♰Chapter 18:真偽の行方
翌日、オレと水瀬は〔ISO〕の第二支部の客間に案内されていた。
客間と言っても一つの部屋をパーテーションで区切っただけの簡易な空間だ。
目の前のテーブルにはペットボトルの飲み物と包装された一口サイズの羊羹が大皿に積まれている。
宇賀神は忙しそうに方々へ連絡を取っているようだった。
てきぱきと室内の別の職員にも指示を飛ばしつつ、頼りがいのある仕事ぶりを見せている。
「現場検証はどうだ? ……いい加減手掛かりの一つや二つ見つからないのか? あ? 自分たちには過去のことは分からないだ? ……それを調べるのがお前たちの仕事だろう! ったく私にばかり世話を焼かせるな」
訂正しよう。
端末ごし――癇癪気味に部下を罵っている女上司の姿がそこにあった。
「ああ、分かった。その代わり今度煙草な」
そう言って通話が途切れるとオレと水瀬のもとにやってくる。
そのままどっかりと客間のソファに腰を下ろす。
「待たせたようで悪いな、お前たち。しばらくぶりだが生きてたようで何よりだ」
「綴さんは……疲れていそうですね。”屍者”の件ですか?」
屍食鬼と吸血鬼。
屍食鬼は特定の条件を満たすと吸血鬼になるようだが、根本は冷たい死体である。
一連の事件での呼称が混同されやすいため”屍者”で統一されることとなった。
水瀬の問いかけにそうなんだ、と額に手をやる宇賀神。
「お前たちには話しておいたほうがいいだろう。昨夜〔ISO〕も〔幻影〕と共に哨戒に当たっていたのは知っているな?」
「ええ、予測襲撃地点がかなり多かったですから」
「――そこで”屍者”との交戦があった〔ISO〕の一個小隊が壊滅した」
宇賀神は足を組み、とことん冷静に話していた。
一切の動揺がない構えだ。
「そんな……。〔ISO〕の一人一人が並の魔法使い相手なら拮抗できるほどに訓練されていることは知っています。そのうえで対魔法・魔術装備を身に付けていたはず……。それでも敵わない敵だった、ということですか?」
「ああ、そういうことになるだろう。優香が当たったという吸血鬼とは違って屍食鬼だったようだが……どうやら複数の個体から奇襲を受けたらしくてな。作戦終了時間までに戻らなかった小隊五名のうち四名が干物のような死体で発見されている。私は直接見たわけじゃないんだがそれはもうぱりっぱりの枝葉みたいだったそうだ。このみずみずしい羊羹とは正反対だな」
宇賀神は冷笑を浮かべ、羊羹を摘まんでいるがそのジョークはあまり笑えない。
ブラックジョークという奴だ。
水瀬には心苦しそうな気配を感じる。
多少の犠牲は覚悟していたはずだが、だからといってショックを受けないわけではないのだろう。
「もう少しすれば写真も挙がるには挙がるだろうが……それなりにショッキングなものになるだろうからな。伝え聞く限り、茶色く変色した肌に窪んだ眼窩、骨に皮が申し訳程度に張り付いている様子だと。そう言われれば状況は自ずと想像できるだろう」
「あとの、一人は……?」
躊躇いがちな水瀬の問いかけに、宇賀神は首を振る。
「残りの一人の遺体は見つかっていない。その生存の可否も含め――まあこちらは望み薄だが、さっきまでの忙しさも第二支部の方で色々任された結果ということだ。まったくどこのどんな”屍者”だか知らないが、猟奇的な真似をしてくれる。おかげで〔ISO〕は週末も全て返上でてんてこ舞いだよ」
宇賀神は不満げに電子煙草を取り出すとそっと口を付ける。
ただどうにも電源が入っているようには見えない。
彼女は敏感なようでオレの視線に気づいた。
「ああ、これか? 残念ながら屋内は禁煙だ。それに口うるさい部下もいることだしな。吸ってるふりで気を紛らわせているのさ」
なんとも涙ぐましい努力をしてる彼女に同情する。
将来的にはより上の地位に就ければいいが、この人の性格だと難しいかもしれない。
「ま、こっちはなんだかんだそんな感じだ。お前たちの方はどうなんだ? わざわざ世間話のために来たわけでもないだろう?」
水瀬がその言葉に反応した。
「さっきまでの話を聞いておいて尋ねるのもどうかと思いますが、〔ISO〕は”屍者”の件を前から知っていた――ということはないですか?」
これがオレたちが宇賀神を訪ねに来た本来の理由だ。
もしも”屍者”の件を以前から把握していたのなら今回の犠牲も出さなくて済んだ可能性すらある。
宇賀神はぴくりと眉を顰めている。
これまで平然としていた彼女だったが明らかに不愉快な様子を見せる。
だが水瀬を咎めたりはしない。
彼女との付き合いで言えばオレよりも宇賀神の方が長いはずだからな。
だからこそ悪戯に言葉を使う人間ではないことを知っている。
たっぷりと数秒の間。
「……もっと前、か。少なくとも私が管轄する第二支部ではつい先日〔幻影〕からの協力要請に応じるよう上から通達されたばかりだ。それよりも前ということなら私の知る限りではノーと答えざるを得ない」
宇賀神が嘘を吐いていないのは明白だ。
態度、呼吸、声、視線。
困惑の色が濃いだけで嘘を吐いているようには見えない。
それを水瀬も感じたらしい。
「そう、ですか。私たちの勘違い……なのかしら?」
水瀬の自信なさげな視線にオレは答えられない。
「いやちょっと待て。その話を詳しく聞かせてくれ。何か齟齬が生じているなら解消しておくべきだ」
それから水瀬は疑惑の旨を丁寧に説明した。
「なるほど……。確かに今回は幻影に協力する旨の通達は早かったな。だがそれだけで”屍者”を前から知っていたという根拠には弱い。が、分かった。一応私からも上に聞いてみることにしよう」
「ありがとうございます」
それからお互いに話すことがないことを感じ取る。
「では私はそろそろ業務に戻るとしよう」
宇賀神はクールに客間――もとい部屋の扉から出て行こうとして。
初夏でも着こなしているロングコートを大きく靡かせた。
「宇賀神さん!! 宇賀神さんはいますか⁉」
「何だ騒々しい! 扉はノックしろ! 勢いよく開けたら場合によっては怪我をするぞ!」
「いた、いたたたたたたっ……!!!! ぎぶ、ぎぶあっぷですって‼」
頭部を鷲掴みにされる男。
鳩がオリーブの枝を加える腕章を付けていることから〔ISO〕の構成員であることは間違いない。
女性にしては長身の宇賀神と男性としては平均の男。
同じくらいの背丈だというのに存在感は宇賀神の方が遥かに大きい。
「いやそれどころじゃないんですよ! あ、水瀬ちゃんも来てたんですね。おや隣の君は?」
忙しなかった男もオレの存在を見てやや冷静さを取り戻したようだ。
「ああ、そう言えばお前は八神と会うのは初めてか。二か月ばかり前に入った〔幻影〕の新顔・八神零だ」
「なるほど……だから見たことのない顔だったんですね。僕は
「こちらこそよろしくお願いします」
ぺこりとお辞儀をすると早速狗飼は本題に入る。
「そうだ、えっとですね……東京湾連絡橋周辺の中州で例の遺体が挙がったそうなんです。情報によると死後四日ほどが経過しているそうです」
「おいおい……もうすぐ夏至だぞ? 間違いなく腐りかけているな。それに場所が場所だ。殺されて流れてきたにせよ、現場で殺されてそのまま遺棄されたのせよ、検死作業が大変だぞ……」
その言葉に同意しつつも、次には分かりやすく誇らしげな顔をする狗飼。
「なんだその顔は。さっさと言いたいことがあるなら言え。青二才が勿体ぶるのは失点だぞ?」
「わ、分かりました……! 話します、話しますのでやめてください!!」
宇賀神の拳が女性らしからぬ音を響かせるのを聞いて青くなる狗飼。
その様子を見て水瀬は困ったような顔をし、オレは一口羊羹をご相伴に預かる。
あまり高価ではなさそうだったが、それでも濃厚な甘さを持っていた。
「ええと、実は四日前の推定死亡時刻・午後十一時ごろに不審者を見たという証言があるんですよ。成人男性と中学生くらいの女の子が並んで連絡橋を歩いていたそうですよ?」
「親子ではなかったんですか?」
水瀬の突っ込みに彼は首を横に振る。
「当時連絡橋を運搬車両で走っていた運送業者によればどうもそうじゃなさそうなんですよ。男の方は酔っぱらっていたようですし、女の子の方は特に気遣う様子もなく、異様に冷たい雰囲気だったとか。それにそんな遅くの時間帯に長い橋なんて普通は歩きませんよ」
宇賀神が茶化すように一言。
「飲兵衛な親父さんに娘が呆れてたんじゃないのか?」
「宇賀神さん……水瀬ちゃんや八神くんならまだしも公的機関である僕たちが決めつけはよくないですよ! 大体今回の目撃者探しだってあなたが面倒くさいといって部下に押し付けるから。いつもの魔法があればもう少し効率よく見つけられたかもしれないのに」
その言葉に宇賀神は溜息を吐く。
「まったく狗飼、お前もか。ついさっき昨夜壊滅したISO小隊を調査していたグループからも同じようなことを言われたよ。いいか、私の固有魔法だけに頼ることは感心しない。いざとなれば私がいるからと手を抜くようになれば組織は堕落するぞ」
「う……分かってますよ。僕たちが宇賀神さんに頼りまくっているのはええ、認めましょうとも。そこは反省点です。ですが宇賀神さんの本心は”サボりたい”に尽きるんじゃないかとも思うんですけどね!」
「……いや、そんなことはない……ぞ?」
「なら微妙な間をどうにかしてください!」
突っ込み、突っ込まれ。
互いに固定した役柄を持たず、状況次第でどちらの役にもなる。
ある意味では凸凹コンビと言えるかもしれない。
「はあ、分かった分かった。真面目に捜査するから現場に案内してくれ。終いには給料泥棒なんて言われかねないからな。そういうわけだ。私とこいつはすぐにでも連絡橋まで出かける。幻影側にも調査報告は上げておくからじゃあな」
男らしいといえばそうなのだろう。
コートのポケットに片手を突っ込みつつ、もう片手で軽く手を振る。
オレたちに軽く頭を下げてから狗飼も後に続く。
去り際に、
「宇賀神さん、毎回思うんですけどそのコート夏は暑くないんですか?」
「聞くだけ野暮という奴だ。当然暑いとも」
「なら脱げばいいじゃないですかー!」
「私のアイデンティティをお前は奪うのか」
と軽快なやり取りを交わしながら。
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