♰Chapter 38:巨躯と黒骸装と撤退と

夜の街は惨劇を刻んでいる。

見える範囲に生存者は一人もいない。


鮮やかなショーウィンドウも、居酒屋の立て看板も。

マンションの硝子扉も、車の中も。

人のいた証といえば煌々と輝く人工灯くらい。


薙ぎ倒され、破壊され、鮮血に色づいている。


「まったく、悲惨なものだ。掃討したはずの場所ですらすぐに別の群れがやってくる」


宇賀神とオレは火の基礎魔法で屍食鬼を焼き払う。

それでも庇い切れない敵はオレの短刀、姫咲の糸が頭部を破壊する。

宇賀神は刺突武器であるエストックを得物にしている。


「気になっていたんだが彼女は何者だ? 見たところ魔法に似た何かの気配を感じるうえに彼女は――」


オレは宇賀神に向けて視線を送る。

宇賀神は連絡橋の少女が姫咲だと気付いたのだろう。


だが姫咲が話そうとしていないうえに走りながら終わらせられる話題ではない。

先程彼女が動揺していた時に聞いてしまったことをオレから話すわけにもいかない。

話してしまったなら姫咲の信頼を失ってしまうだろうから。


宇賀神はオレの目を見て口を噤んだ。

空気を読んでくれたことには感謝しかない。


「ごめんなさい」


一歩後ろを走る姫咲からの小さく謝る声。

深入りを留まったとはいえ聞こえてしまったのだろう。


「訳アリだな。一応国家権力の犬である私だが目を瞑ろう」


宇賀神のエストックが待ち伏せをしていた屍食鬼を貫く。

彼女の腕前は相当だ。

油断も隙も取り付く島もない。


「さて今現在の状況だが〔ISO〕はすでに第十四区一帯を封鎖している。どうやらこの屍食鬼どもは今のところその外には出ていないようだからな」

「それがこの異常事態の被害範囲か?」

「恐らくはな。だが包囲網が破られればその限りじゃなくなる。それにこの事態の原因はいまだ不明だ」

「……ぞっとしない話だ」


宇賀神は真っすぐに北方向を目指している。

このペースなら十分もかからずに区の境目に到達するはずだ。


くいくい、と袖が引っ張られる。


「どうした?」

「……まずいかも。この先にすごく嫌な気配を感じる」

「宇賀神、止まってくれ!」


オレは即座に制止を呼び掛ける。

姫咲の感じた気配というのはつまり。


「どうした? 何かいたか?」

「この先に強い屍食鬼――いや吸血鬼がいるかもしれない」

「……それは私でも踏破できないレベルか?」


姫咲の表情は浮かない。


「……そうか。だがどちらにせよ包囲網が突破されれば終わりだ。難しいと分かっていても迂回はできない」


そこで姫咲に近寄った宇賀神はぽん、と頭に手を置いた。


「それでも心構えができるのとできないのとじゃ段違いだ。よくやった」


うりうりと撫でられるものの、姫咲はオレを盾にするように背後に引き下がる。


「おや、私のことは苦手かな?」

「……少し」

「ははは、正直なところは何物にも勝る美点だとも」


宇賀神は吹かしていた煙草を地面に捨てる。

それは次の瞬間には道路に溶けて消えた。


「――ああ、本当に厄介なのがいるな」


「——ごきげんよう。魔法使いの少年と人間」


かつてサンセットモールで相対した屍食鬼を操ることに長けた知性ある吸血鬼。

彼女が巨大な屍食鬼の肩に腰掛け、向かいのビルを踏み壊しながら微笑んでいる。

以前よりもずっと大きく、ずっと洗練されている。


ゼラはオレと宇賀神の隣りにいる姫咲を見て目の色を変える。


「――それに黒檀の――」

「わたしは!」


唐突な姫咲の強い声音にこの場の全員が引き付けられる。

だが二の言葉は継げないようだった。


その様子を見ていたゼラにはぴんと来るものがあったようだ。


「なるほどね。つもりなのね」

「っ」

「……まあそれならそれでいいでしょう。いつか後悔するとは思うけれどね」


音を立てて崩れる建物。

雪崩落ちる瓦礫にオレたちは後退する。

そして空中から降り注ぐ屍食鬼。

どうやら巨体が大きく動くたびに、身体を構築している屍食鬼がばらけて落下しているようだ。


「子供に圧を掛けた後は大層なおもちゃをばら撒くんだな。お前がこの騒動の根源か?」


宇賀神の高圧的な物言いにも物怖じしない。


「さあ、どうでしょうね。言ったところで意味はないもの。あなたたちは屍食鬼になるか、あるいは無残に踏みつぶされて死ぬのだもの」

「言葉は通じても所詮は死体もどきと同族か」

「何と言ってくれても結構よ。精々綺麗な駒になって頂戴ね!」


”おおおおおおおおおおおおおおお!!”


大振りの拳が振り下ろされる。

再度の回避をするが、宇賀神だけは退かない。


「――――」


狂喜に溢れるゼラと言う名の女吸血鬼。


腹底から揺さぶられる強烈な衝撃波がオレと姫咲を打つ。


「やっぱり人間は脆いわね。貧弱な肉体に同情してせめて早死にさせてあげる――さあ、残りも潰しなさい」


巨人に命令が下る。

だが微動だにしない。


「……? どうしたの、ラプトール?」


「――その貧弱な人間が今の一発を防いだならどんな顔をしているんだろうな」


巨大な腕に不可思議な大振りのルーンが煌めく。

それは巨体を構成している屍食鬼を一気に燃やし尽くした。


煙草を持っていなかったのになぜ――。

いや先程路上に捨てた一本が布石だったのか。


腕をまるごと焼かれた巨人は野太い悲鳴を上げる。


”ああああああああああああああああああ!!”


散らばった屍食鬼を踏みつけ、お構いなしに倒れ込む。


「ラプトール!」


ゼラは肩から飛び降りると地面に立つ。

これでようやく同じ立ち位置だ。

だが巨人もまだ倒せたわけではない。

続々と屍食鬼が寄り集まって、元の大きさに戻ろうとしている。


「八神! 彼女を連れて先に行け!」


宇賀神の実力は本物だ。

その彼女の周囲に手負いの二人がいても足手まといになるだけだ。


「姫咲、行くぞ!」

「……うんっ」


うめき声を上げながら襲ってくる屍食鬼の群れ。

それを幾度となく殺しながら姫咲と先を急ぐ。


ゼラは横を通り抜けていくオレと姫咲から視線を外さない。

だがすれ違いざまに手を出してくることもなく、低位屍食鬼が漠然と進路を妨害するだけだ。


何事もなく進路を駆ける。



――……



「随分と親切じゃないか、死体使い。みすみすあいつらを見逃してくれるなんて」


宇賀神の挑発に薄く微笑むゼラ。


「手負いの羊を追うのは面白いわ。でも羊の中に紛れた狼を狩るのもまた面白いのよ? そして今宵は厄介な狼を狩らなければいけないの。だから今は羊を見逃しましょう」


巨人はすでに再生を終えている。

だが先程とはやや造形が違う。

二足歩行の人型から四足歩行に。

名前を付けていたところを見るにそう簡単には灰にできない存在なのだろう。


「私は狼扱いか。悪くはないがあいにくと牙は抜けている。せめて牧羊犬と表現してほしいものだな」

「それならわたしを死体使いじゃなくて、ゼラと呼ぶことね。屍食鬼は思考できない傀儡だけれど、わたしにとっては愛すべき駒よ。愚かであると同時に、吸血鬼が共生すべき隣人なのだから」


宇賀神は思わず笑った。


「ははっ! 屍食鬼との共存か。面白いことを言う。自分で言ったじゃないか。屍食鬼は思考ができない、と。それは生物学的な死だ。それと共に生きるとは死生観まで私たちとは違うようだ」

「……流石に小馬鹿にされるのは心外ね。あの子たちがいなくなって首輪がきかなくなったのかしら。その減らず口がいつまでもつか、楽しみよ」


巨人の前に複数の四つん這いの屍食鬼が並ぶ。

本能的に人を襲うことしか考えない奴らが整然と等間隔に。

それらの口元は開かれ、毒々しい紫の瘴気を放射状に射出した。


宇賀神は新たな煙草を用い、再度ルーンを展開して集中放射に耐える。


「――容赦なしか」


四足歩行の巨人は二足のときよりも動きの機微が細かい。

素早い動きで飛びあがると宇賀神を叩き潰そうと拳が振るわれる。


――ドンと強烈な破砕音。


ルーンで作った三重の障壁のうち二枚が破壊された。

残る三枚目もたわんでいる。


「膂力ではかなわん!」


正面のブレスと上からの打撃。

どれを受けたとしても致命傷だ。


宇賀神は後方からも集合しつつあった屍食鬼を焼き払う。

それから一目散に来た道を駆け戻り始める。


「あら、逃がさないわよ?」


宇賀神がどれだけ速く走ろうとも巨人の走力には敵わない。

大体にして歩幅からして全く違うのだ。


無数の火の玉をばらまきながら全速で駆ける宇賀神との距離を着実に縮めていく。


「ああ、そういうこと」


宇賀神は高架下を通り抜けていく。

巨人の大きさでは到底抜けられる幅ではない。


「でも上を越えちゃえば何の問題にもならないわ」


大きくバネを貯めてから空中へ大跳躍をする巨体。

向こう側でさらに逃げ続ける宇賀神の姿を楽しもうとしたゼラだったが。


「っ⁉」

「――私は別に逃げるつもりなんざ毛頭ないよ。ただ少しお前の目を欺く時間が欲しかっただけだ」


宇賀神の周囲には三箱の煙草が三角の魔法陣を展開している。

煌めきからしてすでに詠唱は完了済み。

集中力が必要な詠唱を走りながら構築していたのだ。


――魔法陣から飛び出てきたのは巨大な鋏。

それはゼラの乗る巨人を空中で串刺しにしつつ殴り飛ばした。


「クッ……!!」


高架を破壊し、屍食鬼を無数にひき殺す巨人。

態勢を立て直したものの、身体が一回り縮んでいる。


そして宇賀神がその固有魔法で召喚したもの。

それはサンセットモールで彼女が倒した鋏の屍食鬼――その巨人だった。


「それは私の――!」

「類は類を呼ぶ。等身大の魔法使いの私ではお前の巨人を相手にするには無理がある。なら同類の手を借りるのが一番早いというものだ」

「なんて無茶苦茶なのかしら……!」


巨大な拳と鋭利な刃が打ち合わされる。

その度に空中から大量の屍食鬼の雨が降り注ぐが、宇賀神は焼き払う。

道路の舗装はもはや形を成さず、周囲の建物や自動車は崩壊の音を奏でる。


戦況はゼラの巨人の方が有利だ。

屍食鬼を無数に取り込んで強化・巨大化できるのに対し、宇賀神の巨人は新たに屍食鬼を纏う機能は備わっていない。


宇賀神の固有魔法は隠蔽を概念とした魔法。

隠蔽するには必ず事実を知っている必要がある。

当然だ。

何を隠蔽するのかすら分かっていなければ当然隠蔽などできない。

ただし彼女の魔法は正統派ではなく、やや応用気味な使い方をしている。

身近に出会って構造を理解した被造物を模倣する。

彼女の戦闘勘がなければ思いもよらない活用方法だ。


宇賀神はコートのポケット内の煙草の残量をそっと確認する。

残り、三箱少々。

余裕などなく、無駄にはできない。


「ったく燃費の悪さはぴか一だ」


宇賀神はガンホルダーからISO支給の銃ではなく、愛用の自動拳銃――デザートイーグルを取り出す。

それも正規版ではなく改造版。

実用性と威力だけをひたすら求めて魔改造されている。


「我が姿を隠蔽せよ」


音もなく、姿もなく。

群がる屍食鬼にひっそりと。



――……



ゼラは”屍食鬼”を良く知っている。

吸血鬼の眷属――低位屍食鬼ファムルス・フミリス高位屍食鬼ファムルス・アルトゥス

屍冠であるゼラだけが緻密に操ることのできる忠実な駒。

それがどういう訳か宇賀神にも操れている。


「駄目ね……いくらコントロールしようとしても私との接続が断たれている」


ゼラは最初こそ驚愕したが敵の性能は自分の巨人に及ばないことを知ったあとではそれもない。


「完膚なきまでに喰らいつくしなさい!」


四足の巨人は右鋏を躱し、さらに左鋏も躱す。

躱されて地面と建物に埋まった鋏はすぐには動かせない。


四足の巨人はその巨大な口でもってばりばりと鋏の巨人を喰らい始めた。

それはあくまでも比喩。


次々に直接接続を繋ぎ、支配下におさめていく。


そういえば、とゼラは宇賀神がいた方向を見下げる。

屍食鬼たちが異様に静かなのが気に掛かった。


「……いない?」


おかしい。

これほど圧倒的な人数だ。

どうあがいても監視の目から逃れることはできない。


ゼラは直感から自身を霧に変化させ始める。


「――勘が鋭いな」


いつの間に回り込まれていたのか、背後に宇賀神がいた。

戦慄と共に巨人を構成する屍食鬼を盾にしようとする。


――全てが間に合わない。


「ありえな――⁉」


自動拳銃による超至近射撃。

発火の光と耳が痛くなるほどの発砲音。


だがその弾は全てゼラの向こう側へ貫通した。

そして代わりに宇賀神の右肩には大きな穴が開いていた。


屍冠の血盟ガダヴァ・ネクサス――『黒骸装ニゲル・カダヴェル』……ああ、本当に失態だわ。異常な力を使うとはいえ人間ごときにこの姿をさらすなんて」

「く……」


禍つゼラの腕。

屍食鬼を自身の半身に纏わりつかせている。

それが宇賀神の肩の肉を吹き飛ばしたのだ。


「でも駄目よ。どんなに小細工をしても所詮は人間。私を本気にさせたことは誇っていいけれど、譲歩はそれだけ。他には何もあげないしそもそもあげる気もないわ」

「はっ……言ってくれる。残念だが今は退かせてもらおう」


宇賀神の左手閃き、エストックがゼラに向けて投擲される。

だがそれはいともたやすく弾かれた。

それでもわずかな時間で宇賀神は姿をくらませた。


「……あれが牧羊犬の力の一部ってことかしら。手負いとはいえ深追いは禁物ね」


屍食鬼が解けるようにゼラから離れていく。

巨人の捕食も終わり、晴れて主導権を手に入れた。


「とんだ邪魔が入ったけど急がないと――ヴィンセント」


ゼラの今夜の目的は決して食事ではない。

王の目覚めよりも早く秘薬を回収することだ。


――偶然見かけただけとはいえ、障害になりそうな相手はほぼ手負いにできたはず。

ならこれだけの時間を割いた甲斐がある。


そう考えつつ、ゼラは吸血鬼の微妙な感覚を頼りに徘徊を続けるのだった。

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