第20話 坂上
半月の夜。ケガレの為に喪に服さざるを得ない水原の姿は屋敷にあった。
彼や、その仲間たちはケガレを忌避している訳ではないのだが、世間はそうじゃない。ケガレを重んじる同僚に出くわす訳には行かなかった。
今宵は鬼が貴族街に出没する。
そんな有力情報が飛び交っているから、賞金を狙う者で今夜の貴族街は騒がしい。
鼻息を荒くする上役に見つかる訳にはどうしてもいかないから、彼の居場所は、今宵この屋敷にしかなかった。
月を見上げ、戦場に居る仲間たちの事を想う。
何も出来はしないのに、それでも思わざるは居られない。
シキ達を見送り、イブキとタロウを見送り、菖蒲も屋敷に戻ると姿を消していた。
鬼を捕らえた時は真っ先に彼女に連絡が行くよう特別な呪符を手渡されている。だが、まだ肝心の鬼を捕らえたという知らせは入ってこない。
イブキ程の手練れを送ったのだから、寝て待つくらいの器量が必要なのだろうが、自分でも呆れる程に肝が小さい。
うろうろと屋敷の中を忙しなく歩き回っている。
そんな水原の元に、来客があった。
「いよっ、水原。どうせ気持ちが落ち着かないだろうから、来てみた」
「坂上さん……」
来訪者は、協力者である坂上。彼が今夜の作戦の絵を描いた。鬼が襲撃する可能性が高い大江家へ護衛を送り、他の家にも護衛を送り、万が一取り逃がした場合その隠れ家を明らかにする為に遊撃隊を手配した。つまりは最高責任者だった。
「何でこんな所に居るんです」
「戦ってのは全部準備で決まる。不測の事態に対応する事もな。現場に俺の様な酔っ払いがいても邪魔になるだけだ。ならば、知己と飲んだ方が少しは有意義と思ってな」
現場に居ない理由をそう述べて、坂上はずかずかと邸内に入り込む。
こんなことをしている場合じゃない。そんな思いも生まれるが、他人の家を我家の様にくつろぐ坂上に何も言えないでいた。
何より、酔い方が普通では無かった。
酒に強いはずの男がこれほどに顔を真っ赤にし、酩酊気味に居る。
気持ちが落ち着かないだろうから。それは水原にだけではなく、坂上自身にも言い聞かせた言葉のようだった。
そうして、二人で半月の月を見上げながら酒を飲む。
アテは猪の干肉ではなく、明日の食事から拝借した乾き物が並ぶ。
「いつぞやとは違い豪勢だな」
「言うほど昔の事ではありませんがね」
かつての仲間たちと、共に食を囲み酒を酌み交わす事はあっても。こうして2人きりで酒席を設けるのは初めての事だった。
だから、何か特別な話があるのかもと思ったが、坂上の話は昔話に終始する。
地図を読み間違えて宿場に辿り着けず野営をしたこと、国司の館に討ち入る際に仲間たちとした会話、ずっと遠くの景勝地に目を奪われた話や、大雨による増水で川を渡れず幾日も汚い宿で逗留する羽目になったこと。
そんな監査官として地方を回っていた古い時代の、懐かしい話を交わす。
「随分と昔話ばかりですね、今夜は」
「……昔は良かった、なんて。言う事になるとはなぁ。年は取りたくねぇな」
しみじみと坂上はそう零し、ぐいと盃を乾す。
「あの頃の話が出来るのは、もうお前くらいだものな」
あの頃。監査官時代に坂上を慕い、坂上と共に全国を回った者は大勢いた。しかし坂上の失脚と共に散り散りとなった。水原は没落したとはいえ名家ではあったから都に残る事が出来たが、多くは地方に左遷された。
左遷先で不慮に事故にあったものも多い。
そのようにして、彼は翼も腕も捥がれていた。それでもかつて彼を慕った者の縁者からの信頼は一入で、多くの人間が彼の手駒として護衛の任に当たっている。
腐っても、若い世代の先頭を走る者だった。
自分も彼を慕った一人。その想いは、酒浸りになった今も尊敬の念として存在している。
「なぁ水原。お前は賞金を手にしたら何に使うつもりだ」
唐突に坂上は話を変える。しかし皮算用の戯言としてではなく、真剣な問いとして。
少し面食らいながらも水原は答える。
「使うも何も、家の再興、に使いますよ」
「クソ真面目な回答だ。面白くない」
「じゃあ坂上さんは何に使うんです」
「……俺も、再起を図る為に使わざるをえんな」
「坂上さんの答えも面白くないじゃないですか」
「ははは、本当にな」
自嘲の様に坂上が笑って、盃を乾す。瓢箪から酒を注ごうとするが飲み切ってしまっていた。
顔は真っ赤で、目もどこか明後日を見つめている。それでも話す言葉だけはしっかりしている。
「本当はな、東と北の果てに新しい都を作りたかったんだ」
余りにも荒唐無稽で、余りにも不敬な話。酒にこんなに飲まれなければ吐露することも無かったであろう坂上の真意。
じっと、水原は耳を傾ける。
「でもな、この国ではしがらみが余りにも多すぎる。そしてしがらみが多いから不平を呑み込まなくてはならない。そうして溜め込んだ不満が人の目を曇らせる。目が曇れば他者の存在を慮れず己の都合ばかりを考え、そしてまた誰かにとって都合のいいしがらみが出来上がる」
監査官として全国を回って、理不尽な物は嫌というほど見てきた。
荘園から貢物さえ滞らなければ地方の統治には関心を示さない貴族、己の富を得るために法以上の税を課す国司、帳簿を改ざんし小金を摘まむ役人、生活が苦しくなれば子供を売り先祖伝来の土地すら手放す農民、すぐ隣で惨劇が起きても自身に火の粉が降りかからなければ関心を示さない荘園領主。
嫌な物は散々見てきた。
「そういうしがらみが一切ない、新たな都を作りたいと思っていた。俺の祖先は蝦夷と戦った。北と東の果てには手つかずの大地があったと昔話を聞かされてな、そんな事を夢想していた。……まぁただの、子供の戯言だな」
赤ら顔の坂上は随分と酔いが回っているようで、柱に背を預けながら、大きくゲップを吐く。
「……坂上さん、流石に酔い過ぎですよ」
「そう、かもな」
坂上を助け起こそうとして、それを制される。自分で歩けると、柱を伝いながら坂上は立ち上がる。
「なぁ、水原。お前が言う家の再興って何だ?」
「え?」
突然に問われ、言葉に詰まる。
唐突過ぎた事もあるが、具体的に紡ぐ言葉は持ち合わせてはいなかった。
漠然と、それを追わねばならなかった。
「すまんな、あまり楽しい酒では無かったな。押しかけておいて悪いが、今宵はここまでにするわ」
「送っていきましょう」
「大丈夫だ。上等な酒は酔わないらしい。多少ふらついても帰れるさ」
「ですが、昨今は物騒ですし」
「今宵はその親玉の鬼が討ち果たされるかもしれん夜だ。それにこれだけ検非違使が出張っていれば、物盗りも出るまいよ」
そうしてふらふらと庭先に出た、門へと進んでいく。
「ではな、水原。さらばだ」
嫌な予感がある。そのふらつく後姿に何か不吉なモノを一瞬水原は感じたけれど、すぐに頭から払う。
さらば。そう言ってかつての仲間たちは地方へと向かい、そして誰も帰っては来なかった。
今生の別れになる。そんな事は決してないのだろうけれど、何か決定的に袂が分かたれたような、そんな苦い後味があった。
なかなか来ない報せを待っているから、そんな事を思ってしまうのだろう。
そう思い込む。
部屋に戻り酒席の片づけを始めて、片付けを終えた。また手持無沙汰になってしまったため庭をうろうろと歩き出した。
その時、再びに来客があった。
「水原様!」
そう駆け込んできたのは、シキと共に遊撃隊に加わった流民の兵隊の一人。
ぜえぜえと息絶え絶えに、それでも必死に血相を変えて彼は言葉を放った。
彼が語ったその報せは、最悪の内容だった。
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