♰Chapter 35:各々の動き
時間を遡って、大混乱が起こる少し前。
宇賀神は第二支部で書類整理に当たっていた。
目当ては”屍者”に食い荒らされた死体に関する検死情報をまとめたものだ。
最新のものであるから、すぐに見つかる。
「何度も他の奴らが目を通しているだろうが、魔法使いの私にしか見えないものもあるかもしれんからな」
アナログなペーパーファイルを一枚一枚捲っていく。
”屍者”――”吸血鬼”と”屍食鬼”はその牙でもって人間を吸血・食肉すること。
首筋が常套手段だが、身体のどこを噛まれても出涸らしのようになってしまうこと。
屍者に出会った者は一部の例外を除けば必ず死んでいると思われること。
肌は黒ずんだ色に変色し、眼球が鬼火のようなに赤く光ること。
最後まで報告書を見た宇賀神は備考欄に目を付ける。
「――なお、心臓部を破壊しても動き続けるため、頭部の破壊が望ましい、か」
多少の弱点が分かったところで、些末なことだ。
切り札と呼べるような情報ではないことに嘆息する。
そこで所持端末が振動した。
「なんだ狗飼。私はいまいそが――」
”宇賀神さん、大変です! 第十四区が”屍食鬼”の大群に呑まれつつあると報告が!”
「なに? 十四区まるごとか?」
”そうです! とにかく集められる手は集めて総出で事に当たれと上から厳命が下っていますよ!”
「分かった。すぐに向かおう。ところでなんだが私のところには一切の連絡が来ていなかったようだが」
”はあ~~……本当に困った人ですね。貴方が連絡を見ないことは上も把握していますよ! だからこそ僕が直接コールしたんです! これだって何度目の連絡だか!!”
宇賀神は履歴を見て目を丸くする。
五分前から二十回を超える恐怖のコール数。
「……これは誅殺ものだぞ」
”なんで僕が罪に問われなきゃいけないんですか⁉ いいから早く来てください! 場所は送っておきましたから!”
それを最後に声は途切れた。
あとの宇賀神は耳を抑える。
まるでヒステリックを起こしたかのようにまくしたてられて耳奥が痛む。
「あいつには落ち着きがない。そこが可愛くもあるがまったくお前に比べて不出来だよ。おっと」
一人とは言え、宇賀神は口を滑らせたと噤む。
資料を戻すとそのまま目的地へ直行するのだった。
――……
「遅いですよ、宇賀神さん! こっちはもうてんやわんやですよ!」
「うるさい。来てやっただけ感謝しろ」
「それはもう〔ISO〕の一員として恥ずべき発言ですね……」
宇賀神のマイペースっぷりに溜息を吐く補佐官の狗飼。
「それにしても――」
彼女の視線は第十四区と隣区の境界にあてられている。
夜にも関わらず赤々と燃える街並みがある。
全てではないにしろ、かなりの広範囲で部分的な火災が起きているようだ。
「ひどい有様だな。”屍者”――今のところは”屍食鬼”と聞いたが具体的には何があった?」
「これはとある動画投稿サイトに配信されていた、僕たちが来る前のライブ映像なんですが」
一つの動画が再生される。
”みんな~見てる~?”
”今日は意味もなく夜の街を散歩してみようと思います!”
”最近はご無沙汰だったからな~! 綺麗な夜景が見えるところまで歩いていきたいかな”
”あっはは! そんなことがあったんだ~!”
リスナーと会話をしながら歩いていく配信者。
「少しスキップしますね」
だがある時から急展開を迎える。
”ん、ノイズが走って――? おーい、見――る?”
”あれ、あそこに倒れて――がいるね。お~い、大丈夫――”
”え、なに。急に起き――? もしかして酔っぱ――す?”
”いや、なにするの⁉ 放――、――――!!”
”きゃああああああああああ――”
凄惨でグロテスクな生放送になっていた。
最後に映し出されたのは白目を剥いて倒れる配信者だったもの。
映像の乱れも後半になればなるほど酷いものになっている。
ここまで機器が壊れずに配信できたこと自体が奇跡だった。
「想像以上に不味い状況みたいだな。上からの指示は?」
「『他の支部と協力して第十四区を封鎖、のちに民間人の救助活動をせよ』とのことでした。あとは宇賀神さんに繋がったなら彼女の指示に従えとのことでした」
「あの狸、面倒事は全て押し付けるつもりか」
宇賀神は憎々し気に言い放つが、やるときはやるのが彼女のスタイルだ。
通信機器を耳に装着し、第二支部の構成員に通達する。
「――第十四区では”屍者”による被害が拡大していると推定。〔ISO〕第二支部は総力を上げて第十四区北部方面を封鎖する。敵は蜘蛛の子一匹逃がすなよ!」
ここに集った者、あるいは通信越しに命令を待機していた者。
それぞれが宇賀神の号令を聞き届ける。
「狗飼」
「何ですか、宇賀神さん」
「早速だが重要かつ重大な仕事を与える」
「普通に断りたいんですが……拒否権はありますか?」
ぽん、と肩に手が置かれる。
「そういうわけだ。これ以降の現場指揮は狗飼補佐官に一任する」
「やっぱり……こうなるんですね……」
諦めたような、分かり切っていたような表情。
「勘違いするな。お前を信頼しているからこそ任せられるんだ。それに――」
道路の向こう側では黒い影が蠢いている。
特徴的な赤い目とおびただしい流血量。
間違いなく屍食鬼の行軍だ。
「この道に関しては私が掃除していく。少しはましな仕事になるだろう」
「そういう意味じゃないんですけどね……まあいいです。外側のことは任せてください!」
宇賀神は静かな笑みを浮かべて駆け出した。
時代に取り残された紙煙草を加えながら。
――……
宇賀神が動き出した頃。
結城もまた窮地に立たされていた。
首都高から徒歩での離脱。
タクシーを捕まえてしばらく走ったのち、唐突に運転手が苦しみ始めたのだ。
「君、大丈夫かい?」
「う……う、うああああああああああああああ!」
「……まさかの状況だ」
結城はすぐに車外へ脱出。
運転手は唐突に吐血し、ありえない角度で首を百八十度回転させた。
その時点で人間として死んでおり、赤い目は屍食鬼の証でもある。
「やれやれ……私の予知はぼんやりと運命の分岐点は見えても個人の運命までは見えないのが難点だね」
結城は基礎魔法である火で運転手を焼却する。
いくら非戦闘員とはいえ、基礎魔法は普通の魔法使い以上に使える。
そして体術もそれなりにできた。
轟く化け物の雄叫び。
逃げ惑う人々。
車外に出た一般人を次々に襲う屍食鬼。
一体ではなく複数体がすでに生まれてしまっている。
「一体一体はさほどの力ではない」
向かってきた一体を体捌きで避けると首元を掴み路上に組み伏す。
だが完璧にロックした首が、そして手足がありえない方向に曲がる。
拘束から抜け出そうと血液交じりの唾液をまき散らしている。
「痛みも恐怖もない。脈も止まっている。それでもなお動き続ける妄執とも呼ぶべき気持ちの悪い事象だ」
結城はこれまで上がってきた”屍者”に関する情報を自らでもって検証していく。
心臓を潰し、それでも屍食鬼が動くことを確認する。
次に頭部。
それでようやく動きを停止する。
「生死は関係なく、身体の制御系統を司る脳あるいは脊髄あたりを破壊するまでは止まらない……情報通りに厄介な代物だ」
さらに二体が駆け寄ってくるが検証を終えた彼にとってもはやサンプルは不要だ。
基礎火魔法で容赦なく火だるまにする。
結城はEAを起動すると幻影の最大本拠地に通信を飛ばす。
「結城だ。温存している魔法部隊を寄越してほしい。……ああ、そうだ。流石に非戦闘員の魔法使いの私ではこれだけの数は相手にしきれなくてね。……大丈夫だ。到着するまでは持ちこたえて見せる」
通信が切れると大きめの溜息を吐く。
「――……背理契約譜を使えばまだあと一回の未来観測は可能か。だがこれは使わないに越したことはない。まずは各地の諜報部隊と現状を共有し、早急に事態を収束させなくてはな」
次々に人間を喰らい、視界内には自分しか生き残っていないことを自覚する。
頬には一筋の汗が伝う。
「私の意地を見せるときだな……!」
結城は迎えが来るまでの間、屍者の行軍に耐え続ける覚悟をした。
八神からの連絡が来るのはそれからもう間もなくだった。
――……
同時刻。
地下道にてヴィンセントは歩いていた。
吸血鬼は流れる水が苦手だと吹聴されるが、少なくとも彼にとってはそんなことはない。
むしろ心を落ち着けてくれる天然の安らぎであった。
やがて広い空間に出る。
「あら、ヴィンセントお帰りなさい。その腕は――⁉」
ゼラは彼の片腕が失われているのを見て、驚愕する。
吸血鬼特有の細い瞳孔がさらに細くなる。
「気にするな。人間の中に少し危険な奴が紛れていただけだ」
「でもその傷は――」
そこまで言って彼女は口を噤んだ。
ヴィンセントの口元は人間の血液に塗れている。
本来口元を汚さずに吸血するのだからそれだけ急いで飲み下した証拠だ。
吸血鬼の再生能力は吸血量に比例する。
それでも再生できない腕の切断部位。
何より機嫌が逆立っているのはヴィンセント自身だと気づいたから。
うじうじと自分の失態を詰られたくはないだろう。
だから深くは聞かず、大雑把な言葉で濁す。
「首尾は――うまくはいかなかったみたいね」
裏切者を連れていない彼を見たゼラはそんな講評をする。
「標的は必ず王の前に突き出してやるさ。それに……まったくの失敗ってわけでもないぜ」
「それってどういう――まさか、あれを使ったの⁉」
含みのある言い方に何をしたのかを悟る彼女。
先程は大して深く切り込まなかったが立場上、今の彼女は非難しなくてはならない。
「ヴィンセント、あなた自分がしたことを理解してる? 吸血鬼の呪怨を集約した秘薬を使うのは次の満月の夜だったはず。計画を壊したと王に知られたらそれこそ生きてなんていられな――」
「分かっている!」
地下道では些細な声もよく響く。
それを抜きにしても彼の声は大きかった。
「そんなことは分かっているさ。だがやるべきだと思った。あそこは予定地にも近い。時期は早かったがそれでも赦される範囲だろ。どうせあの呪いを止められる人間はいない」
ゼラは果たしてそうなのか、と疑問を抱く。
人間を過信するわけでもないが、一部の人間が異常な力を持っていることは先刻承知。
その一つにヴィンセントはやられたのだ。
ならば呪怨の存在に気付き、解呪に特化した人間が出てこないと断言することはできない。
彼が撤退したことで恐らくは王の欲する黒檀の吸血鬼も異能集団の手に渡っている。
「……そうかもしれないわね。わたしもそう信じることにする」
「――ゼラ」
鎮痛な表情を何とか堪えて普段通りに振舞うゼラにヴィンセントの声が刺さる。
「何かしら?」
「……五百六十一年前のちょうど今頃に交わした約束を覚えているか?」
「っ」
思わずゼラは息を呑む。
それはゼラにとって一番大切な日となったときだったから。
「ええ、覚えているわ。貴方も覚えていたのね。とっくに忘れていると思っていたけれど。その約束がどうかしたの?」
「……ああ。覚えているならいい。悪いが少し休む。思ったよりも強力な当てを受けたらしいからな」
壁伝いに歩いていくヴィンセント。
その背中には力強さはない。
そっと手を差し出せればよかったのだろうがゼラはただ後ろ姿を見送ることしかできない。
「わたしは吸血鬼だもの。とっくの昔に人間を辞めている……。人間がましく彼を支えようとしたところで恥を晒すだけ」
幸いなことに王は就寝中だ。
しばらくは黙っていることができる。
その短い間にゼラはやらなければならない。
秘薬は使ったら戻らないものではない。
必ず最初に秘薬が憑りついた人間がいる。
それを異能集団より早く、王が起きるよりも先に。
その心臓を抉り出し、心血を小瓶に詰める。
そうすれば秘薬は元通り、戻る算段だ。
それ以降の感染拡大は止まってしまうが、十分だ。
踵を返そうとしたとき、ヴィンセントが振り向いた。
「……言い忘れていた。お前は呪怨が撒かれた場所には行くな。これは同族としての警告だ」
今度こそ彼は去っていった。
ゼラは顔を抑える。
「……駄目ね……。残酷さを、非情さを、冷徹さを装っても私の心は人間の時のまま。脆く、柔く、それでいて淡い恋心を抱き続けたまま」
脳裏に泡沫のように浮いては弾けていく五百年以上も前の記憶の断片たち。
それを心のなかにしまい込み、その身に決意を宿す。
たとえこれからすることが彼の意に反するのだとしても。
「それでも。それでも私がやってみせるわ」
こつこつとハイヒールの音が木霊するのだった。
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