙されていたぞ」


 誤解だと訴える水原を容赦なく検非違使の兵士たちが捉える。

 地面に押し付けられる彼を、下卑た笑いを続けながら上役が喋る。


「皆を鬼に注目させている間に、貴人の命を奪うとはな。蛇蝎のごとき卑しさよな」

「冤罪だ。俺自身は昨日友の死を知るまで屋敷に謹慎していた。坂上殿がその証人だ。それに、大江邸に送った家の者は2人しかいない。1人は衆人環視の中鬼と戦い、もう1人は鬼を追う間に不幸にも死んだ。俺にそんな事が出来る筈が無い。これも坂上殿が証人だ」

「その坂上殿の証言である」


 一瞬、上役が何を言っているの分からなかった。頭が真っ白でいる。


「その坂上殿が貴様が犯人であると証言したのだ。言い逃れ様の無い決定的な証拠であろう」

「……ま、待て。本当に坂上さんが?」

「あぁ。天地天命に誓い貴様が犯人であると証言をした。失脚したとはいえ、あれほどの人物の誓言だ。疑う余地は無い」


 頭が真っ白でいる。ただただ真っ白に居る。

 何も力が入らず、目を丸くしてただ呆けている。

 覇気を失った体。都に戻ってきたとき、あらぬ罪で捉えられた時よりも深い絶望。


「全く手こずらせおって。さっさとこんな薄汚い所を離れるぞ」


 どこか遠くで話される、どこか遠くの国の言葉の様に、何もかもが耳に届く。

 促されるままに罪人として家を引きずり出され、通りを歩かされる。

 何か質の悪い冗談の様な、悪い夢のようだった。


 しかし、冷静になっていく頭もあって。どれだけ否定したい気持ちがあっても、確かな事実が一つあった。

 坂上にハメられた。

 

 白く、まだ真っ白の頭の中に、そんな怨嗟が渦巻き始める。

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