♰Chapter 15:港湾の槍使い1

所定の時間――午後七時を間もなく迎えようとしていた。



――……



情報屋と別れたあと、港付近の街並みを探索して時間を潰していた。

結城の予知範囲である直径三キロ圏内をこの数時間で歩き回ったことになる。

ただ無闇に哨戒したのではなく、吸血鬼にための下準備もしてきた。


それが情報屋からのお使いでもある加宮ビルの制圧だ。

彼の言うとおり、規模も小さく人数も大したことはなかった。


一人一人、物陰に引き込んで首筋を断つ。

単純な作業と言ってもいいほどだ。


「情報屋の依頼は渡りに船だったな」


港内に設置された橙色や赤色の常夜灯が闇を押しのける様子は人気のなさをより強調する。

クルーズ船や貨物船が寄港できる港湾ということもあり規模もかなり大きい。


波の音が静寂に溶けていく。


一度――たったの一度だけ。

小さい頃に父さんと母さんに海に連れて行ってもらったことがある。

いや気がするというのが実際だ。


幸福だった頃の記憶などとうの昔に遥か彼方だ。

思い出そうとしても靄に巻かれたようにはっきりしない。

それを悲しいとも思えないのはオレが壊れてしまったからだろうか。


無数のコンテナを横目に多くの倉庫を軽く練り歩く。

外にはいくつかのフォークリフトが止めてあり、雑多な物がそこかしこに置かれている。


やがて港の中央付近に到達する。


「ここまで歩いてくるのにそこそこ距離があったが……特に目ぼしいものはなさそうか」


流石にコンテナ間の通路を全て歩いたわけではない。

そこそこ周囲に目を配りつつ、吸血鬼とやらの襲来に備えていた。

情報屋の推測違いであれば問題はない。

水瀬邸の周囲には彼女を含め、東雲から貸し出された私兵もいる。

そちらに合流するだけの話だ。


オレはあえて引き返さずに港湾の探索を続ける。

流れる景色は行きと似たようなものだ。

ただ何か悪寒のようなものを感じる。


「……!」


一瞬誰かに見られたような気配。

すぐに近くのコンテナの陰に身を潜める。

偶然通りがかった酔狂な一般人ならばよし。

だがもしも屍食鬼と目される殺人鬼がいるのなら。

即座にEAで〔幻影〕へ連絡、その後に対敵行動に移る。


見通せぬ昏い地の底を思わせる紺碧の海。

生き物のように蠕動する波濤。

怪物の呼吸のように不規則な潮風。


唯一の救いはこの夜が暑くも寒くもないことか。

これで気温すら偏っていたなら冷や汗ものだ。


「何も、してこない? 気のせい……いや」


暗殺者の直感は侮れない。

限界まで研ぎ澄ませた知覚はわずかな変化を感じ取ろうと全開。


ゆっくりと移動を再開する。

山のように築かれたコンテナの脇を慎重に歩いていく。

貨物船からコンテナを積み卸すためのガントリークレーンの下を通りかかったときだった。


ほとんど反射だけで背後に飛び退く。

直後に腹の奥底に響きわたるような激しい重低音がコンクリートを穿つ。


「——お前、何者だ。俺の動きを読んだのか?」


地面に大きな穿ちを放った人物が土煙から姿を現す。

野性的な――荒々しいとさえ思える佇まい。

まるで一匹狼のような。

その左手に握られた黄昏色の長槍には折れんばかりの力が込められている。


「いきなりご挨拶だな。お前が吸血鬼か?」

「はっ! 質問に質問で返すんじゃねえよ。誰に雇われた? 〔約定〕か? 〔幻影〕か? じゃなければ他の屑組織か?」


次々に羅列された組織名の中に正解はある。

魔法関連の組織を真っ先に挙げるあたり、魔法使いこちら側の人間であることは間違いない。

だが敵か味方か、あるいは中立かの判断が付かなければ明かすわけにはいかない。


「お前が明かさない限りは答えるわけにはいかないな」

「そうかよ」


吐き捨てるように長槍を構えた男は十メートルほど離れたまま、膠着状態を継続する。


安易に動くべきではない。

そうは理解していても身体と精神が警告する。

武の極み到達した者はその深淵を覗くことになる。

それは己が望もうと望むまいと例外はない。


――この男は、強い。


単純に強いだけの人間なら幾人も見てきた。


簡単な話だ。

より高価でより性能の良い武器を揃えればそれだけで定義を満たしてしまう。


だが眼前の槍使いは別格だ。

純粋な槍術が恐らく抜けている。


張り詰めた空気がオレに一筋の汗を流させる。

これほど危険と感じたのはいつ以来だろう。

オレが全身全霊を賭しても勝敗は五分――どころかやや見劣りするだろう。


明らかな戦力差を認識したうえでの敵前逃亡は美徳と主張する者がいるように、戦略的撤退も考慮する。

だがそれもこの男の前では何の意味も持ちえないだろう。

だからこそ、絶対に退いてはならない。


槍使いは何を思ったか、槍の穂先を下げる。

つまらなそうに言葉を発したのは相手の方だ。


「いいぜ。その度胸に免じて俺から先に応えてやる。俺はお前の言う屍食鬼じゃねえ。付け加えるんなら、野良の魔法使いだ」


はっきりと野良の魔法使いを公言した。

あっけらかんとした返答に嘘を疑うが、その気配は見られない。

その言葉が事実ならここで争う必要はない。


鬼が出るか蛇が出るか。

オレは一切の油断なく重ねる。


「オレは〔幻影〕の魔法使いだ」

「ちっ。ってことはあのいけすかねえ野郎、まだ生きてやがるのか」


心底腹立たしいとでも言うように舌打ちをする。

並々ならぬ戦意を解き放っていた気勢が落ち着きを見せる。


「屍食鬼とか抜かしたな? お前たちの目的はそれだけなんだな?」

「ああ、そうだ」


射殺しそうな視線がオレを貫く。

微塵の嘘でも混じっていたら始末するとでも言いたげだ。


「……いいぜ。俺も今は忙しくてだな。争わなくても別に構いやしねえよ」


攻撃の意思を収め、堂々とオレの横をすり抜けようとする男。

オレはすれ違うまで視線を向けていたがそれを気にしたふうもなく。

何事もなければそれに越したことはない。

そう思っていたのだが。


「待て」


背後から冷ややかな声。


「お前、匂うな。人の血の匂いだ」


今のオレは情報屋に依頼された仕事を完遂したばかりだ。

その中で屍食鬼をおびき寄せるために効果的だろうとあえて身を汚す暗殺を行った。

当然返り血は相応に浴びたわけで。

拭っていても鼻が良い人間ならすぐにわかる。


「……だったらどうする?」

「悪いな、気が変わった。正義の味方なんざ気取る気も騙る気もないが人殺しなら話は別だ」


見逃してくれる雰囲気ではない。

律儀にも相手はオレが短刀を構えるのを待ってから大きく踏み込む。


「セアッ!」


一歩で十メートルを詰めると瞬時に槍を繰り出してくる。


「なっ……!」


凄まじい速度と膂力を兼ね備えた矛だ。

かろうじて短刀で受け流したが、背後のコンテナには大穴が空き、貫通したその奥のコンテナが宙を舞う。

気付けば短刀の刀身は砕け、柄だけが残される。


「はっ! 柔いな! 一撃を受け流したことは褒めてやる! だがそんなもんじゃこの俺は止められないぜ?」


第二撃、第三撃と荒れ狂う槍撃の五月雨突き。

風圧が頬を叩き、障害物などお構いなしに暴力が圧倒する。


通常の短刀では役立たずのため、黒幻刀に持ち替える。

それでもまともに受けるたびにアーティファクトの悲鳴を聞く。


必要最低限にいなしつつ、港内のコンテナを壁にする。

簡単に全てを貫けるとはいえ、オレがどこにいるか分からないのではどうしようもないはず。


暗殺者と戦士。

後衛と前衛。

短いリーチと長いリーチ。

不確定要素は固有魔法の有無、そしてその性能差だ。


どう足掻いてもこちらの武器は摩耗し、戦闘は近く終わる。

脱兎のごとき逃走が生存確率を上げるか――。

一度は消した選択肢を選ばされる。


コンテナが次々に夜に舞う。


「手当たり次第か――」


オレは息を入れると駆け出す。

魔力による身体強化を通して五十メートルを五秒切りで駆け抜ける敏速だ。


「――よお、見つけたぜ」


視界がぶれる。


「っは――⁉」


奇妙な浮遊感。

暗殺者として身に付けた体術で反射的に受け身を取る。


――ダンッ!


と鈍い音と共に叩きつけられる。

後から生命の危機を察知した身体が激痛という名の警告を発する。


「ぐ……!」


埒外の痛みに身をよじる。

何本か骨が逝った可能性がある。


オレの見積もりは甘かったのだ。

実力は五分などではない。

生殺与奪の権を握られるほどに実力差がある。


「はあ……はあ……」


ひどい眩暈だ。

軽い脳震盪を起こしている。


たった一撃。

それも槍の刃ではなく柄で殴り飛ばされただけでこの体たらく。


「どうした? 始まって数分も経ってないぜ? それともなんだ。お前は弱者にしか強者を演出できない有象無象か?」

「……弱者が強者に淘汰されるのは必然だ」


肉体のダメージは時間で多少の回復が見込める。

かつてならいざ知らず、魔法使いとなった今は身体がタフになっている。


露骨だと思われてもいい。

会話を続け、この場をしのぐ力をこの手に。

EAが最初の槍の突きで破壊されていなければ水瀬の手を借りられたかもしれないがそれも仕方ないこと。


――甘い。


そこまで考えていつから他者を頼る選択肢ができた、と自戒する。

水瀬に『相棒』などと言ってはいるが、実際のオレは人を根本的に信用していない。

信用していないのに頼ろうとするなど都合がよすぎるというものだ。


「ほう? なら俺がお前を淘汰するのも自由ってこった」

「だが残った弱者の仲間が強者に復讐することも自由だ」

「だからお前を生かせってか。それは無理があるってもんだ。何人殺したのか知らねえがその強い死肉の匂いは一人二人じゃねえだろ。お前は一体何人の憎しみを背負っているんだろうな」


槍使いがゆっくりと槍を持ち上げる。

それはピンポイントでオレの心臓を狙う。


――どくん、と心臓が跳ねる。

眩暈がしそうなほどの強い鼓動だ。


”――――”


オレの魔力が強制的に引き出される。

それとほぼ同時に五本の〔暴食の鎖〕が時間差を伴って召喚された。

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