♰Chapter 41:仮設防衛ライン

オレと姫咲は〔ISO〕が構える北部前線拠点の建物に案内された。

案内してくれた男は宇賀神の部下――狗飼だった。

そして背後には武装した構成員が二名。


「すみません。僕もこんなことはしたくないんですけど……規則ですからね。咬傷かみきずがある人は”屍食鬼”になる可能性があることがこれまでに分かっていますから」


保険として銃持ちが付き添っているのだろう。

オレも姫咲も多少の擦り傷を負っているため、警戒対象だ。


「実際に避難してきた中に”屍食鬼”になった人はいるんですか?」


その質問に彼はひどく辛そうな表情をした。


「そうですね。逃げてきた人の中にはそういう人もいましたよ。ただでさえ恐慌状態だというのに、治安維持を図る僕らが市民を銃殺したんです。たとえそれが化け物になってしまった人だとしても到底受け入れられるものじゃない。動揺を収め説明を理解してくれるまでに時間がかかりましたよ。そして異常が見当たらなかった人から順々に別の区に避難しているという現状です」


オレと姫咲は同じエントランスに案内される。

中央には衝立が何枚も列をなしており、そこに見張り役と思われる男性構成員と女性構成員がそれぞれ立っていた。


「八神くんは男性監査官の方へ、そっちの少女は女性監査官の方へ。衝立の向こうで服を脱いでください。君たちにひどい傷――具体的には咬傷がないか同性の監査官に見てもらいます」


そこでくいっとオレの服が引っ張られた。

姫咲が小さく首を横に振る。


抵抗する理由に心当たりがあったオレは彼に提案する。


「オレは別に構わないですけど……彼女は身体を見られたくないそうです」

「しかしそれでは他の人にも示しはつかない……。君は誰になら検問を受けてもいいのかな?」


狗飼なりに威圧しないように言葉遣いをさらに柔らかくする。

それに半ばオレに隠れるようにして応える姫咲。


「――この人」


それに対する彼の反応は至極当たり前のものだった。


「あー……と? もしかして八神くんと彼女は知り合いだったんでしょうか? 従妹とか。距離感から推測するしかないですが従妹……ってほど近くもないですよね?」

「厳密には違いますが似たようなものではありますね」

「うーん……煮え切らないけど八神くんは組織の一員ですしね。信用しますよ?」

「ええ、任せてください」


ひとまずオレは自分の検問を済ませる。

身体に咬傷はないが切り傷はある。

擦り傷、そして全身の打撲も。


特に切り傷は念入りに観察される。

咬傷に近いと判断されかねなかったが何とかパスする。

ISO付きの医師に応急手当を施してもらった後、二人のもとへ戻る。


「特段、問題はなかったみたいですね」

「手当までしてもらって助かりました」

「なに、宇賀神さんから現場指揮を任されている以上、精一杯務めて見せますよ! とは言いつつも若輩者で頼りないかもしれないけどね。さて次は彼女だけど一時的に女性ゾーンを解放します。終わったら呼んでください」


狗飼は監査官と見張り役を室外へ出るよう誘導する。


それからオレと姫咲は衝立の向こう側に行く。

机上には服を入れる籠と未使用のバスタオル、そして医療セットが置かれていた。


「姫咲、オレが言うのもなんだがどういうことだ?」

「それはきっと見ていれば分かるよ。ほんの少しだけどこれまで自分の目で見てきたおにーさんをわたしは信じる」


服の裾に手を掛けた姫咲の行動を予知し、オレは背後を向く。

その間、衣擦れの音が響く。


「いいよ」


振り向くと姫咲はバスタオルを巻いていた。


オレは軽くその身体を見て傷がないことを確認する。

それから背後に回ったとき、背中の紋様が目に入った。


「これは――」


深紅の蠢く紋様。

鼓動に合わせるようにどくどくと脈打っている。

そしてその周囲の肌はやや肌色とは遠く、うす紫がかっている。

その症状は”屍食鬼”を連想させるのに十分だった。


「わたしの秘密の一つ。吸血鬼と人間のハーフ、それがわたしなの」


見たこともない力を使うとは思っていた。

だがそれは魔法使いとしての固有魔法だと予想していた。

その実際はまったくの別物だったのだ。


他の人間に見せなかったことも理解できる。

彼女を見れば誰もが”屍食鬼”だと思い、行動を起こしてしまうから。


「なるほど。状況は理解した。だがどうしてオレには赦した?」

「おにーさんはいつも冷静だった。優しさも持ってる。そのうえでわたしにちゃんと理性があることにも気付いてくれているから。だから少なくともわたしの話を聞かずに傷付けるようなことはしないと思ったんだ。――もう、いい?」

「あ、ああ」


ぱさっと服を着直そうとする少女から視線を外す。

屍食鬼の位置が分かるのも彼女のその特異性ゆえだったか。


「これを見た今、おにーさんはどうする?」


探るような声音。

受容か、拒絶か。

表情は見れないがきっと張り詰めた緊張を宿していることだろう。


「そうだな……オレからお前への態度は変わらない。言葉が通じ、なおかつまともな人格――理性と言い換えてもいい。それがあるのならどんな姿でも対話するつもりだ」


背後からくっくっと押し殺した声が聞こえる。

思わず振り返ったオレは、着替え終えた彼女が面白そうに笑っている姿を目にする。


「変わり者だね、おにーさんは。怖がらないし、怯えない。怒りも憎しみもない」


それから彼女はオレを見据える。


「もう一度行くの? きっとさっきよりも屍食鬼は増えてる。生きてる人だってどれだけいるか分からないのに」

「まだオレの仲間も民間人も取り残されている。それに一人で残った宇賀神のことも気掛かりだからな」

「わたしもついていっていい?」


少し迷ったが頷く。

姫咲には異能がある。

自分の身は自分で守れるだろうし、何より人手があって困ることはない。


オレたちが部屋を出ると狗飼が待っていた。


「どうでしたか?」

「何も問題はありませんでした。噛まれた事実はありません」


ほっとしたように胸を撫で下ろされる。


「それはよかった……実は先程から前線での戦闘が激化していて厄介なことになりそうなんです。お二人は怪我人ですし、後方へ避難していて下さ――」

「それは無理な話です。オレも彼女ももう一度戦場に立つ」

「いやいや! それは危険ですよ⁉ 八神くん一人でも止めたいくらいなのにその女の子まで連れて行くって……納得できません!」


オレの心配もしてくれている。

だが〔幻影〕の一員であるからと割り切っている様子もある。

ただ姫咲のことがどうしても気になるらしい。


「なら彼女の実力が十分ならいいんですね?」

「え、それはまあ――」


オレが姫咲にアイコンタクトすると彼女の周囲に赤い糸のようなものが顕現する。

そして目にも留まらぬ速さで男の足元をすくい、薙ぎ倒した。


ただ敵を刻むだけでなく切れ味をゼロにすることもできるらしい。


「ったた!!」

「少なくともこれが戦場なら貴方は死んでいるところですね」

「分かった、分かりました!! 彼女も魔法使いなら認めないわけにはいきませんね! まったく……人が悪いですよ……」


それから姫咲は男の拘束を解くとオレの裾を掴む。

もはやそこはお気に入りの場所らしい。


再び外に出ると遠くのビルの硝子に光が反射しているのを見て取る。

〔ISO〕と屍食鬼が戦闘しているのだろう。


「ではお二人とも気を付けて!」


その言葉を最後に再び駆け出すオレと姫咲だった。

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