♰Chapter 37:昨日の敵は今日の友

「――さん! おにーさんってば……!」


身体が揺らされている。

ひどい頭痛だ。


「誰だ……?」

「わたしだよ! 姫咲楓!」


姫咲が隣にいる。

オレはゆっくりと上体を起こした。


「……っ」

「身体は⁉ 痛むところはある⁉」

「……意識もあるし身体も動かせないほどじゃない。……なぜお前がそんな顔をしている?」


姫咲の表情はとても鎮痛なものだった。

あと一押し何かがあればすぐに透明な雫が零れそうなほどに。


「なぜって……わたしがおにーさんを心配したからよ!! わたしは半分吸血鬼だけどおにーさんは不思議な力を使えるって言ったって人間でしょ⁉ 瓦礫で潰されたくらいでわたしは死なないのに!! それなのにっ……」


言葉はしりすぼみに弱々しくなっていく。

今は正体を明かすつもりなどないのだろうに、自分のことを暴露してしまっている。

それに気付けないほど今の彼女の感情が理性を上回っているのだ。


「――……」


こんな時でもオレは他者を、そして自分を俯瞰的に見ている。

当事者であるはずの自分が第三者となって物事の外側から観測しているような。

そんな他人事のような冷めた感覚。


なぜこの少女はオレをここまで心配できるのか。

これが大切な人であったならば理解のしようもある。

だがオレと彼女との出会いはお世辞にも良いものだったとは言えず、そもそもまだ数時間だけの付き合いだ。


「ひめさ――」


名前を呼ぼうとして口を噤む。

見てしまったから。


ついに涙が服を濡らす。

ぎゅっと両手で縋りつく。

その姿を。


どんな言葉をかければいいのか、その候補はいくらでもある。

泣くことに対する肯定、心配させてしまったことに対する謝罪。

きっと探せば両手では数え切れないほどに。


ただその中から最適だと思えるものはオレには分からなかった。


――ざり。

アスファルトに散らばる砂利を踏みしめる音が意識をより覚醒させる。

今更ながらの状況把握だ。


ここはモールの入口付近――どうやら弾き飛ばされた先はモール内ではなく外。

高位屍食鬼を押し潰したとはいえ、他の屍食鬼は蠢いているわけで。


爛々と輝く赤い目。

それも軽く十は超えている。

大半はモール内で処理したとはいえ、この周囲にはまだまだ徘徊していそうだ。


オレの傷は額を少し切ったことと全身打撲。

姫咲は衝撃波を喰らったダメージからは回復していそうだが、彼女も軽い打撲。


先程のような高位屍食鬼が他にも紛れている可能性があるため気は抜けない。


「姫咲、後のことはここを切り抜けてからだ」

「……おにーさんは休んでて。あいつらはわたしがやるから」


止める間もなく屍食鬼を切り刻んでいく姫咲。

その力は確かに奴らを圧倒しているが、動きが大振りすぎる。


先程の余裕さえ感じる態度とは相反して、どこかおかしい。

全体的な平衡感覚が崩れてしまっているような気配。


――まだ衝撃波を受けた余韻が残っているのか!


「きゃあっ……!!」


這いずっていた屍食鬼に足を取られた彼女が地面に倒れる。

その隙を逃すほど奴らも鈍足ではない。


――どうすれば彼女を助けられる――?

ふと指先が地面に転がっていた黒幻刀の柄に触れる。


「ふっ!」


オレは黒幻刀をあらん限りの力で投擲する。

腕の痛みと強引な投擲で軌道は精密さに欠けている。


――だがこれはただの短刀ではない。


「曲がれ……!!」


短刀の軌道が込められた魔力によって修正される。


屍食鬼の胴体を貫く湿った音。

体内を縦横無尽に暴れ回り、最終的には頭部を串刺しに。


彼女の周囲に集っていた屍食鬼を一掃する。


「おにーさん、ありが――」


オレの方を振り返り。

即座にその表情が歪む。


「おにーさん、後ろ……!!」


姫咲の恐怖の表情。

オレは咄嗟に身体を思い切り捩じって転がる。


「くっ……!」


背中に響く鋭利な痛み。

間違いなく傷を負ってしまった。


「やはり……まだ高位屍食鬼がいるのか!!」


焦点の合わない赤い瞳。

両腕が鋏――あるいはギロチンのように変異した屍食鬼だ。

体格も筋骨隆々としており、人一倍大きい。

それなのに気配を察知できなかった。


姫咲が駆け寄ろうとするのが見える。

だがこの屍食鬼が再び鋏を振り下ろすまでに到達は見込めない。

連続使用から内部に蓄積された黒幻刀の魔力も尽きている。

そうなればただの短刀と何も変わらない。


――迫りくる死。


「――見知った顔がいると思えば間に合ってよかった」


突如、爆炎を上げながら燃焼する高位屍食鬼。

雄叫びを上げるそれを横目に、現象を引き起こした相手を見据える。

暗闇から姿を現したのは――〔ISO〕第二支部を統括する宇賀神だ。


「――宇賀神」

「今は黙っていろ。傷に響くぞ」


”あああああああああああああああ!!”

「ああ、お前はうるさい。口を塞げ」


オレと屍食鬼に向けられる言葉はどちらも”黙れ”だ。

だがそこに込められた意味は大きく違う。


宇賀神によって紙煙草の一ボックスが中空に放り投げられる。


「我が手に甘美なる空想を。我が世界は我が現実によってのみ浸食される」


二節詠唱が紙煙草二十本を空中で大きく動かす。

大気に高速で刻まれていく煙のルーン。


完成した文字列は美しい魔力片を伴い、一カ所に収束していく。

それはかつて戦った紫紺の騎士――『心喰の夜魔エフィアルティス』を具現化した。


「――ありえない……」


”OOoooooooooooooooooo!!”

”あああああああああああああ!!”


化け物同士の戦いが繰り広げられる。

俊敏な動きを見せる屍食鬼に硬質な鎧が火花を散らす。


騎士は以前戦闘したときよりも遥かに練度が高い。

まるでかつての上位互換だ。


”Ahhhhhhhhhhhhhhhh!!!”


大きく振りかぶった剣。

それを防ごうと交差する高位屍食鬼の両鋏。

だが騎士のそれはフェイクだ。


高位屍食鬼のがら空きの胴体に一閃。

紫紺の剣閃が残光をともなって、高位屍食鬼を切り伏せた。


敵を斬殺した騎士は音もなく魔力に帰していく。


「わりと使える駒ではあったかな」


宇賀神は新たな煙草のボックスを開封すると早速一本を口にくわえる。

そのままもっとも近かった姫咲に一言二言声を掛けると肩を貸してこちらまで来る。


「色々と話したいこともあるだろうが、それは道中でだ。今は〔ISO〕が構築している前線包囲網まで後退するぞ。お前のことだ。ダメージはあっても歩行機能くらいは最低限回復しているだろう?」


宇賀神はオレに手を差し出すと身体を引き上げる。

確かに俊敏な動きはできないが、歩くくらいなら造作ない。

〔ISO〕の一部隊を任される彼女の力量と鑑識眼を再認識させられる。


「だがモールの上階にはまだ一般人が残っている」

「……なるほどな。だが大勢での移動はそれだけでリスクが付き物だ。私と八神、そして彼女くらいなら確実に守ってやれる。が、これ以上となるといくら私でも絶対の保証はできない。間もなく〔ISO〕の制圧部隊が突入する算段も付いている。彼らに任せておくべきだろう」


合理的な判断だ。

一応一般人の存在は伝えたが、オレもそれが最善だとすでに結論付けている。

下手に大勢での移動になると余計な死者を増やす。


ふとモールの上層階から灰が姿を見せる。

それから軽く正面を見渡したのち、宇賀神のISO帰属を示す腕章に目を留めたようだ。

それで状況を把握したのだろう。


コンパクトなハンドサインがオレに向けられる。


「何をしているんだ、彼は?」


宇賀神は意味を掴み損ねているが、一応一般的かつ簡易なハンドサインだ。

裏社会で使われている複雑なサインを使わなかったのはISOの宇賀神がいるからだろう。


「『こっちは大丈夫。先に行け』と言っている」

「ならお墨付きは貰えたな。さっさと移動するぞ」


宇賀神は姫咲の手を引こうとするが、それを彼女は止めた。


「大丈夫。わたしはもう動けるから」

「そうか? 見掛けの割に意外と根性のある子だ。だそうだぞ、八神?」

「……分かった。オレも若干の無理は押して走る」


宇賀神の目がか弱そうな少女に負けていいのか、と挑発気味な煽りを寄越す。

わざわざ乗る必要はないのだが、オレとしても早く安全圏まで退きたいところだ。


「行くぞ」

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