♰Chapter 29:シークレットガーデン
水瀬邸の大門の前には車が止まっていた。
一昔前のような車体にメタリックな質感のシルバー。
オレはこの車のラゲッジスペースで何やら荷物整理をしている結城に声を掛ける。
「〔盟主〕」
「ああ、八神くん。こんばんは。おや、水瀬君の姿は見えないが」
「まだ少し時間もありますから。オレだけの出迎えじゃ不満ですか?」
「はは、そんなことはないよ。出迎えがあるだけで心が温まるというものだ。想像してみてほしい。東雲君の屋敷に同じように行ったとき、私がどのような扱いを受けたのか」
結城の遠い目に、オレは想像してしまった。
時間までひたすら門前で待たされ続ける結城を。
いやもしかすると十分程度はわざと遅らせてくるかもしれない。
そしてそれを内心でほくそ笑む東雲。
「……心中お察しします」
容易に想像できてしまうことがより悲しい現実を見せてくる。
「それにしても〔盟主〕自ら任務を受けるなんてオレが加入してからは初めてですね」
「はは、確かにその通りだ。普段は薄暗い空間で情報統括ばかりをしているから、こうして実際に戦いに赴くのは数少ないうちの一つだね。と言っても今回は基本送迎役に徹するつもりではあるが」
「基本、ですか」
オレの反応に結城は感心したように頷く。
「君は言葉の端々に注意を払っているからこそ気付くニュアンスというものがあるんだろうね。予知についてあまり話すと変わってしまう可能性があるから詳しくは話せないが……そうだね。私のこと――そしてこの積荷は一種の保険だと思ってほしい」
「分かりました」
あまり深く追求することも野暮だ。
未来を視る魔法の精度についてはこれまでの件で疑いの余地はないからな。
そこへ準備を整えた水瀬が合流する。
「では行くとしようか」
――……
国道沿いで密やかに営まれるバー――シークレットガーデン。
そこから少し離れた場所で車を降りる。
「私はこの周囲に待機している。いいかい? くれぐれも気を付けるように」
結城は運転席からそう言うと離れていく。
「行きましょう、八神くん」
「ああ」
ちりんちりん、と小さなベルの音が鳴る。
シークレットガーデン内は橙色の灯りで満ちていた。
背景には多種多様なワインボトルが並び、宝石のように輝いている。
「こんばんは、二人いいですか?」
「ああ、構わない」
水瀬の言葉に頷くバーテンダー。
意思疎通が明確にできることから、もとい吸血鬼とされる男だ。
オレと水瀬はオレ達以外に客のいないなか、カウンター席に座る。
水瀬の視線は少し迷っているようだ。
その様子から恐らくこういう店が初めてだと直感する。
オレに関して言えば
「オレはサラトガ・クーラーをお願いします。水瀬も同じでいいか?」
「え、ええ。私も彼と同じものを」
サラトガ・クーラーはノンアルコールのカクテルだ。
ライムとジンジャーエールを使ったものであり、爽快感がある。
初心者でも飲みやすく、もちろん未成年でも大丈夫だ。
バーテンダーは随分と手慣れた様子で作り上げるとすぐに提供する。
煌びやかなグラスに透き通った琥珀色の液体がよく映える。
「綺麗……。ん……控えめな甘味なのね。それにライムがすごく爽やか」
「気温や湿度によっては上手く味を調整してくれることもあるらしいからな。ここのバーテンダーの腕がいいんだろうな。初夏のこの季節にちょうどいい味だ」
「はは、男の子の方は慣れているみたいだな。褒めてくれて嬉しいぜ」
人間味のある純粋な笑顔を見せる男。
見た目だけでは人間と全く変わらない。
女吸血鬼のゼラがそうであったように、この男も人格がある吸血鬼のようだ。
だとすれば強力な個体である可能性が高く、少々厄介な相手だ。
まずは言葉でこの男が本当に吸血鬼であるのか、それを調べなければならない。
今のところ吸血鬼であるか、人間であるかを見分ける術をオレたちは知らないからな。
直球勝負で問い詰めて正体を現すなら簡単だ。
だがしらを切られ続けた場合、真実を知る術がない。
だからこそ会話の中でこれといった矛盾あるいは証拠を見つけるべきだ。
交渉事ではオレの暗殺者としての技能が使える。
「ヴィンセントさん、でいいんでしょうか?」
ブラウン調のネームプレートに金字で”Vinzenz”と印字されている点から明らかだ。
この綴りはドイツ語表記のもので本場の発音なら”フィンツェント”とされる。
だが英語読みをするなら”ヴィンセント”だ。
どうやらドイツ語圏で生まれたことは間違いない。
「ああ、それで間違いない」
「未成年用のノンアルですし酔うわけでもないですが、貴方のお話を酒の肴にさせてもらっても?」
「本当に子どもと話している気がしないな……。それはいいが彼女は放っておいてもいいのか?」
ちらりと水瀬を見るヴィンセント。
グラスは琥珀色の液体を上品に飲む彼女を映している。
意外にも水瀬の雰囲気はこのバーの雰囲気ととても合っていた。
「私は人の話を聞く方が好きだから気にしないで」
「だそうですよ」
「……俺が言う立場じゃないが変な少年と少女だな」
ヴィンセントは呆れつつも、くくっと面白そうに笑った。
「ヴィンセントさんは日本語も流暢で接しやすいし、ここも建物自体は新しそうですけどインテリアは古めかしく思えるいい雰囲気が流れていますよね。いつ頃からこのお店をされているんですか?」
「この店の良さが分かるなんていい感性してるな! 俺は元々西欧に住んでいたんだが、一年くらい前だったかな……この国に来て日本酒に惚れ込んだんだよ。まだ見ぬ酒を求めて……ってやつかな」
バックバーには各種銘柄のワインのほかに日本酒も多く置かれている。
「それでここ――シークレットガーデンを作ったってわけなんだ。酒の肴にもならないようなつまんない話だろ? まあ洒落たトークができてたならもっと客はいるんだろうがな」
肩を上げて呆れたような表情をする男。
「いや楽しいですよ、オレは。ところで一年前にこの国に来た理由って何でしたっけ?」
「ん? それはさっきも言ったように日本酒に惚れ込んだからで――!」
自分でそこまで口にして落ち度に気付いたのだろう。
設定を練り込んでいない者、練ってはいても演じる役に入り込めなかった者。
それらは普通に会話をするだけでほぼ必ずと言っていいほど隙を見せることになる。
あえてオレが不注意を誘ったとはいえ序盤で言葉の穴に落ちるとは思わなかったが。
「日本酒に惚れ込んだのはこの国に来てからって話でしたよね」
「言い間違えたんだよ……。そこまで深く考えずに話していたしな。言っただろ? 俺は酒を入れるのは得意でもトークは苦手なんだ」
「そういうことにしておきましょう。それならこの国に来た目的は何だったんですか?」
オレが何かを探ろうとしていることは彼にも明確過ぎるほど伝わっただろう。
恐らく彼の中で今、疑念と危機感が渦巻いているはずだ。
後は相手が受け身に回るか、直接的な手段に出るか。
「ああ、それはだな――」
ヴィンセントが磨いていたグラスを落とした。
オレはそのグラスには目も向けず、カウンター越しに手を伸ばしてきた男の腕を跳ねのける。
「ちっ……!」
第一手でオレを捕まえることに失敗したヴィンセントは第二手目に入口に向かって駆ける。
迅速な判断は流石といえるが今のオレは単独行動ではない。
扉の前には大鎌を顕現した水瀬がすでに陣取っていた。
「……お前らただの人間じゃないな」
「オレたちは普通の人間だ」
「ふっ、見え透いた嘘を吐かなくていい。視線誘導までしたというのにお前はそれに掛からずあまつさえ不意打ちを防いだな。それは明らかな異常だ。そこの聞き役に徹していた少女もな。隙が見つからないぜ……」
前方を水瀬、後方をオレが抑えている。
そこまで広くもない店内だ。
鼠の一匹すらも逃さない布陣といえる。
「お前たちは何をどこまで知っている?」
「素直に答えると思うか?」
「――なら全部知られている前提で動くべきだな!」
バーの灯りが一瞬にして消えた。
地下にあるからこそ他の光源はない。
明るさに慣れていたために視界が完全に潰されている。
――万が一に備えて電源設備に何か細工をしていたのか。
相手の領域で戦うことの不利がここに出ている。
「水瀬!」
「分かっているわ!」
即座に基礎光魔法で明かりを散らす。
そこにヴィンセントの姿はなかった。
「どういうことだ?」
「私は一歩も動いていないわ」
屋内にはオレたち以外の人影はなかった。
出入口は水瀬のところだけであり、そこに不備はない。
となると固有魔法の可能性も否定はできない。
……だが完全に消えることなど可能なのか?
油断なく周囲を警戒する。
「……もしかしてもう外に逃げたってことはないかしら?」
「その線も考えるべきだ。だが結城から何も連絡が来ていない以上、そうとも考えにくいが……」
オレはふと洋館で読み漁った一般的な吸血鬼に関する資料を思い出した。
人の血液を摂取してその膂力を高める。
再生能力。
鏡に映らない。
吸血鬼は人を魅了する。
この他にも多くの能力があることをすでに知識として得ている。
全てが当てはまるとは思えないが、一つには動物に化けるというものもあった。
そして報告書によれば実際に動物に化けた吸血鬼もいた。
となれば。
扉を開けようとした水瀬を強く制止する。
「待て水瀬!」
水瀬が空けてしまった隙間はわずかに数センチ。
そこをすさまじい速度で駆け抜けていく鼠の姿を見た。
「その鼠がヴィンセントだ!」
「……!」
即座に水瀬の大鎌が振るわれるが獲物が小さすぎる。
大振りな大鎌では上手く命中しない。
「風よ!」
珍しく無詠唱ではなく、言霊による補助を使った強力な基礎風魔法を行使する。
荒れ狂う暴風が矮小な鼠を中空に跳ね上げる。
だがそれはほんのわずかな間だけであった。
「――本当にお前らは人間かと疑いたくなるな」
人型に戻ったヴィンセントは風を容易に切り裂いた。
それから路駐していた適当な車両の窓硝子を破りロックを解除すると運転席に乗り込む。
「じゃあな」
オレと水瀬が路上に出たときにはすでに急アクセルを踏んだ彼が逃亡した後だ。
直後に結城の車両が目の間で停止する。
「乗ってくれ! 今ならまだ追跡可能だ!」
オレと水瀬は有無を言わずに車両に乗り込む。
「少し飛ばすが、舌を噛まないでくれよ……!」
車体が激しく揺れた後に途轍もない加速感が身体を襲う。
「ぃ……!!?」
「……!!」
水瀬の声にならない押し殺した悲鳴とオレの鋭く息を呑む音。
速度メーターがぐんと一息に上昇するのを見て、これからの結城の運転が悲惨なものになると確信するのだった。
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