♰Chapter 30:焔冠のヴィンセント

一般道を駆け抜ける車両。

夜の街を恐怖の悲鳴に満たす危険な運転だ。

身体に掛かる負荷にも慣れてくるとなかなか追いつけないことに対する焦燥が大きくなる。


「盟主、もっと速度は出せないんですか⁉」

「無茶を言わないでほしい! これ以上の速度を出せばスクランブルエッグだ!」


結城なりの冗談なのだろうが、現状では全く笑えない。

速度メーターは百キロ近くを常に保っている。

幸いなことに今のところは直線であることが減速しなくて済んでいる要因である。

それは相手も同じではあるが。


「ここからは一般車両も多い――仕方がない! 連続使用はあまり望ましくないのだが!」


ルームミラーに映る結城の金瞳にギアのような幾何学模様が見える。


一般道の信号はとっくのとうに無視。

ヴィンセントも無視しているので追いつくためにはそうするほかない。


「「……!!」」


一般車両と接触しそうになるたびに紙一重で隙間を抜けていく。

オレも水瀬もこればかりは冷や汗が止まらない。

いくら魔法使いとはいえこの速度で衝突すれば命はないだろう。


大きな交差点に差し掛かったときだ。

大型トレーラーが進んできているのが視界に入る。

他の乗用車とは違い、大型車はすぐに減速はできない。


「盟主……!!」

「視えている!!」


わずかな距離から、路上に急勾配のジャンプ台が出来上がる。

見間違えでなければこれは基礎土魔法によるものだ。

二十メートル手前から最終地点ではちょうどトレーラーの背丈を超えるだけの高さが用意されている。


「跳ぶぞ!」


空を舞う車。

ジェットコースターなどの比ではない。

恐ろしいまでの殺人マシンにオレは乗せられている。


「「……!!」」


着地時に衝撃があったものの、車体に異常はなく走行はまだ続く。

強攻な走りをしたにもかかわらず、彼我の距離は五十メートルほどを保ち続けている。


「ここからは私が外に出ます! 障害物は気にしないで!」


水瀬は後部座席から上体を乗り出すと車の屋根に着地する。


「風よ」


基礎風魔法で猛烈な風を減衰し、立っていられるだけの風へと変える水瀬。

それでも相当な暴風を浴びているだろう彼女。

もはや後戻りはできない。


「それならもう少しだけギアを上げるとしよう! しっかり掴まっていてくれ!」

「きゃっ⁉」


水瀬が思わず屈みこむ。

さらに十キロほど加速したのだ。

引き離されるばかりだった距離がゆっくりと縮まっていく。


「ちぃっ! 粘着質な人間どもだ! 俺に近寄るな!」


敵の運転席から数本の何かが転がり落ちる。

地面に落下すると同時に大爆発を起こした。


「これは――‼」


凄まじい衝撃に身を固定する。

直撃は避けたが車体に大小の破片が衝突し、状況は悪化している。


「水瀬、無事か⁉」

「ええ、大丈夫! でもまた距離が――!」


次々に転がされる爆弾のようなもの。

揺さぶられるなか、オレは前に身を乗り出す。

そして焦点を先を行く車両――その運転席に合わせる。


ドアガラスから突き出された腕には鮮血が流れている。

それが凝固し小さな球体を象っては路上に落ちているのだ。


所かまわず落としていくため電柱が倒れたり、路上駐車してある車が巻き込まれたりと、被害は甚大だ。


「あれは血液か!」

「はは、何とも吸血鬼らしい異能だ……! 直撃がない所を見ると血液爆弾は何らかの衝撃が加わるとすぐに爆発する仕組みだろう! この先は首都高になる!」


結城はややハイになっているらしく、普段よりもテンションが高い。

金瞳はいまだ未来を見据えており、障害物だらけの路上を高速で駆け抜ける。

水瀬が道を切り開いてくれているが興奮状態じゃないとやってられないのだろう。


血液爆弾の投擲を防ぐ方法はない。

オレも水瀬もある程度の射程はあるが、基本は近距離型の魔法使いなのだ。

結城に至っては非戦闘型の魔法使い。


首都高のゲートが爆破される。


「水瀬君!!」

生命の破綻ソウル・ティア!」


車体が瓦礫に衝突する寸前に中央部分に道が開ける。


「これほどに冷や冷やする運転は初めてだよ……!」

「そんなことを言っている場合じゃないでしょう!」


結城の運転に左右に振り回されるオレと水瀬。

特に屋根上にいる水瀬は悲惨だ。


地名と距離を示す道路標識がまっすぐにこちらに飛来してくる。


「せあっ!」


水瀬が即座に刻むことで大事には至らない。

すでに首都高に乗っており、ますます速度を上げつつドリフトを噛ます始末。

百四十キロを余裕で越すレベルのカーチェイスは恐らく過去を遡ってもないだろう。


「八神君……! 積み込んだ荷物に狙撃銃がある!」

「そんな物騒なものを積んでいたのか!」

「未来の可能性は常に検討している……!」


オレは不安定な車内で強引にラゲッジスペースを漁る。


いくつかのケースが置いてあるのは出発前に確認済みだ。

なかでも狙撃銃が入ってそうな長方形のケースは一つだけだ。


「っ」


カーブに差し掛かったのか重心が右に寄っている。

指をひっかけると即座にケースを開く。


「当たり……!」


ご丁寧に二発の弾丸も添えられている。

初めて扱う種類の狙撃銃だが暗殺者にとって初武器でも使いこなせることは義務だ。


「この先にトンネルが見えるわ!」


水瀬の警告。

狭い空間で爆発物を使われた場合、生き埋めになる可能性も出てくる。

先程のゲートよりも当然大規模な崩落となるだろう。


予想通りと言うべきか、広範囲に爆弾が落とされる。


「さらに加速する!」

「――――!!?」


水瀬の声にならない悲鳴。

車内のオレですら身体にかかるGによって、身体が座席に沈む。


後方で大規模な爆発。

オレは弾丸を上着のポケットに収容し、銃をケースごと背負うと水瀬が屈んでいる天蓋の隣りに腹ばいになる。

二人で屋根に乗るにはかなりギリギリな幅だが文句は言っていられない。


躊躇なく短刀を天蓋に突き立て、簡易な固定具を作る。

それからケースを剥ぎ取るように捨て、狙撃銃の脚立を立てて射角を調整する。


「八神くん、それを撃てるの⁉」


耳が風切り音で遠くなっているが大声で会話している分には十分に聞こえる。


「初めて扱う武器だ! だがやらなければこのカーチェイスは終わらない!」


水瀬の碧眼に宿る不安が覚悟の目つきへと変わる。

力強い笑みがオレに全てを一任すると語っている。


「そうね――私が貴方の身体を支える! だから全力を尽くして!」

「了解!」


スコープを覗く。

視野は広く、低倍率から中倍率といったところ。

この距離を想定していたかのように――いや実際にしていたのだろう。

ばっちり適合している。


風は向かい風。

車体の揺れは深刻。

身体の固定は不安定。

狙撃銃は扱ったことのない種類。

およそ最悪のシチュエーションにおける狙撃だ。


残弾は二発。

一発目を装填。


「八神君、間もなく直線ルートだ! 相手も見やすくなるだろう!」


結城の言葉通り、完全な直線になると相手の車両がよく見える。

だがそれは相手も同じことで、より精密な爆弾投擲が行われる。


――呼吸を整えろ。

――指先の緊張感を抜け。

――スコープの先の環境へ意識を収束させろ。


暗殺者として狙撃手も経験したことはある。

そこから言えることは銃にも癖があるということ。


――……一射目で当たればいい。当たらなくとも癖は把握してみせる。


引き金に指がかけられる。


狙撃――。

マズルフラッシュと強烈な反動。

水瀬が身体を抑えていなければ落下していた可能性すらある。


「――っ!」


弾丸は敵の車体を逸れ、わずかに右のアスファルトを穿つ。


一発目は外れ。

だがこのデータをもとに軌道修正すれば問題はない。

感覚を忘れないうちに即座に射角を調整。


祈るような水瀬の表情を切り離し。

オレは躊躇いなく二発目を装填し、放った。


ぎゃりぎゃりと火花を散らしながら回転する敵車両。

狙いであった後輪の一つをパンクさせ、コントロールを奪った。


「ヒット!」


ド派手に火花を散らしながらガードレールに激突する敵車両。

オレたちの車も徐々にブレーキがかかり、敵車両の前で止まった。


「クソっ! 所詮人間の作った脆い機械風情か」


炎に包まれながらも何事もなかったように立ったヴィンセント。

赤味がかった黒髪を掻き揚げ、憎々し気にオレたちを見降ろす。


これから起こるであろう戦闘を予期してそれぞれがそれぞれの武器を構える。



――……



インターチェンジの端から八神たちの様子を伺うものがいた。

桃色の瞳を持ち、パーカーのフードを目深に被っている人物だ。


「……同族の匂いがしたから寄ってみたけど、あれは何?」


一人は大鎌を、一人は短刀を、一人はやや離れた位置に陣取っている。

そして同族の匂いを発しているのは燃える車体に平然と立つ男。

状況が読めずにこのまま見なかったことにしようと後ずさりかけたとき、不運にも車の残骸を蹴飛ばしてしまう。


お約束のような失敗に全力で駆け出す。

その瞳はすでに桃色から深紅に変わっている。


「はっはっ……はっ! あの人たちに関わるのはダメだ……!」


本能が――直感が強い警告を発している。

言うなればそう、見てはいけないものを見てしまったそんな感覚。


呼吸が荒くなる。


しゅよ……私にささやかな幸運を」


木の葉を隠すなら森の中。

人を隠すなら人の中。


ただひたすらに駆けた。



――……



「いいぜ。それほどまでにこの俺との戦いを熱望するなら受けてやる」


オレは短刀を、水瀬は大鎌を顕現させていた。

ヴィンセントは吸血鬼の標準装備とでも言うべき、長爪を武器に据える。

もはや隠す気はないらしい。


「行くぜ――」


鋭く踏み込んだ突進はオレと水瀬の両方を切り裂こうと迫っている。

そのとき、耳に小さな音が響いた。

男の視線が一瞬脇に逸れ、空中であるにも関わらずバックステップをする。


「ちぃっ! こんな時に本命を見つけるなんてな。悪いがお前らの相手をするのはまた今度だ」


爪を収めた代わりにオレたちの車に爆発物を投擲する。

爆発の余波を利用して大きく跳躍し、高速道路を離脱するヴィンセント。


「八神くん、貴方には何か見えた?」

「いや……だが小さな音が聞こえたような気がする」


本当に些末な音だ。

周囲に意識を配っていても聞き逃しそうな音。


「――水瀬君、八神君。二人は今すぐに彼を、その先にいる少女を追ってくれ。できれば確保を、少なくとも彼の手から逃がすこと。場所はここから北東方向に突き進んだ最初の交差点周辺だ。私の予知がここが運命の分岐点の一つだと示している」


結城の固有魔法は未来予知。

金目が螺旋を描くようにどこか別の場所を見ている。


「盟主はどうするつもりですか?」

「私は非戦闘員だからもう役立つことはないだろう。君たちの脚としての役割もこの状態だからね」


車両は敵味方の物を問わず、大破してしまっている。

確かに結城はこの場では役立ちそうにない。


オレと水瀬は即座にヴィンセントを――そしてその先にいるという少女を追うのだった。

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