第2話 水原と坂上

 都の北東部に位置するその場所は、俗に貴族街と呼ばれている。

 上級貴族達が、職場に近い場所に家を建て始めたのがその始まりとされ、今はそこに邸宅を構えることが権威の象徴になっている。

 お陰で無駄に広い邸宅が続いている。

 女陰陽師の菖蒲との協力関係を約束した後、水原がまず向かったのがそんな場所だった。

 豪奢な建物が立ち並ぶその外れの外れへと足を進めると手入れが行き届かない邸宅が増え始め、更にその奥に廃墟も同然の朽ちかけた家が聳える。

 そんな建物に、彼は入っていく。


「坂上さん、生きていますかー」


 軒先にまで入った所で大声で叫ぶ。

 薄暗い部屋の奥で、何かがごそごそと蠢く。


「……坂上宿禰、という男は死んだ。ここにはその抜け殻しか居ない」


 そう言って、髭面の男が現れる。

 彫りの深い顔立ちで、目は落ちくぼみ、酷い隈が浮かんでいる。

 かつてのぎらついた男前の風貌から見れば随分な変わりよう。それでも一時よりは生気を取り戻しているように見える。

 苦笑を浮かべながら水原が言う。


「生きているじゃないですか。いい加減酒に逃げるのを辞めないとホントに死にますよ」

「ほっとけ」


 軽口を交わしながら部屋に上がり込む。坂上は異に解する素振りも見せず、手にしていた瓢箪から酒をがぶがぶと呷る。

 水原の目線に気が付き、 瓢箪を差し出し酒を勧めるが、水原は首を横にふる。

 代わりにと坂上に持参した包みを手渡した。


「猪の干し肉です。精の付くものを食べないと」

「……また妙なものを」

「いいじゃないですか。昔を想うのも一興ですよ」


 そして2人とも無言で干し肉に食らいつく。

 硬い保存食は音を立てて男たちの胃袋に運ばれていく。


「……炙って食いてぇな」

「流石に都で獣肉を焼くのは。匂いがきつすぎますよ」


 都に住む人間、特に位が高い人間ほど動物の肉は忌避していた。生物の殺生によるケガレを嫌う信仰の為に。

 故にこの猪の干し肉は民衆の食べ物だった。特に、都の文化が届かない地方の民の。

 しばらく無言で頬張った後、坂上が世間話を始める。


「検非違使になったんだってな。良かったじゃないか」

「どう、ですかね。俺は坂上さんと地方を回っていた頃の方が楽しかったですよ」

「……くくく。本当に変わり者だな、お前は。俺なんかとつるんだせいで貧乏くじ引かされたってのに」


 自嘲めいた笑いを浮かべる坂上に、水原が眉を顰める。


「坂上さんは何も悪くないじゃないですか。恥知らずの上層部に嵌められただけで」

「だかまぁ結果が全てだ。事実と真実は違う。身の程を知らなかったのさ」


 そう言って坂上が残った干し肉を口の中に放り込む。強く音を立てて噛み砕かれる。


 かつて、2人は徴税官として全国を回っていた時があった。

 もっと正確に言えば、監査官として。地方の行政区を任された国司を監査するのが彼等の仕事だった。


 行政長である国司にとって、彼等の報告は文字通りの進退に関わる。

 その為彼等の来訪は大歓待で迎えられ、賄賂を渡される事も常だった。力の無い役人としてはおいしい仕事だった。

 

 しかし坂上という男は実直で正義感に溢れていた。同僚たちとは違い、賄賂を受け取る事は無く、いつだって正確に報告を行い、行き過ぎた統治を行う国司に対しては農民を率いて討ち入りを行う事もあった。

 

 真面目過ぎる問題児。

 

 そう上層部からは煙たがられた。しかし断固とした姿に感銘を受ける者も少なくなかった。


 けれど正しいだけではこの世界は成り立たない。

 ある時彼等は罪人として捕らえられた。賄賂を受け取り、報告を改竄した罪を擦り付けられて。

 以来、坂上はここで死んでいるか生きているか分からない隠遁した生活を送っていた。彼を慕った水原たちも再就職は叶ったものの、日陰者扱いを余儀なくされている。


「……で、何の用だ。まさか負い目を感じて慰めに来たって訳じゃないんだろ」

「えぇ勿論」

 

 したり顔で水原が答えるとぎらりと、水原の目を見る坂上の目に光が走っていた。

 全盛期の血気盛んな頃には程遠いが、廃人には無い確かな光が。


「坂上さん。巷で賑わっている連続殺人の噂は聞いていますか?」

「あぁ。貴族も犠牲になっているって話だろ」

「えぇ。まだ裏どりは出来ていないんですが、どうも陰陽師関連なんですよ」

「詳しく話してみろ」


 生き生きとし始めた坂上の様子に手ごたえを感じながら、水原は菖蒲が持ち掛けてきた内容を説明した。

 手練れの犯行であること。八芒星を描くという呪術めいた動機があること。鬼が関わっているということ。


「……その菖蒲というお嬢ちゃんは、お前の女か?」

「まさか。何というか、神出鬼没な娘で、いつの間にか検非違使の建物に出入りしていたんですよ。彼女の助言や知識で事件が解決した事もあって、立ち入りを黙認されるようになりました。実際、陰陽師ってのは便利なんですよ。俺達とは違う道筋で答えに辿り着ける」

「……まぁ別にお前がどんな女と乳繰り合おうが俺には関係ないんだが、どう考えてもその女は怪しいな。何より、敵が鬼だと特定し言い切れるのがもう怪しすぎる」


 菖蒲がどこから話を拾ってきたのかは定かではない。しかしこうして陰陽師以外の人間を利用するのは、彼等が一枚岩ではない事を物語る。

 陰陽師という連中は、表向きは星を詠み、暦を作る学者達である。

 だがその裏で何をしているかは定かではない。人の骸を扱ったり、命を弄ぶというきなくさい噂も多く聞く。

 しかしそれでも一学者の領域は超えない。

 

「えぇですが」

「あぁそうだな」

 

 お互いに。かつて苦楽を共にした友人故の、阿吽の呼吸がある。


「陰陽師を辿れば、裏で糸を引く黒幕に辿り着く」


 例えれば、新月の闇夜の晩に一筋の光が射したような思いだった、お互いに。

 没落し返り咲く機会を伺っていた坂上と、家の再興を願い続けてきた水原。2人にとって、この快楽殺人鬼事件の解決に僅かながらも一筋の糸口が出来た。

 怪物は、得体が知れないから怪物である。

 糸を引く人間が居る。これが推定出来ただけでも、戦い様がある。


「4:6だな。お前が持ってきた話だ」


 落ちくぼんでいた目に、今ははっきりとした情熱がある。爛々と照りつく目で坂上が言う。

 水原は一拍置いた後、坂上とは対照的に、冷静に答える。


「5:5ですね。今度こそ一蓮托生ですよ」


 水原の目にも深い黒の奥に静かな炎がある。

 2人は大きく強く、手を交わらせた。

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