♰Chapter 12:結月香織との再会

翌日。

休日の午前は洋館の書庫に籠り、魔法使いについての知識を蓄える。

それは毎週末の日課であり、魔法使いや魔術師について詳しく知る機会でもある。

ちなみにだが洋館の書庫には凪ヶ丘高校の図書館のような娯楽小説はあまりない。

代わりに魔法使いが読むための魔法書や魔術書が、基礎知識から発展知識まで広く収められている。

特に過去の事件簿については膨大な蔵書数がある。


ここにひと月以上籠っていたとしてもきっと飽きることはないだろう。


昨夜から修練を開始した他者と魔力の波長を合わせること。

これは神宮寺――ひいては今後の目撃者を世界の理から守るために必須の技術だ。

だが不定形な魔力の流れを整える緻密さや失敗を恐れぬ剛毅さが求められる。


それに関する知識もここ数時間で概ね読み漁り終えていた。


次に屍食鬼が暴れた過去の事件でも見つかればと思ったのだが。


「屍食鬼に関する学術書はあるにはあるが……流石に事件簿まではないか」


瘴気、赤い瞳、爪や牙。

キーワードに合致する屍食鬼については見開き一ページの紹介があるくらい。

過去に屍食鬼が起こした事件の記録は見つからなかった。

内容についても結城が説明した内容以上の収穫はほぼない。

だが裏を返せば全くないというわけでもなかった。


「屍食鬼は吸血鬼の下位的存在。多くの人間の血肉を喰らうことで低位屍食鬼から高位屍食鬼に昇格し、さらに特定の条件――吸血鬼の王の血を与えられることで吸血鬼に存在の格が上がる……か」


屍食鬼が実在する今、その上位的存在である吸血鬼がいたとしても不思議ではない。


屍食鬼を生み出す魔法についての記述も探してはみたものの、実ることはなかった。

すなわち、未発見の魔法体系である可能性が高いということ。


「固有魔法は魔法使いのなかでも使える者が限られている。それに全く同一の固有魔法は決して存在しない。これも死者が生者に戻らない、あるいは完璧な治癒がないのと同じ絶対的な法則……だとすれば学術書にあるはずもないか」


ぱたん、と本を閉じ、棚に戻す。


未知の存在はそれだけでオレの恐怖になる。

『知らない』は人間にとっての本能的な脅威だから。

急所を潰しても死ななかったあの存在のことをもっと知らなけばならない。

でなければ次は生き残れないかもしれないから。


オレは早朝に神宮寺から転送されてきたデータにすでに目を通している。

だからこそこの事件がまだ終わっていないことに確信を持っている。


同様に優秀な諜報部隊を持つ結城も情報を手に入れていることだろう。

午後には再度の会議が予定されており、今日中にも今後の方策を伝達するはずだ。


「……まだ時間はあるか」


しばらくは学生生活と魔法使い生活、暗殺者生活の三つの役割をこなしていたため、お気に入りの自然公園でおちおち散歩も出来ていなかった。


――鮮血ばかりを見ていると心が腐る。


元々生きているようで生きていないような心だ。

それでも人間としての最低限の気持ちすら忘れてしまえばそれは獣と変わらない。


そうならないためにも散歩に出かけることにした。



――……



自然公園への来訪は久しぶりだ。

前回訪れたのは春だったから桃色に染まっていたが、今は風景も夏の緑に染め上げられている。

桜ほどの派手さはないが風に揺れる葉から漏れる陽光が鮮やかだ。

梅雨の時期であっても貴重な晴れの日があることに密かに感謝する。


「先客か」


かなりの頻度で通っていた頃はオレの定位置だったベンチ。

そこにはぼうっと初夏の空を見上げる少女がいた。

向こうもオレに気付いたようで軽く手を振る。


「久しぶりだね、零」

「ああ、結月」


四月にこの公園で偶然にも出会った少女。

名の分からない病に罹患している彼女。

その顔色はわずかだがよくなっている。


「しばらく来ない間にオレの呼び方を変えたのか?」


確か以前は”お兄さん”と呼んでいたはずだ。

それが時間の経過とともにより親しみを込めた名前呼びに変わっている。


「あ、ごめんね……。実は名前を教えてもらったあの日から自然に呼べる日を楽しみにしてたんだ。ほら、わたしって病院以外だとこの公園くらいにしか散歩に出かけられないからさ。友達もいないし」


小さな自虐はあるが、それでもオレとの再会を喜んでいるらしい。

つい先程まで忘れていたなんて口が裂けても言えないだろう。


「体調の方はもういいのか?」

「うん、大丈夫。一時期は食事も喉を通らなくてああもうこれはダメかなって諦めかけたときもあったけど、なんとかね」


かなり危険な状態であったことを暴露される。

家族に見捨てられた彼女にとっては倒れたときに傍にいたオレが、唯一の外との繋がりだったのだろう。


殺伐としたオレでも、時と場所と場合によっては同情くらいはする。


「そ、ん、な、こ、と、よ、り! だよ? まったく訪ねに来てくれないからもう会えないのかなって思ってたんだよ? それについては何かないのかな?」

「悪いな。オレも普通に忙しいから来れる日もあれば来れない日もある。そもそもたった一回会っただけのお前ともう一度会う予定はなかったしな」

「あ、ひっどーい! 病室で約束したのにな。また小説のお話を聞かせに来てくれるって」


確かにあの時、別れ際にそんな血迷った約束をした気がする。

忘却されつつあった記憶を何とか掘り起こす。


「……待て。あの時はまたいつか来れたらいいと言っただけだったはずだ。絶対は約束していないぞ」

「え~そうだっけ?」


揶揄うような目つきでオレを見てくる。


「まあ、いいよ。こうしてまた会えたんだから。ほら、いつまでも立ってないで座りなよ!」


すっと手が伸ばされ、軽く下に引っ張られる。


ふと違和感を覚える。

驚くほど質量というものがないのだ。

少女だから……と言うにしても恐らく軽い。


流石にそこは病院暮らしをしている彼女に突っ込むのは気が引けたので、流すことにする。


「それじゃ、早速零のお話を聞かせてよ! 病院の外で起こったこと、知りたいな」


期待の籠った眼差しでせがまれれば、無下にも出来ないというものだ。

結城から指定された会議の時刻までは十分な時間がある。


とその前に少しだけ聞きたいことを聞いても罰は当たらないだろう。


「その前に一つ質問なんだが……お前を担当をしている医師は誰だ?」

「えっと……枢木くるるぎ先生だよ。枢木ってすごく珍しい名字だよね」

「お前の担当医師は前からその人か?」

「うん、そうだよ。でもどうして? 零も私の病室に来たとき話したんじゃない?」


以前彼女を担当していた医師は氷鉋冬真だった。

本に記載されていたように魔法使いは死んでしまえばそれっきり世界に存在が消されてしまう。

魔法使いや魔術師は世界にとっての異物として見られるらしいからな。

伊波がそうだったように、ここでも確認が取れたわけだ。


「いや、何でもない。腕のいい医師が付いてくれたならお前も少しは安心だろうと思っただけだ」


その言葉ににやっと笑う結月。


「……なんだ、その顔は?」

「べっつにー! 不器用だな~ってそんなこと思ったりしないから!」


不器用という言葉に反論したい気持ちもあったが飲み込むことにする。


「じゃあそろそろ話してもらおうかな。零の周りで起きたこと、外の世界のこと!」

「そうだな――」


それから小一時間ほど話し込んだ。

その内容は主にオレの高校生活についてのことに収まった。


午前中を跨ぎ、正午を回る。

お昼時になるとこの公園にも近くの働き人や観光客が意気揚々と巡り始める。

のんびりと弁当でも食べるにはこの自然はとても心地が良いのだ。


「へえ、そんなことがあったんだ。いいなあ……部活を自分たちで作るなんてすごく楽しそう」

「最初は嫌々だったんだが慣れればなんてことはない。最近では依頼の合間に好きな小説も読めるしな」


猫の手部の活動時間は主に平日の放課後。

最終下校時刻までの数時間、そのおよそ半分近くは読書時間に充てられる。

場合によっては全てがのんびりまったりの自由時間になるくらいのときもある。

水瀬は分かるが、案外と周防も本を読むことが好きらしい。

黙々と妹関連の書籍を読み漁っているのをよく目にする。


「わたしも身体が強ければ今頃は――」


遠い目だ。

在るべきはずだった時間を想っての間。

オレと彼女の暇つぶしになればと思ったのだが、逆に傷つける結果になってしまっただろうか。


「あまり楽しめなかったか?」

「あ、ううん! そういう訳じゃないよ! すごく楽しかったし、まるで自分が本当の高校生になったみたいで……なんていうか、嬉しかった」

「嬉しかった?」


その感情は理解できずに問い返してしまう。


「うん。わたしにはきっともう来ない時間だけど、零が体験したことを教えてくれて、それがわたしの気持ちを動かしてくれるから」


にしし、と歯を見せて笑う少女。

暗さとは無縁の明るい笑顔だ。


「そうか。それなら付き合った甲斐があるな」

「そろそろ行くの?」


名残り惜しそうな気配はあるが、悠長に構えていると結月はいつまででもここにいそうだ。

また体調を持ち崩されては困る。


「結月の散歩時間もそろそろ終わりじゃないか?」

「ははは……バレてたのか。実はもう十分くらいオーバーしちゃってるんだよね。そろそろ看護師さんが迎えに来ちゃうかも」


冗談めかしているがそれは笑えない。


「そうだ。最後になんだけど零は”夏の息吹”っていう本を読んでたよね? わたしと零が出会うきっかけになった本」

「ああ」


あれはシリーズものとして一部のコアなファンに人気のある作品だ。

マニアックではあるが知る人が見れば読みたくなるような、そんな名作。


「あの本はもう暗記ができるほど読み込んじゃったんだ。だからもし零さえよければあのシリーズをお見舞いに持ってきてくれないかな?」


無理なら全然大丈夫、という態度だがこの状況で断ることは人としてどうか。

人に寄り添うことで少しでもかつての少女への罪滅ぼしになるのなら、慈善活動もオレのすべきことか。


「体よく次に会う約束を取り付けたわけだな」

「ふふん、結月香織っていう女の子は抜け目がないのであります!」


冗談めかしているが心底嬉しそうな表情は、こちらが眩しさを覚えるほど。

魔法使いとして――そして何より暗殺者として数々の人間を殺してきたオレには特に。


「じゃあ、わたしもそろそろ行くね! またね!」


楽しそうに手を振ってから去っていく。


「……彼女を救っている気で、オレが救われているのかもな」


遠ざかる彼女の後姿を見て、そんなことを思ったのだ。

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