♰Chapter 36:姫咲と高位屍食鬼
オレが姫咲や灰と共に一階に向かった時、そこは血みどろの死闘場になっていた。
柱や床、モール内の案内板に至るまで。
血痕という血痕がべっとりと張り付いている。
「う、うわあああああああああああああ!!!」
「痛い痛い痛い⁉」
灰の仲間と有志によって結成された迎撃部隊もところどころ決壊している。
一点壊れれば危機に、二点壊れればそれはもはや敗走すべき盤面。
今はすでに数でも力でも上回られている。
”あ、ああ、あああああああああああああああ……”
掠れた耳障りな唸り声。
屍食鬼は意味をなさない言葉を発しながら次々にモール内に侵入している。
そのなかには即席のバリケードを突破した奇怪な動きを見せる屍食鬼もいる。
「あいつはオレが相手をする! 灰たちは決壊した防衛網の補強援護を、姫咲はできる範囲で周囲の支援を頼む!」
オレは短刀を構え、屍食鬼の無造作な隊列に切り込む。
最初の相手は乱れた白髪の老人らしき屍食鬼。
――手足が枝葉のように細い。
バランスの悪い身体で噛みつこうとしてきたそれを体術で組み伏せると、頭部を刺す。
視界の端に灰となる屍食鬼を捉えるとすぐに次の標的を捕捉し、迎撃する。
動きの硬直はそのまま他の屍食鬼の餌になるのと同義だ。
常に空間を把握し最適な行動を取り続けねばならない。
「あいつらは頭を潰さないと動き続けるよ……!」
姫咲は別の連中が仕留め損ねた屍食鬼の頭部を金属バットで潰す。
あまりに躊躇いがなく、呆気ない。
屍食鬼は痙攣してから消えていく。
「次は――おにーさん、来るよ!」
「把握している!」
仲間意識があるわけでもないだろうに、一体を殺すとぞろぞろとオレと姫咲に向けて駆け出してくる。
”あああああああああああああああ!!!”
”おおおおおおおおおお!”
大振りな飛びつきを躱し、手足を切断する。
身動きの取れなくなった屍食鬼の頭部を突く。
通常なら人間の固い頭蓋骨を切断することはできないだろう。
だが黒幻刀の切れ味と相手が腐っていることが重なって、簡単に切断できる。
――ヒットアンドアウェイ。
刃で相手の身動きを封じ、即座にその場を離脱。
敵の攻めを回避してからの頭部破壊。
パターンができてしまえばそれはただの作業だ。
「すごい……これが鴉の戦い方……」
「圧倒的だ……これなら勝てる、勝てるぞ!!」
「女の子の方もすげえ!!」
周囲で戦っている姫咲も人間離れした動きで次々に屍食鬼を粉砕している。
男でもかなりの重さがあるはずの金属バットを片手で操る。
血糊を払うさまは恐ろしく堂に入っている。
姫咲ばかりに注目しているわけにはいかない。
オレの死角を突くように噛みつこうとしてきた屍食鬼。
あえて倒れ込み、腹部に大きな蹴りを入れることで立て直す。
”ジャマスルナ”
「この動き……やはり人語を解する奴か」
以前琴坂と共に戦った屍食鬼も似たような言葉を話していた。
ひどく耳障りでかすれた音だ。
吸血鬼まではいかないにしても、屍食鬼の中では遥かに強い。
これが恐らく
他の
「悪いがその要望には応えられない。お前たちが退け!」
牙を突き立ててくる相手に短刀で打ち合う。
想像以上に重い手応えだが弾き飛ばすことに成功する。
”シネ”
弾かれた慣性を利用し四つん這いになり、口を開く屍食鬼。
その予備動作を見たことはないが直感が避けろと言っている。
背後への警告は間に合わない。
オレは近くの柱に倒れ込むようにして身を守る。
「っ……」
直後、紫紺の炎が先程までオレがいた位置の直線状を焼き払った。
いや焼き払ったというのは表現が違う。
「あ、れ……身体が燃えてる――?」
運悪く射線上にいた男――武御雷と名乗った男が炎を浴びてしまっていた。
身体が溶けることはない。
だがぶくぶくと肌が膨れ上がり、細胞が壊死していく。
「た、だずげ――!」
――どちゃ。
腐った腕が床に落ちる。
人間としての原形を留めず、身体のパーツが所々融解してしまっている。
そして倒れ込んだ数秒後。
屍食鬼として起き上がった。
「か、鴉……! 戦えない奴らの避難は終わっている! 俺たちも二階まで退くべきだ!」
「それは無理だ! あれが際限なく撃てるなら二階の防壁もすぐに突破される! そうなればじり貧だ……!」
高かった士気もあの一瞬で恐慌状態間近。
高位屍食鬼は閉口し、その場からわずかに後退する。
代わりに低位屍食鬼が守るように周囲を襲い始める。
――高位屍食鬼が低位屍食鬼を従えているのか?
「ぐっ……!」
「こいつら勢いが変わって!!」
オレはすぐに戦いを再開する。
屍食鬼は次から次に入ってきてきりがない。
このモール近辺の屍食鬼を全て相手にするなど愚の骨頂だ。
とん、と姫咲がオレと背中合わせに構えている。
「おにーさん、わたしの力、使ってもいいんだよね?」
魔法――いや彼女について詳しく知らないいま、魔法と断定することはできない。
仮に異能と呼ぶ場合、それを使うということだろう。
この場の命は助かるかもしれないが異能の存在を多くの人間に見られることになる。
――それは最善と言えるのか。
当然ながら魔法使いは必要に迫られれば誰に視られようと力を使う。
しかしそれは彼女――姫咲楓にとっては苦肉の判断であるのだろう。
その表情は大勢の前での異能の行使に葛藤しているように苦しそうだ。
「え――おにーさん……⁉」
一人で屍食鬼の群れの先陣に突っ込んだオレに姫咲の焦燥の声が響く。
予備の黒塗りの短刀を二本、真正面に投擲。
狙い違わず二体の頭部を損壊させ灰に帰す。
さらに近づいてきた屍食鬼の頭部を切り取り、それを見せつけるように高く掲げた。
「オレを見ろ! 屍食鬼ども!」
音には敏感に反応するようで、瞬時に周囲の屍食鬼の目がオレに向く。
これまでに屍食鬼について分かっていることの一つ。
それは奴らが大局的な視点に立てず、近視眼的な視点でしか物事を見れないこと。
すなわち獣以下の知性しか持たず、視界や聴覚範囲に捉えた贄にしか興味を示さないということ。
――さあ、これでどうだ。
””””””ああああああああああああああああああああ!!!!!””””””
とち狂ったような合唱が始まった。
「今のうちに灰たちは後退しろ!」
「二人はどうするつもりだ⁉」
オレは姫咲と視線を交わす。
――退くならこの瞬間しかない。最後の機会だと。
彼女は呆れるほどの馬鹿を見る目で――それでもほんの少し楽し気に頷いた。
「オレたちは大丈夫だ……!」
「……くそっ、信じるからな! 聞いたな、生きている奴は退け、退け……!!」
一目散に上層階へ敗走する灰たちを見届ける。
周囲では屍食鬼とオレ、姫咲が激しく火花を散らしている。
「姫咲、これで心置きなく力を使えるだろう?」
「おにーさん、やっぱり優しいよ」
金属バットが高位屍食鬼に向けて大きく投擲される。
手前にいた何体かの屍食鬼の頭部を潰し、高位屍食鬼の頭部にも命中するが大したダメージはなさそうだ。
無手になった姫咲の瞳が桃から緋に。
わずかに犬歯が伸び、爪が伸びる。
その姿を見てごく小さな可能性として考えていたことが正しかったのだと知る。
――彼女、姫咲楓は吸血鬼だ。
だが今は問いただす猶予などない。
何かを察したのか、高位屍食鬼は再び口を開き、紫紺の砲撃を放とうとしている。
「たぶんあれの殻はわたしだけじゃ突き通せない。おにーさん、手を貸してほしいな」
「当然だ。オレだけが何もしないことはあり得ない」
「はは……初めて、この姿で良かったって思ったかも」
その意味は分からずに姫咲は鋭い踏み込みで手近な屍食鬼を爆砕する。
相変わらず見えにくい攻撃だが、糸状の血液が辺りを漂っているようだ。
それが彼女に近づく外敵を刻む刃となっている。
「〔
攻撃を軽く跳躍して躱しつつ、柱を巧みに使い回避する。
身軽なこなしから繰り出される遠距離異能――紅の牙は幻視ではない。
事実として、魔力体と思われる半透明の牙が屍食鬼を次々と薙ぎ倒す。
接近すれば視認しづらい刃が、遠隔でも牙が穿つ。
どことなく暗殺者のような軽快な身のこなしで敵の総数を減らしていく。
”ぎ、ぎ。ドウゾクナノニ”
「おあいにく様ね。わたしは同族じゃない。まあ人間でもないかもしれないけど――」
周囲の屍食鬼が一斉に細切れになる。
まるで豆腐のように屍食鬼が肉塊となり、降り注ぐ血雨と共に灰になる。
オレも周囲の敵を削ってはいるが、異能を使う彼女に比べれば些細な貢献だ。
獅子奮迅の活躍を見せる彼女を見れば、頬を伝う血液を舐め、小さく口角を上げている。
次の瞬間にはその表情は鳴りを潜める。
――気のせいか? いやそれは後だ。
「おにーさん、そろそろ行くよ!」
「ああ!」
”ぐ、ぐううううううううううう”
接近する姫咲に高位屍食鬼の紫紺の吐息が発射される。
姫咲は柱から柱へ、壁に足場などないのに巧みに一カ所に留まらない。
異能の糸を壁に通して壁面歩行――人間離れした動きを可能にしているのだ。
”ぐおおおおおおおおおおおおお!!!”
口元が溶けかかっている高位屍食鬼。
自分の技でキャパオーバーを起こしている。
「――がら空きだぞ!」
高位屍食鬼が姫咲に夢中になっている間に接近したオレの短刀の一撃。
それは頭部に刺さるが並の屍食鬼より硬い。
姫咲のいう”殻”とはこれのことだったのだ。
”ぎゃああああああああああああああああああああああ!!”
背中にオレを載せたまま首を振り回す屍食鬼。
吐息はあらぬ方向へ飛び、建物が解け始める。
「おにーさん、ナイス!」
オレはすぐにその場を離れる。
刺さったままの短刀を上から降り立った姫咲が落下エネルギーを加えて踏みつける。
”あああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!”
「――――!」
凄まじい咆哮。
大地震の襲来を錯覚させるほどの揺れに見舞われる。
解け腐った建物の一部が崩落し始める。
咆哮の近くにいた姫咲は間近で衝撃波を受けて、膝をついてしまっている。
あれだけの爆音を間近で受けたのだ。
三半規管が麻痺し、平衡感覚が乱されていても不思議ではない。
「姫咲っ――!」
オレは崩落する瓦礫を厭わず、姫咲に手を伸ばしその身を引き寄せる。
それから激しく身体を打ったことは覚えている。
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