第21話 葬儀

 水原が駆けつけた時、現場は騒然としていた。顔見知りの検非違使の同僚が謹慎中の筈の彼を咎めようとしたが、意に介さず人混みの中に分け入る。

 検非違使の一隊と、貴族の私兵の集団と、シキと流民の兵隊たちの一団と、賞金狙いの野次馬達、そんな人波に囲まれる様にその遺体はあった。

 タロウの死体。

 彼の遺体はどこかに手を伸ばしながら、無残に果てていた。その顔は苦しさで一杯で、怨嗟を残している。

 死体に殺傷の痕跡はみられない。ざっと検分しただけでも、刀ではなく撲殺されたことが分かる。痣や打撲痕の他に、あらぬ方向に腕が曲がっても居る。

 何も映さないその瞳に、せめてもの慈悲にと瞼を閉じてやろうとして、背後からぴしゃりと声が飛ぶ。


「触るな。その流民の死体は検非違使で検分を行う。分を弁えろ、水原」

「ふざけた事を抜かすな! 後からのこのこやってきて偉そうなことを!」


 尊大な態度の検非違使の上役と、掴みかからん勢いで怒りで我を忘れているシキと、彼を取り押さえる兵隊たち。

 知らせを受けた時より状況は悪化しているようだった。


 制止も、怒号も、無視をして。タロウの額に手を当てて、温かさを無くした温度に触れる。

 血の巡りも、息遣いも感じられない。死が、それで強く現実になる。

 友の瞼を下ろしてやる。

 怨嗟を残した顔が、心なしか和らいだように見えた。


 事の顛末は、滑稽なものだった。

 大江邸での戦いで命からがら鬼は逃げ出した。その鬼を追ってタロウが通りを駆け抜け、そのタロウを鬼と見間違えた賞金狙いの一団と戦闘になり、更に勘違いした貴族の私兵の一団が更に先頭に加わったという事だった。

 多勢に無勢。

 勘違いだと強くタロウは叫んだらしいが、言葉は届かず、そうして物言わぬ死体になった。

 彼と戦闘になった際、多くのけが人は出たらしいが死者は彼しか出ていない。

 わずかな時間で随分と腕をあげていたらしい。


 月明りは半月で薄暗いとはいえ、鬼の姿かたちも分からず疑わしい者に闇雲に襲い掛かっているのだから、本当に滑稽な顛末だった。


 噂だけを頼りに鬼の首を獲りに来た賞金狙いの一団も、誤報に踊らされるがままの貴族の私兵たちも、大捕り物に出遅れ状況に横やりを入れるだけの検非違使も。

 友を死地に送ったかもしれない、そんな自覚がありながら何もしないでいた自分自身も。とにかく、何もかもが滑稽だった。

 

 流民の、都に流れ着いてきた彼等の命は軽い。税も納めず、食うために悪事を働き、場合によっては都の街路に骸を増やすだけの棄民と、検非違使の連中は彼等の事を捉えている。

 検非違使の職を、出世の足掛かりくらいにしか上役は捉えていない。中級や下級貴族の同僚たちは、武器を携えることが出来、都の民にデカい顔が出来る名誉職くらいにしか捉えていない。

 水原は長く検非違使の職に就いている訳では無いけれど、そんな実態にずっと呆れていた。


 都の殺人事件の騒ぎの最中に生まれた死体だから、随分と上手く政治利用する事だろう。

 鬼に誂えるのかもしれないし、鬼と相打った悲劇の英雄に仕立て上げるのかもしれないし、鬼退治を妨害した者として流民成敗の口実にするのかもしれない。政治に疎い水原でもそんな顛末を思うのだから、彼の死体を検非違使に引き渡す訳にはいかない。


 そんな事をすれば。自分がどれだけ面倒な立場に追いやられるかは分かっている。

 でも、もうほとほとに呆れていた。何もかもが嫌になるほど呆れかえっていた。


 彼の亡骸を、辱めたままにしておく訳にはいかない。

 彼の腕を自身の首に回して彼を起こそうとしたが、死んでしまった人間の体は途方もなく重かった。


「変わろう」


 そんな水原の行動に助け舟を出す者が居た。イブキであった。


「……頼む」


 そう水原が告げるとイブキは神妙に頷いてみせ、彼を担ぎ上げた。丁度シキの配下が何処からか木板を都合してきたようで、タロウがその上に寝かされる。


「水原、貴様分かっているのか? これは我々検非違使に対する明確な背信行為であるぞ」


 ドスを効かせて、検非違使の上役が水原に言う。

 この期に及んでもそう言葉で脅すだけ。本当に言う事を聞かせたいのなら配下に捕らえる様命じればいいのに、彼等はそんな事はしない。

 結局はその程度の人間なのだ。

 遊戯に興じながら片手間に数多の人間を屠る政策を決める怪物でもない、失うものも無く今日喰うモノの為に命を懸ける様な人間でもない。野心を忘れる様に勤め、職に相応しい様に在る勤勉な官吏でもない。怪物になる覚悟も官吏となる能力も無い、良い家柄に生まれただけの哀れな生物。

 怒りが沸点を超えていて、とても頭が冷たい。

 目の前の小太りの男が、そんな無価値な存在に水原には見えていた。


 検非違使の一団が、水原のその瞳に戦慄する。

 冷たく、只管に冷たく、虫けらでも見る様に何の感情も浮かばない瞳。それを見て思い出す。

 

 理解が及ばない存在を怪物と呼ぶのであれば、彼等にとって水原こそが怪物であった。


 没落したとはいえ上級貴族に連なる一族の生まれで、ケガレを最も忌避するはずの人間が下々の者と交流することも亡骸に触れる事も厭わず、形骸化しつつある検非違使の本来の在り方を為そうとしている。

 普段は温厚で蚊すら殺せない優男のくせに、必要があれば死地に赴くことを躊躇わない。

 何よりも、彼は自身の正義の為ならばこうして平気で権威に盾突く。

 貴族の世界で、その理に生きる者にとっては、常識外の存在だった。


 結局彼等は次の言葉を紡ぐことが適わず、タロウの死体を担ぎ、一行はその場を跡にした。



 闇の中を松明の葬列が行く。

 不幸にも戦いで散った友の亡骸を担ぎ、数十にも上る朋友が都の街路を行進する。


 遺体はケガレとされるから、屋敷に向かう事は出来ない。

 流民の隠れ里に連れていき彼等の所在を露見させる訳にも行かないから、葬列は東の地へ川を渡る。

 この時代、庶民の葬法は風葬で。人里離れた野辺に置くことだった。そうして山に、川辺に遺体は重ねられる。


 骸が並ぶその河原は忌み地として忌避されている。

 生者が長く佇む場所ではない、死人の土地。

 橋を渡り、葬列が異界へ足を踏み入れる。


 角が無くなった丸い石が石畳のように続く。

 橋を渡った先から、臭いが違う。川と草の匂いの中に、確かに腐臭が漂う。貧民窟と少し似て、けれども確実に異なる臭い。

 そんな死臭の中、所々に転がる骸を避ける様に葬列は続く。


 橋の近く、葬場の近くはこうして人々の目に姿がさらされるから、慈悲深い葬送が行われた亡骸程遠くに運ばれる。ただ転がる骸ではなく、むしろが掛けられたり比較的身なりの整った亡骸が転がり始める。


 先頭の松明の照らす先には、時々赤く灯った光と、闇の中を蠢く気配がある。

 獣や妖の類ではない。それは人間だった。すぐに姿を隠すが、息を殺しこちらを窺うように瞳だけは光を返す。

 

 本当に行き場が無くなった人間がこの場所に居付く。状態のいい骸から衣服を剥ぎ、歯を奪い、髪を抜き、それを都で売りさばき生きる糧にする為に。

 陽の下では躊躇われるそれらの行いも、こうして人目の付かない夜ならばと蠢くのだ。


 そうして先頭の松明が止まる。ここならばと、彼を葬る場所を見繕って。

 タロウの遺体を河原の石の上に並べ、せめてもの筵をかけてやる。身分の高い者ならば副葬品を並べたり土に埋める事もあるのだろうが、何も持たない彼等にはそれが精一杯で、ここまで運んだことが弔いであった。


 もう動かないタロウの亡骸を囲んで、葬列に加わった者達はただ悲しみに暮れる。

 葬列を取り囲む様に赤い光が漂っている。

 橋の袂ではなく奥まったこんな場所にまで亡骸を運ぶから。葬列の人数から見ても余程貴人の亡骸と思ったのだろう。何も持たず、それでも夢を追いそして敗れ去ったタロウから、世の中はまだ奪おうとする。


 それでもどうにもならない。ただただ世の不条理に、水原たちは詰まされる。

 悲しみと無力感にうなだれる葬列の中、一つイブキの声が響いた。


「これじゃあ駄目だ」


 それはとても小さな声だったけれど、葬列に続いた全員に響いた。誰もが、イブキの方を向く。

 額に戦傷を負い、前髪が切り払われたお陰でその双眸が露わになっている。はっきりと意思を秘めた力強い眼差しには火が灯っている。

 松明の光にその瞳は揺れ、静かに死を悼んでいた彼は、悲しみを振り払う様に声を上げた。


「俺達の、仲間の最期がこんな悲しいもので良い筈が無い!」


 力強い声が、静かな夜の川辺に響く。

 唐突な、そんな様子に皆が動揺している。しかし構う事無く、イブキはシキに命じた。


「シキ! これでありったけの薪と酒と豆殻を買ってこい」

「しかしこんな時間ですし……」

「いいから買ってこい! 店主を叩き起こし倍の値段で買い漁ってこい!」


 普段は温厚で、決して声を荒げる事のないイブキの声。しかし決して激情故のものではなく、悲しみに何も出来ないでいる皆を叱咤するものだったから、その声の指示に皆が駆けだす。

 残った者達で四方に十分な平らな場所を作り、枯れ草を辺りから見繕い始める。


 突然の奇行。

 余りにも猛々しく先導するから付き従っているが、皆の中には疑問がありながら彼の号令に続く。


 死人の土地で行われ始める奇怪な様子を、じっと、水原が見守っている。

 命は軽く、あまりにも死が身近にあるから、亡者との別れは初めてことではない。何度も友の死を見送ってきていた。

 葬儀は残された者の心のけじめに行われる。

 じっと水原が、イブキ達の様子を見守っている。


「タロウの事、残念だったわね」


 いつの間にか傍らに菖蒲の姿があった。こんな所にも現れるいつもどおりの神出鬼没ぶりに、驚きを超えて呆れた笑いが零れる。


「よくここが分かったな」

「その札」


 菖蒲が告げて、水原が思い当たる。この戦いの前に彼女から一枚の札を渡されていた。

 いつの間にか右手に収まっていたその札を、葬送の何処かで感情を隠す為に強く握りしめていたらしい。くしゃくしゃに潰れている。


「貴方の強い想いに呼応して私に伝わる様になっていたの。こんな結末だとは思わなかったけれど」

「……そうか」


 こんな結末。鬼を追いつめ捕らえる筈が、こうして仲間を失っただけに終わったのだから、本当にざまあない。

 怒り、なのか。悲しみ、なのか。不甲斐なさ、なのか。

 色んな感情が綯交ぜになって、水原の拳は強く握りしめ続けられている。余りの力に皮膚が破れそうになる程に。


 そんな震える拳に、菖蒲の柔らかい手が重ねられた。


「おい」

「しばらくこうしていてあげる」


 水原の咎める声に耳を貸さず、菖蒲が続ける。


「大切な人を喪ってしまった辛さは、知っているから」


 自傷の様に硬く握られる水原の拳に、菖蒲の柔らかい手が分け入って握られる。

 彼女の手を握りつぶす訳には行かないから、掌はただ彼女の体温を伝える。


 大切な人と言われて、水原の中で少し整理が付く。

 タロウという男は彼にとって大切な人間だったと。

 出会ってからまだ日が浅く、知っている事と知らない事ならば、知らない事の方がずっと多い。そんな間柄。

 それでも始めて自分を慕ってくれた存在で。大切な人だったのだ。

 


 シキ達が求められた品を持ってこれば、豆殻と枯れ草を底に敷き薪で木組みを作り簡素な櫓の様なものを作る。そして、彼の亡骸をその櫓に納める。

 何をするのかと、皆がイブキの言葉を待つ。


「いいか皆。これが本当にタロウとの別れだ」


 微かな風だけが吹く、静かな夜。イブキがそう言い放ち、櫓の底の豆殻に火打石を叩いた。

 

 豆殻は煌々と激しく火柱を上げる。強い炎は薪に火を灯し、火柱は次第に高く昇り、そしてタロウの遺体にも炎を灯す。

 鮮やかに炎が舞う。夜の闇を背景に、突如と踊り狂う炎の舞踏に皆が目を奪われた。


「戦いで散った俺たちは、こんな野辺で朽ちていっていいはずがない。夢を追って戦場に向かう俺達の情熱は、この炎の様に燃え盛っている筈だ」


 周りの者を焚きつける檄と言うには静かな声。けれど、炎が爆ぜる音だけが響く静かな夜に、その声はここにいる皆の心に染入る様に響く。


「それでも志半ばで散っていく者はいる。その度に俺たちはこうしてそいつを炎で送ろう。燻ぶった無念を炎で燃やし上げ、その志を俺達の心に灯そう。あいつの分まで、俺達は戦うと」


 闇の中に赤い炎が燃え盛る。

 ただそれだけの光景が、神秘的であり、原初的でもある。言葉にならない心の奥底に訴えかける様な、原始の光景。

 見惚れている。

 高い炎に魅入られている戦士たちに、イブキの言葉が染入っていく。


「さぁ、別れの盃だ。皆で一口ずつ飲み、タロウに別れを告げよう」


 何故そんな事を。

 そんな疑問を抱かせない内に、一人ずつ盃が回される。白木の盃に白い濁酒が注がれ、赤い炎が盃の中で揺れる。

 くっと一息に呑み干して、喉と臓腑に強く熱が齎される。

 この光景と、喉を焦がす酒精の強さと、滅多に口にする事の無い酒の旨さが、この瞬間を脳に刻み付ける。

 そうして戦士の全員がこの光景を魂に深く焼き付けた。


 亡骸を炎にくべて、その肉体も、残った未練すらも、一片も残す事無く燃やし上げる。

 そんな葬儀の光景に、それぞれがそれぞれの感想を思う。


 

 イブキという男が抱いたのは深い疑問だった。

 何故こんなことを行ったのか。体の内から叫びあがる衝動に身を任せての行動であったから、何故自分がこんなことを行ったのか分からない。

 知識として、かつて僧侶を荼毘に伏した火葬というものは知っていた。

 それでも何故タロウをそうして送ったのか、疑問は尽きない。


 生前のタロウの姿を覚えている。鬼を追い駆けて行ったあの後姿を覚えている。

 それが、ほんの少し出遅れただけで亡骸として対面するのだから、人生は儚い。


 都に降りて来て、華やかさも貧しさも見た。タロウの生い立ちとその結末はきっと幾らでも転がっているような物語なのだろうけれど、そんな便利な言葉で彼の死を納得するのは嫌だった。

 おそらく、それが衝動の正体。


 最期だからと盛大に送った所で、彼が報われたようには思えない。

 己の人生を変えようと思って都にやってきて、変える事が出来なかった。そんな結末が変わる事は無い。

 深い疑問を抱えそして強い虚しさをも、タロウを燃やす炎にイブキは思う。


 水原という男が抱いたのは、憧憬と嘆きだった。

 タロウの死を悼む。それをイブキは儀式に変えて、そして兵士達の心に火を付ける事に成功していた。

 人の命は軽い、でも自分の命は重い。だから、兵士は命を賭して戦う事なんてない。それが、徴税官として全国に回り、検非違使としても経験を積んだ水原の答えであった。

 

 ある国司の邸宅を攻めた日。怒りに燃えた立ち上がった農民でさえ、自分の命を惜しみ命令を聞かない者が大勢いた。その結果、多くの仲間を死なせてしまったとしても、人は自分の命の方が惜しい。

 そんな答えがあったから、重要な任は自分が行わなければならなかったし本当の死地に赴ける者はごく限られていた人間だと考えていた。


 それが覆される。

 この光景を経た後の兵士たちは、死を恐れる事無く戦う事だろう。友の為に、死んだタロウに恥ずかしくないようにと。戦の技術は低くても、死地に赴くことが出来る兵士に彼等はなった。

 一人の死を利用して多くの者に誇りと覚悟を植え付ける鮮やかな手腕。そんなものに水原は憧れを思う。

 そして、自分には決してそんな事は出来ないと、強く思い知る。

 才覚が無い事は勿論、大切な人間の死を道具にする、そんな非情に徹す覚悟が無い事にも。


 憧憬と嘆きを抱きながら水原はイブキを見る。

 よく知っている筈の幼馴染で義兄弟の様な男の、知らない側面を。

 

 菖蒲という少女はその光景を何処か羨ましく見ていた。

 陰陽師であり、陰陽師の中でも邪法を使う彼女にとって、究極的に意味を換言すれば他人は道具でしかない。

 訪れた死人の土地は、怨嗟と嘆きと悲しみに暮れる亡者の未練で溢れている。

 人には決して見も聞こえも触れる事も出来ないモノに触れる術を彼女は持っている。

 ただしあくまで、道具として。

 行き場の無い情念を束ねて、縛り、使役する彼女にとって、自分と杏奈以外の存在は道具でしかない。


 でも、タロウという人間の燃やし尽くされた亡骸にはそんなものは残っていなかった。

 炎が燃やし尽くしたのか、彼の死を悼む大勢の人間に安堵を得たのか。答えは分からない。


 人間が残す、死して尚抱える怨嗟を利用して式神とする。

 そんな業を術として扱う彼女にとって、何も残さない骸は全く価値が無い。

 そこに、羨ましさを少し思う。


 肉体の軛を離れることが出来た事になのか、そんな仲間が居た事になのか、未練に溺れ切っている自分と比較してなのか。

 とにかくも、自分の周りでは見たことが無かった光景に、菖蒲という少女は羨ましさを見ていた。


 シキという人間が抱えたのは、答えを得たという想いと、激情であった。

 誰にも話す事は無いが、彼はこうした亡骸が葬られる風葬地で生まれ育った子供であった。縁があって武山に預けられはしたが、死体から衣服を剥ぎ、河原で石を積む遊びに興じた少年時代を過ごした。

 彼にとって死体は生活の糧で、それ以上でも以下でもない。

 運び込まれた骸は衣服を剥ぎ盗った後、野犬に喰われたり、膨れ上がり腐臭を漂わせ、虫が集り見るも無残な肉の塊と化し、最後は白い骨だけを残す、醜い代物でしかなかった。


 武山では、肉体を鍛え上げると共に、仏道を学び、慈悲を学ぶ。

 慈悲は他者を慈しむ想い。理屈では分かっても、無残な姿に変わる人間を慈しめる対象にはどうしても思えなかった。


 けれどもこうして無残な骸に成り果てる前に炎にくべて美しいままにその存在を還し、彼が成し遂げられなかった想いは残った者が受け継ぐ。

 そんな行為は、慈悲という教えの一端を如実に表したもので、答えを得たような想いがあった。


 だからこそ同時に激情も想う。


 タロウの死を看取ったのはシキであった。

 賞金狙いの一団と貴族の私兵たちと大立ち回りを演じ、そしてついには事切れたタロウ。シキが分け入りその騒動を止めた時、彼は息絶え絶えで、視界も定まっていない様子だった。


「水原様と、イブキさんに、申し訳ないと」


 それがタロウという男の最期の言葉。

 今際の際に、そんな謝罪を口にする男だった。

 

 取り逃した鬼を追い、その棲家を探ったタロウの志半ばの無念の言葉。健気なその言葉に涙を止められなかったし、彼の命を奪った奴らが許せなかった。


 賞金狙いの一団と貴族の私兵たちは、勘違いではなく、明らかにタロウという人間の命を奪うために行動をしていた。

 仔細は分からない。どんな意図があったかも定かではない。明確なのはただ、鬼を匿う勢力がその背後に居る事。


 そいつらを殺しつくさずには居られない。

 そんな激情を、復讐をシキは思う。

 


 豆殻はとうに燃え尽き、タロウの亡骸も燃え尽きて、炎は下火になる。

 夜の闇が最も濃くなる明け方の直前に、死人の土地にまだ残る炎。

 周囲に転がる骸が、その弔いに呼応するように仄かな燐光を灯す。

 淡い青に囲まれて赤い炎が最後の気焔を吐く。


 そして、夜が明ける。

 闇の黒が払われて、朱が河原を染め、色を取り戻していく。


 真白に燃え尽きた灰と、灰の中に僅かに白い骨だけが残る。

 燃え盛った炎は、そうして白い灰に沈んでいった。

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