第4話 武山

 都から馬で1日進んだ山間に、武山と呼ばれる寺がある。

 人々の記憶から忘れ去られた、知る人ぞ知る古寺。

 随分と古い時代に、大陸から渡ってきた僧が作ったこの寺は、数多の寺院とは一線を画していた。

 経よりも武芸。

 そんな信念で、手が付けられず親からも見放された子供達が送られる最後の場所だった。

 お陰で地獄よりも恐ろしい修練で、数多の者が命を落とす。そんな噂がまことしやかに流れている。

 そんな場所に、幼少の頃、水原は預けられた経歴を持つ。

 

 その噂のほとんどが出任せであることを彼は知っている。

 だが、そんな古寺がとんでもない怪物を囲っている事を、彼だけが知っている。


 何とか武山の入口にまでたどり着いたが、駿馬を飛ばしてきたとはいえもう日が沈もうとしている。

 武山という寺院はその名前の通り、その山地一帯を領地とし、修練場としている。

 山を登った頂きに、本院と僧が寝泊まりする宿舎がある。

 年季の入った山門をくぐると、気が遠くなるほどに続く石階段が覗く。月のほとんど無い晩にこの道を行くのは躊躇われる。


 しかし、ここで夜を明かすのも時間の無駄だった。

 逡巡の末、彼の正義感は犠牲者は少ないに越した事は無いと足を前に進める。それに今日の夜被害が出てもおかしくなかった。

 時間は無駄に出来ない。

 馬を近くの木に繋ぎ止め、適当な松の木から松明を作ろうとした時だった。


「水原様で、いらっしゃいますか?」


 突然背後から呼び止められた事で、腰に吊るした剣の柄を握りながら振り返る。

 そこには一人の若い僧が居た。笑みを浮かべてはいるものの、警戒を解いた様子は無く目は笑っていない。それにしっかりと剣の間合いの外に居る。


「何故俺の名前を?」

「僧正から今日辺りお見えになると伺っていました」


 先ぶれも何も送っていない筈なのに。そんな言葉を水原が呑み込む。

 死角からもっと若い僧が3人ほど出てきて、馬を繋いでいた縄をほどき始める。


「お、おい」

「大丈夫ですよ。近くの民家に預けるだけです。こんな所に繋いでおくと狼の良い餌食ですよ」


 都に近いこんな所で、とも思ったが、陽が山影に沈むと辺りは一気に暗さを増す。来訪を告げていないのに待ち構えているような得体の知れない連中だが不思議と害意は感じない。

 馬は彼等に任せ、水原は促されるままに参道の石階段を登り始めた。

 声をかけてきた若い僧が、蝋燭に火を灯す。不安だった足元がぱあっと明るい。


「蝋燭を使うだなんて随分贅沢だな」

「えぇ。滅多にお客様が来ないものですから」


 そんな軽口を交わしながら階段を登る。


 石階段は長かった。登り切った時には水原は肩で息をする有様だったが、案内役の僧は涼しい顔で登り切っていた。

 水原も幼少の折この階段上りを経験していた筈だったが、今の彼には酷な所業だった。

 案内人が涼しい顔で石階段を登るものだから、休憩する間もなく昇り続ける。

 山頂の広場に辿り着く頃には、ぜえぜえと水原は肩で息をしている。

 長い都の生活で体が鈍ったのか、彼等が尋常ではない修練を積んでいるからか。

 すぐさま寝転びたいのを堪え、何とか息が整うと水原が隣の案内人に声をかける。


「待ってもらって、すまなかったな。それでは僧正の元に連れて行ってくれないか」

「残念ながら僧正は留守ですよ」

「は? なら何故、俺をここに連れてきた」

「僧正からそうするよう申しつかっていたからです。水原様がお会いしたい人間は、俺では無くあやつ、だそうですから」


 何もかもが見透かされている。そういう戦慄が走る。全身汗だくになるほど体が熱い筈なのに、冷汗が垂れる。


「まぁ何にせよ。まずは汗でも流しましょうか。湯を用意させていますのでどうぞこちらへ」


 風呂に入っている際に剣を奪われればそれで終わる。そんな不安を思うが、害するのであればとっくの昔にやっている筈だった。

 大きく息を吸い、覚悟を決めて吐き出す。


「分かった。連れて行ってくれ」



 水原が覚悟を決めて風呂場に向かったのを見届けた後、案内人の僧侶は足早にある建物へと向かった。

 本殿や宿舎とは離れた建物。

 かつては旅人を迎える離れとして使われていた場所は、いつからか折檻場所として使われるようになり、最近ではある男の根城になっていた。

 武山という僧院でありながら、その圧倒的な武力故に頭を丸める事も、僧正の命に従う事もない、武山一の問題児、イブキの根城に。


「イブキさん。本当に水原という男が来ました。今は風呂で汗を流させてます」

「そうか。案内ありがとうな」


 低く、威厳があるが、まだ年若い青年の声が建物から帰ってくる。

 案内人の男は呆れた様子で、建物の主、イブキに言葉を続ける。


「でもいいんですか? 勝手にこんな賓客扱いをして、お咎めがあっても俺は知りませんよ」

「彼はそれだけの自分つだよ。咎められる理由がないさ」

「……まぁ俺はいいですけど」


 案内人の僧、彼は名前をシキと言い、僧正からイブキの監視役を任ぜられた男だった。彼自身優秀な男だったが、武山という場所は何よりも武力を重んじる。イブキの圧倒的な力の前に、今では監視役ではなく舎弟のような扱いを受けていた。

 そこに不満はないが、その力を振るう機会が無いことに少々の物足りなさを抱えている。


 シキが水原を迎えに戻った時、彼は既に正装に着替えていた。知識のないシキにも分かるほど、仕立ての良い上等な直衣を纏っている。烏帽子も普段使いのモノではなく、絹製の光沢があるものを使っている。

 何より彼の目は静かに光を湛え、覚悟とも取れる落ち着いた空気を纏っていた。とても石階段で息を切らしていた男とは同一人物には見えない。


「やっと来たな。それじゃ連れて行ってくれるか」

「え、えぇ。どうぞ、こちらへ」


 彼の凛とした言葉に、緊張を感じさせられた。


 初めて見る貴公子に面食らっている。そんな側面もある。

 彼は、整然と歩くだけなのにその一つ一つの所作に気品があり、背筋がまっすぐに伸び、急ぐことは無く悠々と歩く。

 命を獲るだけなら出来る。

 足運びや重心の位置、肉付きや武具の扱い方。一目見れば相手の力量は分かる。そういう力が無ければこの武山では生きていけない。

 武力だけならば、自分の方が上。その見立てには間違いがない。奇襲をかければ相手が剣を抜く前に絶命することも可能だった。

 だが、それ以外では。

 そんな想いが湧いている。それほどに、違う生物、という隔絶さを感じていた。

 

 イブキという人間と始めた相対した時にも、この男には終生適わない、そんな隔絶さを感じた。

 そんな感覚に近く、だがもっと別種の相容れない違和感。そんなものを彼の姿から感じていた。

 イブキという男が、何故こんな弱者を重んじるのか。その一端を知った思いだった。



 10年ぶり。緊張感を感じながらも、この山寺特有の空気に懐かしさを水原は感じていた。

 自分の背丈が大きくなった事。この10年で様々な事柄を見聞きしたことで、あれほど広く感じた修練場が少し手狭に感じられたり、逆に本殿が高名な寺院に引けを取らない位立派なものである事などに一々感心した。

 そして案内人に連れられ、当時折檻部屋として使われていた離れの建物へと案内される。

 あの当時、ここは恐怖の代名詞みたいな場所だったが、今はあの男の根城になっているそうだ。


「それでは私はこれで」


 建物の前でシキが一礼をして去っていく。

 不気味な雰囲気がこの離れからは漂っている。

 剣を突きつけられているような、一息の油断も許されないそんな緊張感がある。

 

 先ぶれも無いのに、麓で案内人が待っていた事。流れるようにこんな場所に案内された事。

 ここから逃げ出したい理由は幾らもある。けれど、覚悟を決める。

 菖蒲は相手が鬼だと言った。そうでなくても、相手に一切の抵抗を許すことなく命を屠れる怪物が相手だった。

 この扉の向こうにいる怪物の助力がどうしても必要。

 息を整えて、建物の扉を開いた。

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