♰Chapter 28:眠りを妨げしもの

八神が神宮寺と帰っていた頃と同時刻。

薄暗い地下空間にて、棺の中で眠っていた男は目を覚ました。


その正体は由緒正しき吸血鬼の王の正統である。


黄金比率とでもいうべき精悍な顔立ち。

惚れ惚れするような引き締まった細身の筋肉。

その色白の身体は一糸も纏っていない。

それでも卑俗な印象は小指の爪ほどもない。

むしろ見惚れるほどに完成されていた。


代わりに身体中に紅の紋章が明滅している。

それはやがて皮膚に馴染むように消えていく。


「――この地の霊脈を掌握するには今しばしの時が必要か」


瞬時に裸体を黒衣が包みこむ。


「……夢想ではなかったか。低位屍食鬼ファムルス・フミリスは増えているものの、高位屍食鬼ファムルス・アルトゥスが減じている。それに吸血鬼も一鬼、減じているな」


王はこの地の霊脈を掌握することに丸一年近くを費やしてきた。

長きにわたる睡眠も吸血鬼の王の権能によって霊脈を一刻でも早く我がものとするため。


――あと少しというところだった。


王は信じがたい現状を感じ取ったために予定せず起床することとなった。

高位低位を問わず屍食鬼が減じたことも信じがたいが、特に吸血鬼が灰に帰したことが理解できずにいた。


吸血鬼には『真祖』『王位』『貴位』の三階級がある。

『真祖』は遥か古の時代より空席が続いているため、実質的には『王位』『貴位』で成立している。

中でも『貴位』とは知性と理性を兼ね備えた最も一般的な吸血鬼である。


そして吸血鬼の眷属にあたるのが屍食鬼だ。

特異な能力を持ちうわ言のような人語を話す高位屍食鬼、特異な能力を持たず人語も話せない低位屍食鬼の二種類に分けられる。


そして王は純血種の吸血鬼であるが、貴位吸血鬼は混血種の吸血鬼である。

いわゆる貴位吸血鬼とは高位屍食鬼が王の血を分け与えられた存在なのである。


したがって。

王は自身が生み出した貴位吸血鬼、あるいはそれが他者を屍食鬼にした場合。

ブラッドツリーの頂点に君臨する王にはそれ以下の全ての存在の生存可否とごく狭いながらも居場所を探知することができる。

また頂点が高位屍食鬼に血を分け与えた貴位吸血鬼は屍食鬼や吸血鬼の標準権能に加えて何らかの秘技を持つのが通例だ。


そうであるから吸血鬼は基本的に死ぬことはない。

とても強く、とても頑なで、とても秀でているから。


だからこそその一鬼が死亡したことには衝撃があったのだ。


「奴を吸血鬼の座に据えようと推薦した愚者は――ヴィンセント」


霧を伴って出現した男は王にかしずいていた。


「貴様だったな。高位屍食鬼から吸血鬼になったばかりとはいえ人間風情に狩られるとは。この責任はどう果たすつもりだ?」

「――っ!!」


凄まじい威圧が広い地下空間を圧迫している。

呼吸を妨げ、生存本能が警鐘を鳴らす。

それでもヴィンセントと呼ばれた男は膝まづき続ける。


冷や汗が一筋、頬を伝って無骨な地面に水玉を描く。


「今回の醜態はそれ以上の成果でもって覆せ。一度ならば我が器量でもって赦すこともあるが二度はない。吸血鬼に無能はいらぬ」

「はっ。王より賜ったこの権能で必ずお役に立って見せます」


そういうと再び霧となり消えていく。

それから王は冷めた瞳を物陰に向ける。


「ゼラ、貴様もいるのは分かっている」


代わりに現れたのはゴシックなドレスを纏ったゼラだ。


「気付かれていたのですね」

「当然だ。この距離で我に探知できぬ同族はいない。それに貴様もヴィンセントと同様だ。高位屍食鬼こそ消費していないようだが低位屍食鬼が相当数消費されている。畜力の時期だということを忘れたか?」

「いいえ、王よ。確かに予期しない人間の介入により、数は減らされました。ですがそれは些末な問題です。その何倍ものペースで我らの駒は増え続けているのですから」


王は凍結するほど冷え切った金目をゼラに向ける。


『真祖』と『王位』の吸血鬼はその証として他の吸血鬼とは一線を画す瞳を持つ。

人間で言うところの白目が黒く、黒目が金色となるのだ。


彼女はひたすらに頭を下げ続ける。

あまりの威圧感にこの場が潰れてしまうような錯覚すら覚えるほどだ。


「ヴィンセント、ゼラ。貴様ら混血種をなぜ処分しないか分かるか?」

「わたしには王の意図は図りかねます。ですが先程の王の言葉をお借りするなら少しでも戦力を残しておきたい、というところでしょうか」


王はゼラを肯定する。


「貴様らは愚かな失態こそ多いが駒として有能ではある。加えて今はもう二鬼しかいない貴位吸血鬼ゆえ安易に排除はできぬのだ」

「王であったとしても知的な個体を生み出すことは難しい、ということでしょうか?」

「そういうことだ。数を生み出せば中には成功する者もいる。だが質は落ちる。もはや生まれ落ちぬ純粋種は我だけゆえに至宝にも勝る我が血は一滴たりとも無駄にはできぬのだ」


そこでゼラは王に問う。


「おっしゃるように王よ。真祖の血縁を引く貴方様しかもう純粋種はおられない。しかし人間と吸血鬼のハーフとはいえ私とヴィンセントはここにいます。わたしたちを全て動員してまで、なぜこのような東方の最果ての地まで御自ら来られたのでしょう? 王はわたしたちに『屍食鬼を増やすこと』と『この国にいる吸血鬼を探すこと』をお命じでしたが……」

「貴様に応える必要性は感じられないが目的を知らねば憐れというものか。いいだろう、教えてやろう」

「っ……!!?」


「純粋種の血を分け与えられておきながらその責から逃れようとする愚かな黒檀こくだんの吸血鬼を葬るためだ。真祖――それも王の血を簒奪した愚者には幾千幾億の陽光で灼いたとて飽き足らぬ」


王の静かなる憎しみは留まるところを知らない。

すべては圧倒的な力、濃密な血液の密度。


「だがそれだけでは腹の虫がおさまらぬ。黒檀の吸血鬼を葬った暁には愚鈍なをも滅ぼし、この地の霊脈から霊力を引き出す。そこで真祖復活の儀式を行うつもりだ」

「それは……この国は亡国となりましょう」


ゼラは王が人間に対して黒檀の吸血鬼以上の憎しみを抱いているのではと考える。

声音こそ怜悧で冷徹であるが、言葉選びに悪意を感じ取ったのだ。


ゼラは内心で深い同情を人間たちに向ける。

裏切者がなぜこの国に逃亡したのかを彼女は知らない。

だからとばっちりを受ける人間に奇しくも同情しているのだ。


純血種の証である黒目に金色の瞳孔。

それが冷徹にゼラを見据える。


「吸血鬼の王が命じる。目と手足を増やせ。屍食鬼の増殖と昇格に力を入れよ。不敬を働く塵芥には恐怖を植えつけてから無残に殺せ。使える死体は全て有効に活用せよ。予期せぬ不始末に覚醒したがいまだにこの地の霊脈には慣れぬ。来たるべき満月の夜、それまで我は再びの眠りにつく」

「我らの王――の御名のもとに」


吸血鬼たちの密会はとある場所で密やかに行われていた。

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