♰Chapter 20:ファミレスと秘匿事項

向かった先は繁華街の中心付近にあるファミレスだった。

案内された席で琴坂はタブレット端末をタップしている。


時間は午後六時過ぎ。

夕食にはちょうどいい時間ということもあり、店内は賑わっている。


暗殺者が人前で食事をすることは普通なら自殺行為だ。

食事の隙に攻撃を受けるかもしれないし、そもそも毒が盛られているかもしれない。

そんな危機感と警戒感を身近に感じていたから極力人前で食事は取らなかった。

――と言っても今更か。


そもそも水瀬とは『色々と魔法のことを教わるため』という大義名分のもとに同棲しており、ほぼ毎朝毎夕さらしている弱点だ。

だが洋館のカトラリーは銀製のため、毒に対しては一応の安心がある。


一方でこのファミレスのカトラリーは銀器ではないが、不特定多数が注文する料理に使われるものだ。

理由は違えど料理に毒が盛られることはそうはない。


暗殺者としての性分が存分に出ていることに内心で安堵の溜息を吐く。


初めての学生生活や〔幻影〕での他者との関わりで暗殺者としての感覚が鈍っているんじゃないか。

そんな疑念も晴れたというわけだ。


自分の注文を入力した琴坂はこちらを伺う。


「……八神くんは?」


食事の好き嫌いがないオレには特にこれといって食べたい料理はない。

だから隣のテーブルの客が注文した料理を盗み見る。


「そうだな……ボロネーゼを頼む」

「……それだけ?」


とんとん、と注文用の液晶を叩く琴坂の指が止まる。


「ああ、あまり食べれる方じゃないからな」

「……そっか」


さらにとんとん、と端末が弾かれる。

そこでオレはというものを思い出す。


結月と学校生活について話すなかで、学食のことも話した。

彼女が話した内容にその心得というものがあった。


そのうち一ついわく、『料理において、女子はおしなべて男子より多くは注文できない』とのこと。

『大食い』『はしたない』と思われたくない心理が働くのだそうだ。


その公式に今の状況を当てはめた場合。

琴坂は最初に入れた自分の注文を減らしたのではないだろうか。


「琴坂」

「……なに?」

「考え直したんだが、オレはそれにハンバーグステーキと食後にティラミスも追加しようと思う」


本人に直接聞くのも禁忌だと判断した自然に注文を追加する。


「うん、わかった」


琴坂と言えばわずかに口角が上がったようにも感じる。

人の表情は観察すればした分だけ見分けるスキルが身に付く。

あとは前後の状況を併せてその人物がどんな感情を抱いているのかを推測するだけ。

なかには分かりづらい人間もいるが、彼女の場合小さいながらも表情が変化するため注視していれば見逃すことはない。


ドリンクバーでオレはダージリンティー、琴坂は少し悩んでからストロベリーティーを選択。

席に戻るとぽつぽつと切り出される。


「……ここに連れてきた理由。それは二つあるんだけど……一つは八神くんとわたしや港でのことについて話したうえでとあることをお願いしたいから」

「それはここで話していいことなのか?」


食事の場は団欒の場でもある。

木の葉を隠すなら森の中というように言葉は言葉に隠したほうがよいこともある。

だからこそ人でごった返すこの時間・この場所・この場合を選択したのだろうが、一応周囲に聞かれる可能性の確認を取る。


「大丈夫。わたしと八神くん……二人の声に適当な会話を投影したから。……きっと他の人たちには何気ない日常の会話が聞こえてるはず。人が見てたら、口の形には注意しなきゃだけど」


思えば彼女は口元をあまり動かしていない。

いや元々小さい口だからこそ口の形で何を話しているのかが読み取りづらい。


――なるほど。

改めて〔絶唱〕の守護者の固有魔法は二つ名の通りだと認識する。


魔法は無闇に使うものではないが必要に迫られれば公衆の面前でも使う。

今回は琴坂の繊細な魔法によって見えざるヴェールが張られたと言ってもいいだろう。


オレは店内に気を配りつつ、人が近づいてくるようなら言葉を止めることにする。


「それならいいんだ。それでどんな話なんだ?」

「……夜藤港で。あのとき、わたしが別任務に就いていたことは知ってる、よね……?」


確か港湾での問いかけに彼女はこう答えたはずだ。


「秘匿事項、と言われたな」

「うん。今からその内容を話すね。これからの話に関わってくるから」


すっと言葉が切れるとオレも沈黙する。

テーブル上には続々と注文した料理が並び始めた。

どれも出来立ての熱を上げており、心地よい匂いが食欲を刺激する。


「まずは食べるか」

「……そう、だね」


琴坂も出来立ての魅力には抗えなかったようで、黙々とドリアに舌鼓を打っている。

彼女はドリアとミニサラダを注文したようだった。


オレはというとまずはハンバーグステーキにナイフを入れる。

それから一口。


「……美味いな」


暗殺任務で――それも数えるほどしか食べたことのないファミレスの味だが、以前よりも美味しく進化したように感じる。


溢れ出る肉汁と濃厚なデミグラスソース。

それを口に運べばそれはもう黄金の領域だ。


あっという間に皿上が寂しくなっていく。

そこでやや意識から外れていた琴坂の視線を感じた。

不思議そうな、あるいは意外そうな顔。


「どうした?」

「……ううん、何でもない。すごく、美味しそうに食べるんだなって」


美味しそうに食べる、か。

まるで情報屋みたいなことを言う。

表情が動かないのはいつものこととして、彼女はどこからそれを判断したのだろう。

敵に心の挙動を読まれないためにも参考にしたいところだ。


「オレのどこからそう思ったんだ?」

「どこから……は難しいけど。なんとなく”色”が変わった気がして」

「色、か。かなり珍しいが一部の人間には色々なものが視覚的に色づいて見えたりする才能があるそうだな。音とか感情なんてものもそうか。琴坂はその類の人間か?」

「半分は……正解かな。わたしのこれは魔法のおまけ。本当に時々、ふとした時に見える気紛れの世界」


琴坂の色彩能力は固有魔法の副産物らしい。

突発的にしか見えないにせよ、とても貴重な能力には違いない。

人の感情に密接不可分な唄を媒介にするなら納得のいく話だ。


そこでオレはある推測が浮かんだ。

どうして〔宵闇〕の守護者である水瀬や〔盟主〕である結城ではなく、オレと話をしようと思ったのか。

あくまでもオレは一魔法使いであり、守護者から特別扱いされる存在ではない。

少なくともそのはずだ。


それなのに〔絶唱〕の守護者が直々に声を掛けてくる理由。


「もしかすると琴坂がオレのことを食事に誘ったのはその”色”も関係しているのか?」


琴坂は頷いた。


「……当たり。わたしが話したかったことのもう一つがそれ。さっきの話と順番は前後するけど、こっちから話すね。八神くんと初めて出遭った港……そこであなたの顔を見たとき、色が見えたの――黒と白の反対色」

「黒と、白? どちらか一色じゃなくてか?」

「うん、どっちも。黒は死や不幸を表す。逆に白は純粋を表すこともあるけど、たぶん八神くんの場合は何もないという意味での無」


それからはっとしたように気まずそうにする。


「……ごめん。傷つけるつもりじゃないの」

「いや別にそれは気にしていない。オレとしては正直に言葉を紡いでくれた方が助かるしな。だが黒と白か……最初は驚きもしたが案外と外れてはいないのかもな。だがそれと誘ったことに何の意味があるんだ?」

「この色が全部とは言わない。でも二色の意味を併せたら八神くんはあのとき自分の『死』に『無』感情だったことになるの。それはすごく……危険なこと」

「なるほどな。それで古本屋での偶然を利用してどうせならオレの様子を見たかった、というところか」


こくりと頷く琴坂。


オレは自分の命に執着していない。

この命の一片ですら過去の贖罪に使うつもりでいる。

そのために手持ちのカードである『暗殺者』と『魔法使い』を磨き、『善行』と呼ばれる行為を模倣しているに過ぎない。


――正直に言えば『執着』はないが『未練』はあるのかもしれない。

かつて自らが手に掛けようとした少女に復讐されることが今のオレの目的であり、その時までは生きたいと思っているのも事実だ。

だが罪滅ぼしの過程で死んでしまったのならそれはそれで構わないとも考えている。


この矛盾は度し難いと理解しつつも、きっといつまでも解くことができないものだ。


「心配してくれて感謝はしている。だがそれは杞憂だと思うぞ? オレはわざわざ死に急ぎはしないし、勝算のない行動もしない。これからも〔幻影〕の魔法使いとしての責務を全うするつもりだ」

「……そっか。ならきっと、大丈夫だね」


食事もほぼ終わり、最後にティラミスが二人分運ばれてくる。


「……そろそろ、もう一つの話に入るね。あの港での出来事があった日……ううん、それよりだいぶ前から。わたしに与えられていた任務は唄による悪魔の浄化だった」


オレの様子を見た琴坂は不思議そうに小首を傾げる。


「……驚かないね?」

「ああ、流石にもう慣れたからな。魔法や魔術は万能でなくとも十分に驚くことばかりだ。いちいち反応していたら気が滅入る」

「少し期待してた反応とは違うけど……確かにそうかもね」


どうやらもっと驚いてほしかったらしい。

それをオレに期待するのも酷だとは思うが。


「悪魔って言うのはイメージが分かりやすいからそう呼んでるだけ。悪魔は人の負の感情から生まれる、実体のない怨嗟の塊だったりっていう形もあるけど……今は置いておくね。今回考えるべき悪魔の定義はなんらかの外部要因――例えば魔法や魔術、あるいは呪術によって変質させられた人のことだったりする。例えば――」


彼女はほとんど食べられたティラミスを示す。


「わたしはティラミスが好き。でも突然卵アレルギーが発生。ティラミスはもう食べられなくなる。……これはアレルギーという因子に食が変質させられたということ。これを超常現象に置き換えたものが悪魔」

「つまりは元々の状態から作為的に異常な状態にされた人間のことか」

「うん、そういうこと。吸血鬼や幽鬼なんかをまとめて悪魔って呼ぶこともある。最近は浄化任務が多くて……だから”屍者”の存在が確認された後の〔盟主〕との会議にも参加していたの。一応浄化はわたしの得意分野だから」


なるほど。

道理でオレと水瀬が”屍者”の件で会議を行う時には琴坂が加わっていたという訳だ。


「そして今夜も”屍者”――ううん、”屍食鬼”による暴動が起きると盟主は予測していた――」


オレは咄嗟の判断で回避行動を取りかけるが、反射を理性で抑えてその場に留まる。


コンマ一秒以下のわずかな間ののち、派手な音を立てて砕ける硝子。

だがその破片はただの一枚も床に散らばっていない。

すべて空中で不可思議に静止して、それから外側に全て落ちて行った。


正面に座る琴坂のエメラルドの瞳が慌てなくていいと暗に訴えていた。


「なんだ⁉」「硝子が割れてるじゃない⁉」「え、どゆこと?」


何が起こったか分からず、口々に状況を把握しようとする動揺の声。

その中でそっと紙ナプキンで口元を拭うと彼女は立ち上がる。

それから指を一度弾いた。

細指に似つかわしくない大きな音が店中の注意を引き付ける。


「――自分の身を最優先に。危険に近寄らず、全力で逃げること。今のあなたたちは疲れを知らない。さあ、行って」


黙々と店外へ出て行く人々。

先程までの喧騒が嘘のように、誰一人慌てていない。


恐らくは港でオレにかけた一時的な暗示と同じもの。


それよりも。

オレの視線は窓の外で暴れ狂っている集団に引かれていた。

先程の暴挙は彼らがやったことに間違いない。


「盟主の予測による”屍者”――ううん、”屍食鬼”の出現。八神くんに正式に協力をお願いしたいの」

「とあるお願い――そういうことか。ただ聞かせてくれ。しつこいようだがオレと会ったのは本当に偶然なんだな?」


結城には詳細不明の未来予知の固有魔法がある。

全てが彼に仕組まれていたのだとすればなんとなく腹立たしい。


「うん。もともとわたし一人で制圧する予定だったけど八神くんがいたからわたしの独断でヘルプを要請したの。手を、貸してくれる?」

「そういうことならもちろんだ。さっさと終わらせよう」


オレは重い腰を上げ、懐から黒幻刀を取り出す。


「あなたの戦いぶりを見せて――八神くん」

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