♰Chapter 47:呪いに魅入られた者

本来なら致命傷である傷も眼前の屍食鬼には通用しないらしい。

頭部を損壊させてなお消えることはなく、赤黒い微粒子を帯び、急速に傷を治癒させていく。


”ああ……ああ、ああいたい。これが、いたみ。これが、くるしみ。からす、いたいよ”

「――——まさか」


うわ言のように呟く屍食鬼の言葉に耳を澄ませる。

そして声質も外見も変わり果ててしまったその男を観察する。

やがて一つの結論を導き出した。


「お前、灰か」


『灰』という名前に焦点の定まっていなかった赤目がこちらを見る。


”からす……ああ……そう、だ。おれははい。はいなんだ”


八割の狂気と二割の理性。

それでも会話は何とか成立しそうな気配がある。


「お前はなんだ? その姿は紛れもなく屍食鬼のものだ。噛まれたのか?」


見たところ傷らしき傷は見当たらない。

それでもどこかが噛まれてしまったからこそ屍食鬼になり果ててしまった。

そう考えていた。


”おれはかまれて、ない”

「ならなぜ?」

”さんせっともーる……にいたらこえがきこえたんだ。『貴方は嫉妬している』と”

「声? 嫉妬……?」


まるで要領を得ない言葉の羅列だ。


”ぐーるがあふれるまえ、いつもどおりのじかんをすごしていたときだ。かみさまのこえが、あたまのなかにひびいて、おれのこころをあばいた。どうようはすぐにきえた。なにかがなかにはいってきたから”

「それは神の声なんかじゃない。お前はただ呪いに心をかどわかされただけだ」


そう、その声は絶対に神の声などではない。

脳内で琴坂が言っていた小さな『不満』や『嫉妬』という言葉が反芻される。


灰は何らかの嫉妬を胸に秘めていた。

そこに吸血鬼の呪いが付け込み、呪いの核として成立してしまったのだろう。


”のろい……? これがのろいだっていうのか?”

「自分の姿を見たか?」

”――?”


オレの言葉に自分の身体を確認した灰。

すでに人間を逸脱した歪な肉体と化していた。


それでも灰はただ疑問符を浮かべるだけだった。

まるで自分のことを上手く認識できない幼子のような気配。

直感的に何かがズレていると感じた。


”からすがなにをいいたいのかはわからない。でもいまのおれにはたくさんのなかまがいるんだ”


続々と現れた集団の屍食鬼たち。

それらはきっとモール内にいた一般人たちだ。

顔の造形が残っている者の中には見掛けた顔もある。


”こわがるひつようなんて、ない。きょうふも、ぜつぼうもなくなった。すごくここちいいんだ。だからはやくこっちにこいよ。いつまでもそのひんじゃくなからだじゃつかれるだろ”


その言動は意思疎通ができているようでありながらその実はできていない。

一方的な話口調はこちらの意見などすでに聞こうとはしていない。


姫咲の表情も険しいままだ。


経緯はどうあれ屍食鬼になった時点で灰は人間として死んでしまっている。

どう足掻いても元の人間には戻れない。

オレは――決断するほかなかった。


「灰、お前には一度依頼をしたことがあったな。その時のことは感謝もしている。だがこうなってしまった以上、お前も付き従う彼らも救えない。そのことを赦してほしい」

”なぜ? からすもこっちにくればきっとわかる。おなじそんざいになれば、おなじけしきをみることができる。だから――”


オレは灰に接近すると頭部に短刀を突き出す。

だがそれは流石にかわされる。


”ひどいじゃないか。おれをころそうとするなんて”

「お前もオレを殺そうとしているじゃないか……!」


オレの攻撃をかわした灰は口を開き、前動作なしのブレスを解き放つ。

だがそれは一度別の屍食鬼で見た異能だ。

体躯を捻り、それをかわす。


「――ふっ!」


がら空きの灰の背後に姫咲の爪が突き刺さる。

オレに注意が向いている間に回り込んでいたものだ。


”じゃまなやつがいるな”

「姫咲、離れろ!」


その言葉に反射的に爪を抜こうとするが、死肉に挟まれてなかなか抜けない。


「駄目……! 抜けない!!」


それどころか徐々にめり込んで行っている気配すらある。


「取り込もうとしているのか!」


ゼラの巨人――融合体を見たあとではそれも不思議ではない。

オレは道を阻む屍食鬼を灰に帰しつつ、姫咲の爪を断つ。


「おにーさん、ありがとう!」

「それはまた後でだ!」


”どうしてじゃまをするんだ! どうして、わかってくれない!”


「分かるわけがない。モールにいた彼らを屍食鬼にしたのはお前だろう。それだけじゃない。あのとき話した最初に屍食鬼化したという仲間もお前がしたんじゃないか? お前の存在は異質すぎる」

”ああそうだ。おれはこのすがたになってきづいたんだ。とてもここちがいい。なにをきにするでも、なにをくつうにおもうこともない。なにもないからなにもかんがえなくていい。それはこのうえなくすばらしいことで、ただしくじゆうだったんだ”


それから赤い瞳がオレを睨む。


”だがからすはどうだ? おれはからすにあこがれていた。なにものにもくっさず、たんたんといらいをこなしていくあんさつしゃ。だがあのひ、ろじうらでいらいをうけたひからおまえのうわさをあつめてりかいしたよ。それはちがったってな。あんさつしゃとしてのいらいはいっさいうけていない。いまのおまえはかつてのおまえじしんをころしている。どこまでもふじゆうだ。しょうじき、ダサいよ”


その言葉は屍食鬼になる前の人間の灰が言っているような気配がした。

消えかけの自我がオレを見ている。

呪詛は人のささやかな憎しみや妬み、恨みと言った負の感情を増幅するという。

灰はまさにそうなってしまったのだ。


その言葉に隣の姫咲が反論した。


「おにーさんはダサくないよ」


睨み付けるように紅い瞳が姫咲を見る。


”おまえ、おれとおなじにおいがする。それなのにどうしてにんげんにつく”

「わたしは吸血鬼。でも人間の血も交じってる。だからどっちについてもわたしの自由よ。それよりもさっきの発言を取り消して」

”……はんぱものになにがわかる。からすはいきかたをまげてしまった。どんなにたしゃからねたまれようとせんぼうされようとかわらなかったおまえがいちじきすがたをけしたとおもったら、いまはもうかわってしまっていた。あこがれていたおれのきもちはどこにもいけなくなってしまった!”

「それは勝手よ。わたしは確かにおにーさんについて詳しくもなんともない。でもわたしを助けてくれようとした。他の人も自分の手の届く範囲で救おうとした。そんな人をダサいなんて絶対に言えない」


姫咲は自分の手首を爪で切り裂き、深紅の血を垂らす。


「それに――あなたのそれはたぶん逆恨み。呪いに飲み込まれてしまった人の末路」


血で出来た剣は初めて見るものだ。


「おにーさん、わたしと一緒にこの人を止めよう」


戦闘中でも笑える姫咲は本当に強い。

だがその刃はわずかに震えている。

その表情は自分とそしてオレ自身を鼓舞するための仮面の笑みなのだ。


自衛のためではなく、他者のために武器を取る。

オレよりも年下のはずの少女には重すぎる意味だ。


逆に灰は両手に挟みを、背後に鋭い尾を、そして口元には毒々しい吐息が纏わりついている。


オレにできること。

それはその戦いぶりで姫咲に返すことだ。


「ああ、もちろんだ」

”このわからずやが!!”


鋏で姫咲を挟もうとするもそれは彼女の血液の剣で防がれる。

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