♰Chapter 42:呪詛返し
「――か」
静かな微睡に心地よさすら覚えていた水瀬の身体が覚醒し始める。
「優香」
淀みのない綺麗な声音。
はっきりと水瀬を呼ぶ声がする。
目蓋を開けた水瀬の視界に入ったのは琴坂律の後ろ姿だった。
激しい銀燭を散らし、その身に荒れ狂う風を受けている。
「律……? これは――!!」
建物の屋上――その壁面に寄り掛かるようにして倒れていた水瀬。
その視界が琴坂、次いで火の手を上げる街並みを映し出す。
現実離れした光景に、強引に意識が覚醒する。
やがてそれはより詳細な状況把握を可能にした。
――律が言霊の籠った魔力弾を放っている。
その標的は骨格が露出した鳥――”
「優香、起きたなら手伝って! 戦闘に不向きなわたしじゃ守ることで精一杯……!」
まるで竜巻のように編隊を組む骨鳥。
尋常ならざる赤い瞳で銃弾のような自爆突撃を繰り出してくる。
人体に刺されば致命傷になり兼ねない。
それを琴坂の顕現した魔力盾と魔力弾が何とか防いでいる。
どちらも魔法使いなら誰でもできることであり”ただ魔力を垂れ流す”という一点において同じ原理を持つ。
違いは不定形魔力を広範囲に散布するのが魔力盾、定形魔力を放つのが魔力弾であること。
特に前者は魔力効率が悪く、湯水のように魔力を消費している。
琴坂の正面の足元はすでに骨鳥の突撃で削り取られてしまっている。
ここで水瀬を守っている間、相当な攻撃を受けていたのだから当然だ。
水瀬はヴィンセントとの戦闘で傷んだ身体にムチ打ち、立ち上がる。
頭痛はひどく、身体の疲労も相当だ。
それでも強引に大鎌を顕現する。
「っ……これくらい……!」
コバルトブルーの刃先が敵の姿を映し出す。
「セアッ――!!」
青い軌跡は群れを二つに分断する。
ばさばさと骨鳥が灰に帰していくが、それでもごく一部だ。
「動きを止めないと仕留めきれない……!」
「……厄介!」
そのとき背後からもどんどん、と扉を叩く音がした。
尋常ではない力に手足の形が鉄扉に浮き出ている。
地上では”屍食鬼”が徘徊しているため、音の激しい屋上に上がってきたらしい。
水瀬は大鎌を、琴坂は魔力盾と魔力弾で応戦しつつ言葉を交わす。
「律、貴方には呪詛を浄化する力がある! それはつまり呪詛を感じることができるのよね⁉」
「それは、そうだけど……今はそれどころじゃ……!」
「吸血鬼は何らかの液体を撒いて突如この現象を引き起こした! そして言っていたわ! これは過去人類史で流行したペスト――その特別製だと! ならこの状況は作為的に作り出されたものといえる! だとすればこの現象は魔法? あるいは魔術? それとも呪術?」
はっとしたように琴坂は考える。
呪術とは、厳密には魔術の一種だ。
しかし通常の魔術とは必要とされる物が異なる。
通常の魔術にはアーティファクトが必要だ。
これに対し、呪術はアーティファクトが不要だ。
その代わりに『呪詛』と『核』が必要となる。
呪詛とは文字通り呪いであり、核とは呪いを滞留させるための容器のようなもの。
そして後者は必ず実体を伴っていなければならない。
それが呪術の絶対的ルールであるのだから。
”屍者”――少なくとも”屍食鬼”とは『死体』という核に『呪詛』を込めたもの。
その証拠に琴坂の浄化の言霊を込めた魔力がわずかでも掠めるだけで灰になる。
ただの魔法や魔術ではここまで圧倒的なダメージを当たることは叶わない。
「これは、呪術……!」
水瀬の一振りで骨鳥の群れが散らばった。
わずかに稼いだ時間で琴坂を見据える。
「ならきっと〔絶唱〕の守護者の貴方にしか見つけられない打開策があるはず!」
「わたしにしか……見つけられない、こと」
それだけ言うと水瀬は再び骨鳥を相手取る。
琴坂は思考する。
自分の知識とこれまでの報告書を鑑みて”屍者”の事件を組み上げていく。
――”屍者”とは”吸血鬼”と”屍食鬼”の総称。
――うち”屍食鬼”が呪詛の塊であることは判明済。
――そしてそれは恐らく吸血あるいは食肉行為による呪詛浸蝕で人間の体内を侵す。
結論。
”屍食鬼”は自らを核として延々と呪詛を広げている。
自らが呪詛によって構築される存在でありながら、自らを核にしつつ、自らの分体としてさらなる”屍食鬼”を生み出している。
半永久機関として完結していると見るべきだ。
だがそれはこれまでの屍食鬼の話であって現状における屍食鬼の話ではない。
優香によればこのパンデミックには吸血鬼の液体が関連している。
現状における屍食鬼の急速な増殖の原因であることは明白だ。
そして以前までと今回との差異もまさにそれだ。
だとすれば今の異常事態はどう説明できるか。
液体の効能自体は推測するしかないが、恐らくはこれを『呪詛』とした。
だが優香は吸血鬼が液体を『撒いた』と言った。
それはどこかに消えてしまったことを指し、『呪詛』の定義とは合わない。
なぜなら『呪詛』の入れ物となる『核』がどこにも存在しないから。
でももし液体が何か別のものに憑りついたなら。
――それは核として機能しうる。
また優香は『突如』パンデミックが起こったとも言った。
”屍食鬼”の知能は獣以下であり、一般人の中に紛れることは不可能だ。
よって液体が使われる前の人波に屍食鬼が存在した可能性は低い。
ここから推測すると液体の正体は自ずと見えてくる。
かなりの確率で噛まれていなくとも屍食鬼になるような。
「……そっか」
二人がかりでも防ぎきれなかった骨鳥がすぐ傍の足元を穿つ。
背後では鉄扉が軋み、隙間から赤い目と血色の悪い手足が覗いている。
――仮定に仮定を重ねた馬鹿らしい発想ではある。
――だが現状と併せて論理の破綻は見られない。
琴坂は一つの結論を導き出す。
すなわち、液体状の『呪詛』を何らかの実体ある『核』に憑りつかせた。
それを起点として、噛まれていない民間人までもが屍食鬼となってしまった。
いわば今回の件は”省略”だ。
通常『屍者』が『人』を『噛む』の三拍子が揃った場合にのみ『屍食鬼』となる。
今回は『液体』を使うことで『人』が『屍食鬼』となった。
本来あるべき『噛む』という手順を略式化したと推測できる。
――それならやりようはある。
「優香、わたしは呪詛返しを試す! しばらく相手をお願いできる……⁉」
「ええ、任せて!」
呪詛返しを行えば『核』に対して何倍もの威力を返すことができる。
そして琴坂にはそれができるだけの技量と魔力がある。
骨鳥は琴坂が後退するとかなりの数が突っ込んでくる。
その威力はコンクリートの屋上を貫通して下の階にもダメージを与え続けている。
これ以上崩されると足場が崩壊する危険がある。
「もう少しだけ耐えて、私の身体……!!」
琴坂は水瀬に簡単な疲労回復のおまじないを付与する。
彼女はそれから右手を前に突き出し左手を右腕に添える。
自身の魔力を足元に広げた魔法陣に転嫁していく。
その間、水瀬の大鎌は縦横無尽に振るわれる。
馬鹿の一つ覚えのように突っ込んでくる骨鳥をただの一匹さえ打ち漏らさず、琴坂と建物を守り続ける。
刃が骨を断ち、死のオーラが無垢の骨を灰へと埋葬する。
二十に迫る骨鳥を葬ったとき、彼女の周囲は死臭に満ちていた。
「あと、少し!」
そのとき扉が破られた。
圧力に耐えかねたように跳ね跳ぶ鉄扉。
屍食鬼が真っ先に狙うのは後退していた琴坂だ。
「律!」
「わたしのことは気にしないで!」
琴坂が展開している銀色の魔法陣に踏み込んだ途端に、屍食鬼は浄化される。
腐肉すら残さず、灰になって消えていく。
人間にとっては癒しすら感じる空間が屍者にとっては劇毒となる。
「これだけじゃ、足りない……呪詛返しにはもっと強力な魔法陣が必要……!」
一重二重。
魔法陣は複雑な紋様を刻み、時間を経るごとに大きくなっていく。
「くっ……!」
水瀬の死の斬撃も無限ではない。
固有魔法を使うたびに身体が壊されていく。
ヴィンセントとの戦闘を合わせれば過去最長になりつつある。
暴発するとすればもう間もなく。
水瀬の背筋を怖気が走る。
再び守護者を巻き添えにしてしまうかもしれない恐怖だ。
だがギリギリのところで耐えている。
「優香、わたしのところまで下がって!」
水瀬は即座に陣の中に入る。
骨鳥と屍食鬼は一斉に魔法陣に突っ込んでくる。
次々と突っ込んでは消えていく屍体たち。
浄化の魔法陣は消えることなくさらに輝きを増す。
「じゅうぶん――呪詛返し……!」
辺り一帯を覆うように光柱が降り立つ。
それから一気に収束すると光球となってどこかへ飛んでいく。
「あの光の先に『核』――この状況を作り出している原因がある。……優香?」
冷や汗が止まっていない水瀬の様子に琴坂もただならぬものを感じたのだろう。
片膝をつき、水瀬の前髪を分ける。
「強めの行くね――」
額へのキス。
八神に行った手で触れるだけのものとは異なり、より強力なものだ。
銀色の魔法陣は水瀬を包み込む。
固有魔法で傷ついた魔力回路を修復し、魔力の澱を浄化していく。
「……ありがとう。だいぶ楽になったわ」
「うん。優香にはもう、悲しい思いはしてほしくないから」
それ以上の言葉は必要ない。
そう、琴坂は目で訴えていた。
水瀬はその心遣いに感謝する。
「ありがとう、律」
それから二人は光の指し示す先――呪いの元凶がある場所へ足を向けるのだった。
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