♰Chapter 16:港湾の槍使い2

「おいおい、ようやく魔法を使ったかと思えば。破れかぶれなんてつまんねえことしてくれるなよ――な!」


槍撃が鎖の一本に命中し、跡形もなく鎖が消え去る。

そして残りの全てもあっけなく蹴散らされる。


――最後に長槍が砕けて魔力に帰す。


それを訝し気に見た彼はにやりと猛々しく笑った。


「ほう、これがお前の隠し玉ってやつか。さしずめ魔力の無効化か。たいそうな固有魔法の癖に本調子じゃなさそうだな――運が悪かったと思って諦めろ」


新たに生成された槍の穂先がオレの心臓を狙う。

先程とは違って身体の芯が麻痺しつつある。


オレは意図して固有魔法を使ったわけではない。

恐らく頭の中に一瞬チラついた影のようなもの――声の存在が強引にオレの魔力で召喚した自衛のための鎖だ。

それも二度はない。


次の瞬間、槍使いは穂先を突き出した。

だがそれは前ではなく後ろに向けて、だ。


「――――」


槍使いの背後にはボロボロのケープを纏った何者かがいた。

それは難なくあの槍使いの不意打ちを躱したのだ。


「おいおい、お前の仲間か? それとも今度こそ俺の標的の方の人間か? まあどっちにせよ、間合いに入った時点で敵対意思ありだな」


槍使いは身体を引き絞ると渾身の力を込めた突きを繰り出す。

フードの人物はまたも躱してオレの正面に着地する。

槍の周囲に巻き起こる風と着地によるわずかな衝撃でフードが捲れた。


銀を鋳溶かしたような白銀の髪。

無表情ながら温かみのあるエメラルドの瞳が露わになる。


「あ? 嬢ちゃん、どっかで会ったことあるか?」

「――ない」


小さいけれどもはっきりとした声。

小鈴の音色とでも言うべきか。


「そうかい。だが納得はできねえな。これでも俺は記憶することには自信がある。つっても誰かまでは思い出せねえへっぽこだがよ」


槍を深々と地面に突き立て、ぶつぶつと考え込み始める槍使い。

敵前での余裕はこの男の力の証明だ。


それをよそに銀髪の少女はオレに向け指を弾く。


刹那。

柔らかな気配が包み込む。

昼時、それも暖かな陽光が木陰に揺れるそんな気配。

いつの間にか身体が動かせる程度に回復している。


「……立てる?」

「ああ――」


名前を尋ねようとして。

そこで槍使いの考えがまとまったようだ。


「なるほどなあ、思い出したぜ! 〔幻影〕の〔絶唱〕の守護者・琴坂律ことさかりつ。そうか、そうだったか!」


〔絶唱〕の守護者。

直近の会議で二つ名だけは知っていた存在だ。


槍使いは値踏みするように彼女を見ると、再び戦闘狂じみた顔を覗かせる。

理性という器に並々と闘気が満ちているのを感じる。


「一度別の守護者と戦ってみたかったんだ。さあ、構えろ! 俺の邪魔をしたからにゃ少しくらい遊んでいけ!」

「走って!」


彼女の声を皮切りにオレは駆ける。


港の地図は脳内に叩きこんである。

障害物の有無、段差の有無。

諸々の条件を入力、最短ルートを検索。


オレのわずかに後ろについて、彼女が駆ける。


「敵前逃亡なんざしゃらくせえ――」


背後の槍使いは追いかけない。

その場で何事かを唱えている。


途端にオレと彼女の周囲の景色の流れが遅くなる。


――何が起きている?


「そのまま走り続けて」


そう言うと銀髪の彼女はその場に留まる。


目一杯の走力を上げているが普段の半分ほどの速度しか出せない。

何かが捻じれている。


槍使いは大きく一歩を踏み出す。

オレが進路上にいるため、彼女は攻撃を避けられないに違いない。

瞬間弾けるように姿を見失ったかと思えば、衝撃波と共に彼女に槍が刺さる。

いやその手前で止めている。


彼女の手には球体のアーティファクトが握られている。

それが半透明の障壁を張っているのだ。


「――――!」

「はっ! 流石に幻影の一柱を名乗るだけのことはある……!」


ぎりぎりと悲鳴を上げる盾。

亀裂がいたるところに走り、瓦解寸前だ。


琴坂はすっと酸素を取り込む。

その小さな口から小鳥のさえずるような透明な唄が刻まれる。


「————」


聞こえるはずのない伴奏が奏でられ、彼女の唄う主旋律に色どりを加える。

聞く者を魅了するその唄は彼女の周囲に魔力の盾を張る。

アーティファクトの盾が壊れても新たな盾が槍撃を防ぎ、あまつさえ弾き飛ばした。


「まだまだ!!」


ノックバックを意にも介さず、突きこまれる槍。

それでもわずかな揺らぎを見せるだけでびくともしない。


「んならこれでどうよ!!」


一本目の槍に突かれて歪んだ盾とまったく同じ個所にの槍が突きこまれる。

鋼鉄のコンテナ複数に同時に穴をあけるほどの威力の技だ。


きぃんと嫌な音を立てて盾に亀裂が入る。

その間も彼女の唄声は止まらない。


「――――」


唄が一際強く口ずさまれた瞬間、大きな衝撃が走る。

今度の槍使いは態勢を整えつつ、後退した。


「……支援系統とはいえ噂に違わねえ硬さだ。俺の槍でもこじ開けるのは骨が折れるぜ」


呆れたように槍使いは二本の槍を地面に突き立てる。

それらはすぐに魔力に帰す。


「今夜は幕引きだ。嬢ちゃんは当然のこととして、餓鬼」


不意の言葉に返事は用意していない。


「お前も逃げなかったのは賞賛に値するぜ。俺の槍を受け流して見せたこと、それにその隠形も大したものだ」


言うことを言って満足したのか、男はふっと野生の笑みをこぼす。


「次は俺に会わないように気を付けるんだな」


長槍の男は散乱したコンテナを踏み台にして、闇夜に溶けていく。


「……本当に、命拾いした……な」


ずるりと倉庫の壁に寄りかかる。


何らかの魔法、あるいは魔術でオレと彼女の動きは鈍らされていた。

あのまま走っても大した距離は稼げない。

ならばと少女が槍使いを足止めしている間に闇討ちを目論んだのだが、相手にはお見通しだったわけだ。


隠形は暗殺者の基本技能。

自信すら持っていたそれを見破られるとはそれを失いそうだ。


全身が脳の信号を受け付けない。

それでもベルトポーチから回復結晶を取り出すと砕く。

じわじわと温かな安らぎが傷を癒していく。


「今夜の仕事は終わりだ」


結局吸血鬼は港湾には現れなかった。

代わりにおそらく水瀬とその私兵が完璧にこなしていることだろう。

意図しない貧乏くじはオレというわけだ。


氷鉋や伊波とも刃を交えた。

そのときでさえあれほどの力量差を感じることはなかった。

だがあの槍使いは固有魔法の性能すら悟らせなかった。

対してオレは意図的ではないとはいえ固有魔法を晒した上に無様に地を這った。

挙句の果てに見知らぬ幻影の守護者に助けられるとは。


「……」


ゆっくりと無言のままに銀髪の守護者はオレを見下ろす。

それから屈みこんでつん、とオレの鼻先をつつく。


「どうして、逃げなかったの?」


純粋な疑問の表情だ。


「悪い」


逃げ切れないと判断したのは彼女の実力を信用できなかったこともある。

逃亡する走力を強奪された以上、彼女が倒れたら諸共に死だ。

それなら彼女が機能しているうちに二人がかりでも仕留めにいった方が生存の可能性があると考えたのだ。

とはいえ、そんなことを口走れるわけもなく、オレは謝罪の言葉だけを述べる。


「そっか」


言葉が短すぎて会話が難しい。


「それはそうと助けてくれてありがとう」

「……うん」


……ならば。


「絶唱の守護者なのか?」

「うん」


…………それならば。


「オレは八神零。こんな状態で格好はつかないが幻影の一人だ」


そこでようやく少し長めの言葉が返る。


「知ってる……。だから、助けた。でもわたしが来なかったら……八神くん、死んでたかもしれない……」

「言うとおりだな。助かった」


一切の反論のしようがない。

オレは最大限の警戒で対峙して敗北したのだ。

今生きていることは彼女のおかげであることは明らか。


「ところであの槍使いのことは何か知ってたりするか?」


脅威的な身体能力と同時に二本以上生成できる槍。

武器の複製、身体強化、あるいはその複合。

いずれにせよ恐ろしく強い。

今まではまともに打ち合えばオレが程度の差はあれ勝ち切れる相手が多かった。

だが槍使いは別格だ。


暗殺者であるオレは本来単騎で正々堂々と戦う要員ではない。

もっともその場を整えられなかったオレにこそ非があるのだが。


彼女は立ち上がるとしばらくの黙考ののち、首を縦に振った。


「特徴は知ってる。時々幻影の〔紅焔〕の守護者に、会いに来る……。でも、本当に年に数回くらい。仲間でもないけど、敵でもない。わたしの知る限り、中立で……最強の魔法使い。……今夜は本気で来なかったことが救い」


仲間でもないが敵でもない。

つまりは状況によって仲間にも敵にもなりうるということだ。


先程の場合、オレが人殺しの犯罪者だと認識されたから始末対象に上がったのだろうか。

そもそも槍使いが遂行しようとしていた用事とは何なのか。


疑問は絶えないが今は目前の彼女に尋ねる。

お前、というのは憚られる気がして、この場では君を引き続きの二人称とする。


「君は任務でここに?」

「まだ秘匿事項……。ごめん。でも、ここに立ち寄ったのは……完全な偶然。これからまた、別の任務があるから。少し、いい?」


小さな呼吸。


柔らかくヴァイヒ温かくヴァルム闇を照らしエライヒトゥ・ディ・ドゥンケルハイト光を満たすフル・ダス・リヒト


彼女は再び唄の二節を紡ぐとオレの額にそっと触れた。

ただそれだけのことで倦怠感が抜けていく。

今回は先程のものと違い、一時的ではなく完全に疲労が抜け切る。


「わたしは絶唱の守護者・琴坂律。唄を媒介に、サポートするのがわたしの役目。また、機会があれば」


そういうとフーデットケープを被り直し、この場を去っていく。

オレは動けるようになってなお明るすぎる港の夜空を見上げる。

戦闘の騒がしさはすでに海の向こう側だ。


「水瀬、東雲、結城、琴坂。不本意な形もあったが七人の守護者のうち四人との顔合わせが済んだことになるのか」


全員が全員、ユニークで強力な魔法を備えている。

死、雷、予知、唄。

ジャンルも次元もばらばらなそれぞれの特性。

オレはより深く魔法というものを知らなければならない。

そうでなければ喰われるのはオレだ。


短い夢に落ちていく。

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