第8話 一度目の邂逅

 水原がシキ達の元に駆け付けた時、荒れたその辻に5人の人間が居た。

 腰を抜かし、倒れこんでいる男と女。これは先ほどのカップル。そして、シキと菖蒲。

 菖蒲はシキの背後に居て、何か呪符の様なモノを手に何かもごもごと唱えている。シキの方は菖蒲を背中に匿いながら、そいつと相対していた。

 そいつ。

 長身で、でもすらりと体躯は細く白装束を身に纏っている。頭にも白い薄絹を被っていて、表情どころか男か女かもわからない。

 その白装束には返り血と思われる赤い斑点が付いていて、おそらくシキのものだった。


「水原さん! こいつに手を出しちゃ駄目だ! 相当やる!」


 水原が追い付いた事に気が付いたシキがそう声を張り上げる。彼が装備していた棒が細切れにされ地面に転がっていて、左腕を負傷した様で必死に右手で傷口を塞いでいる。両手が使えない状態ながら、視線だけはそいつから離さない。


 そいつも、手負いのシキではなく水原へと視線を向けた。


 美しい光景だった。

 天頂には三日月が聳え、白装束姿のそいつも、三日月を思わせる、月光に煌めく湾曲した剣を持っていた。

 携える三日月がゆらりと揺れて、一息でそいつは水原の目の前にまで肉薄した。


 高らかに剣を構え、流麗を思わせる程滑らかに剣が袈裟切りに振るわれる。

 先ほどの暴漢に対応した様に手が剣に伸びようとして、咄嗟に身体が後ろへと飛びのいた。恐怖なのか本能なのか、とにかくそいつの振るった剣が水原の目前を掠め、空を斬る。

 聴いた事も無いほどの鋭い風切り音が、水原の居た場所を切裂いた。

 

 剣の間合いの何倍もを飛びのき、とりあえずの安全を確保した後、水原は思わず首に手をやって離れていない事を確かめた。

 胴にはまだくっついていて、しかし温かい感触が掌を伝う。

 首は無事だった。あまりにも鋭すぎて、ほんの少し切っ先が頬を掠めていたことに気が付けなかった。だらだらと零れる赤い血だけが、現実味がある。


 これが、鬼。


 本の一瞬。体が咄嗟に反応しなければ間違いなく首筋を、頸動脈を斬られていた。

 バクバクと心臓が早鐘を打ちながら、氷でも被ったみたいに全身ががちがちと震える。


 これは人の手に負える存在じゃない。


 そんな弱音が頭を過ぎるが、頭を振って叩きだす。

 じゃあただ座して死を待つのか。

 恐怖に気付かない振りをして、思考を可能な限り冷たく研ぎ澄ませる。なけなしの勇気を振り絞り、震える足を無理やりに誤魔化す。

 鞘から、直刃の剣を水原は抜いた。


「シキ。一撃目は何とかするから加勢を頼む。菖蒲は隙を見て何とか逃げろ」

「……わかりました」

「ま、待ちなさいよ。私もやるわ! ここまで来ておめおめ逃げるなんて出来ないわ!」


 水原の提案に、シキが覚悟を決め、菖蒲が声を上げて虚勢を張る。


「この呪符で、何としても度肝を抜いてやる」

「そうか。なら、初撃は任せるぞ」


 戦闘の心得がある、水原とシキが視線を外すことなく隙を窺い続けていたが、白装束のその敵は静かにそこに在り続けた。

 余裕なのか、興味が無いのか、様子を窺っているのか。彼等が攻撃の準備を整えている間も優麗にそこに在った。

 その気になれば一息で全員を斬殺出来るだろうに。


 水原がまず駆けた。剣を懐に、体に密接させるように携え、切っ先だけは正確に急所を狙いながら。


「破っ」


 気合を吐きながら、菖蒲が呪符を飛ばす。ただの紙切れの筈が矢のように鋭く白装束を捉える。

 呪符が届く瞬間、白装束が剣でそれを払おうとして動いた時、呪符が突然大きな火の玉へと変わり襲い掛かった。

 目の前の突然の変化に、余裕の様子だった白装束が、慌てて身を翻し態勢が崩れた。

 水原はその隙を逃さない。駆けた勢いのまま間髪の間を置くことも無く、前腕と剣とを白装束の首筋に突き入れる。

 

 突き剣は点の攻撃である。振りかぶる、振り下ろす、或いは薙ぎ払う、そういった攻撃の初動作が無く動きが即攻撃に繋がる最速の攻撃。

 躱されれば脆いという弱点があるものの、実力差がこれほど開いた状況ならば、最良の、唯一の選択だった。

 相手の行動を2、3手は想定している。躱されても、この間隙を突いて背後からシキが肉薄している。

 菖蒲の呪符は初めて見るが、必殺とも言える連携に手ごたえが水原にはあった。

 しかしすぐに絶望へと叩き落される。


 水原の最速の突き剣は、躱される事は無かった。正確に首筋を狙った筈なのに、剣は届かない。それどころか更に高速の白装束の剣が、水原の剣を根元から斬り上げていた。

 背後から襲い掛かったシキも、既に相手が体勢を整えてしまっているから奇襲の意味をなさない。彼の拳は躱され、逆に襟首を摑まれてしまい、勢いそのままに投げ飛ばされてしまった。

 剣を斬り折られてしまった状態で、水原の目の前に白装束がいる。

 飛びあがった剣の欠片が地面に落ちる、乾いた音が辻に鳴り響く。


 目の前にいる白装束がその剣を振るうだけで命が潰える。

 死を覚悟するしかなかった。

 体はぴくりとも動かない。代わりに視界だけはやけにはっきりと相手を捉えている。

 

 白装束が纏った薄絹が舞い上がっていた。薄絹が降下するまでの間、赤い瞳と目が合う。

 血と死の匂いの中に、ふわりと香の香りがする。寺院や内裏内で嗅ぐ伽羅の香の中に、柔らかな花の匂いを。


 刹那の様な、あるいは数分にも感じるような時間が終わっても、水原の首はまだ胴と繋がっていた。

 何故白装束がトドメを刺さなかったのかは分からない。

 

 いつの間にか腰を抜かしている貴族の男の元に白装束の姿はあって、無慈悲に、その三日月の様な流麗な剣を振るった。

 男の胴は一薙ぎで両断され、命が果てた。


 死闘の余韻と絶望感に満ちた空間に、傍らにいた女の叫び声が再びこだまする。

 シキは気を失い、水原は茫然と戦意を喪失し、菖蒲は歴然とした力の差に震えている。この死地となった辻に、まともに動くのは白装束だけだった。

 目的を果たしたと言わんばかりに悠然と踵を返して、その開けた辻をそいつは後にする。

 闇に紛れていく最中、一度だけ白装束は立ち止まり水原たちを振り返った。

 圧倒的に強者で異質な存在が、何を考えているかは彼等は伺い知ることは適わない。ただ呆然と、消え去るのを眺めるだけだった。


 結局、白装束が完全に現場を離れるまで彼等は何も出来なかった。

 それどころか、気配が消えてようやく、自分たちが満足に呼吸を出来ていなかった事に気が付いた程だ。


 自分たちが、とんでもない事件に首を突っ込もうとしている。三日月の今夜は、そんな事を理解する夜だった。

 そうして一度目の邂逅が終わった。

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