♰Chapter 2:新たな依頼

「ごめんなさい。お二人とお話をされていたのは分かってはいたのですが、なるべく早く八神くんとお話したかったのでつい」


神宮寺は部室から離れた階段の踊り場で足を止めた。

部室とは真逆の方向なので盗み聞かれることもない位置取りだ。


「ここなら誰か来てもすぐにわかりますし、内緒話をしてもいいでしょう」

「随分と手の込んだことをするんだな。人に聞かれたくない話なのか?」

「はい、その通りです」


一切の曇りのない答えが返る。


「今日八神くんを訪ねたのは他でもありません。実は最近”吸血鬼”の噂が流行っていまして……」


吸血鬼。

それは西洋の異形だ。

魔女やミイラなどと同じくらい有名で、よくハロウィンの仮装に用いられる。

吸血を生きる術、あるいは嗜好とし、棺に入って眠るとかなんとか。


クラスの数人が吸血鬼の話をしていた気もするが、眉唾だと聞き流していた。


「その吸血鬼がどうかしたのか?」

「わたしは噂の吸血鬼を信じていなかったのですが、数日前わたしの知り合いに縁ある人が変死体で見つかったのです。それも全身の血液を抜かれ、見る影もなくなっていて……」


神宮寺はスカートの裾を握りしめる。


「あまりに凄惨な事件だったこと、そして遺族の希望でもあったので、の方からお願いしてどうにかこの件だけは報道されることを防ぎました。でも今朝がたになってさらに複数名の方が怪死を遂げていることが分かったんです」


あえて『神宮寺』という名字を強調していることには気付きつつもここでは指摘しない。


「その人たちも血液を抜かれていたというわけか。噂の出元は後者の方か?」

「はい。流石に一度であれば抑えが利いても何度も同じような怪死が続けば社会への周知は免れません。……八神くんはやはり驚かれないんですね」


神宮寺のウェーブが掛かった髪がふわりと揺れた。

こちらを探るような視線。


彼女はこの件に関する情報を隠す気がない。

いわゆる警察機構たる〔ISO〕しか知りえない内部情報をオレに横流ししている。

その時点でオレのことをある程度知っていることの証明だ。


――すなわち、暗殺者であるということ。


だがオレは最終確認のためにあえてズレた発言をする。


「猫の手部を創った時点で怪談や心霊調査みたいなものも来ると思っていたからな。流石に死人が出た事件なんかが持ち込まれるとは思わなかったが」

「――違うんです」


彼女はそうではないと主張する。


「何が違うんだ?」

「あなたを探していたんです。八神零くん――いいえさん」


やはり神宮寺はオレが暗殺者であることに気付いていた。


「やはりオレを知っているのか」


”鴉”は暗殺者で言うところのコードネームである。

当初、八神零のReiの頭文字ℜを取ったつもりだった。

だが暗殺者としての名声をあげるにつれ、いつしか”黒鴉”——Ravenの頭文字だと裏社会の界隈で吹聴されるようになった。

フーデットケープを愛用していたことから、当時使っていた鴉の留め具が噂を助長したのだろう。


先付けの意味と後付けの意味。

今ではいわゆるダブルミーニングとしてこのコードネームを使っている。


「先程と今の反応……八神くんも神宮寺のことは把握しているようですね」

「把握も何も、周防も言っていたが神宮寺はこの学校の理事長と同じ苗字だ。そしてその実態は財閥の一角。入学する前にこれからの自分が学ぶ場所のことは調べている。それに今のお前は神宮寺という言葉をやたら強調して隠す気が全くなかっただろう」


オレは言葉を続ける。


「だがどうしてオレ個人を探していたんだ? 今のオレはただの学生だ」

「確かに傍から見ればそう見えなくもないですね。身長高め、細身でありながらしっかりとした体幹、容姿にもある程度の気を配っている。無表情で何を考えているのか分からない、不思議なただの男の子。でも――」

「でも?」


人差し指を立て、しかつめらしい顔をする。


「実はわたし、ひと月ほど前に夜の学校で不思議な光景を目にしたのですよ。それは本当に奇跡を見ているようで……いいえ、あれはきっと奇跡そのものだったのだと思います。覚えていませんか? あなたはわたしを黒い獣から助けてくれたのです」


記憶を辿るまでもなく鮮烈に焼き付いていることだ。

獣の牙を模したアーティファクトによる魔獣の召喚。

夜の校舎内で戦闘になったとき、運悪く居合わせた一般人の女生徒。


――予想はしていたが一度目の出会いがきっかけか。


思ったよりオレの詰めは甘かったか。

言葉だけの口止めでは何の意味もなかったと見るべきだ。

”暗殺者”の肩書だけならバレても仕方ないと割り切れる。

だが”魔法使い”の存在は恐らく周知にしてはならない禁忌。


神宮寺は深々と頭を下げる。


「あの時は本当にありがとうございました。当時は何が何だかも分からずにお礼も言えていませんでしたから」


オレが暗殺者だと分かっていて、なお礼節を尽くしている。


品行方正、純粋無垢、清廉潔白。

長年にわたる歴史を誇る名家にして、裏社会を嫌うもの。

多くの権力者が密かに裏社会を利用するなか、財閥で唯一神宮寺だけは闇に手を染めなかった。

今現在もそれは変わらない。


オレとはどうあっても相容れないサイドの人間だというのにこの時期でのオレとの接触。

そして暗殺者であることは暴かれ、魔法使いの存在も薄々知覚していることだろう。

とても感謝だけのために近づいてきたとは思えない。


「オレに何を求める気だ?」

「八神くんがわたしに何かを求めるべきではないんでしょうか?」

「あれは正式な依頼じゃない。だから対価を求めないし、受け取るつもりもない。前口上も嫌いじゃないがオレを試すのはこの辺でいいだろう?」

「……慧眼ですね。あなたがどういう人間なのか少し気になっていたので試させてもらいました。気分を悪くされたら申し訳ないです」


暗殺者としての力量ではなく、人間としての力量を試しにきた彼女。

その瞳がこれからが本当の本題だと物語っている。


「ここからは直球で行きます。あなたにわたしとして正式な依頼をしたいのです」


それ自体は推測できていたことだが、を強調するところに違和感があった。


「個人となると家の方は関係なく、お前自身の依頼というわけか」

「はい。ご存じでしょうが神宮寺は決して裏社会の人間とは手を組みません」

「その裏社会に生きる人間が目の前にいるのに随分と容赦ないな」

「それは……申し訳なく思っています。ですがこれは理解しておいてほしいのです。神宮寺全体の方針として裏社会との関わりを断っていてもわたし個人としてはその限りではないということを」

「必要であれば裏社会の力でも借りる……それがお前の考え方か」

「今はそう思っていただいて結構です」


神宮寺の家は組織として裏社会を頼らない。

神宮寺朱里は個人として裏社会を頼る。

だが神宮寺朱里も家名を背負っている以上、神宮寺の一員であることからは逃れられない。


――神宮寺家が裏社会の力を借りない……これは詭弁とも捉えられるな。


神宮寺財閥も一枚岩ではないということ。

大きい家なだけに様々な考えを持つ人間がいて当然といえば当然だ。


「依頼内容は?」

「吸血鬼、あるいはそう噂される殺人鬼を拘束――最低でも暗殺していただきたいのです。その存在によってもう二度と悲しい結末を迎える人々が生まれないように」


お願いの体を取ってはいるが実質的には脅迫だ。

先に暗殺者や魔法のことを話したのはこのための布石。

それらを話さない代わりにオレに面倒事を押し付けるという。

そしてそのオレについては神宮寺の権力のもと、把握されていることだろう。

校舎の件から二か月弱も音沙汰が無かったのは彼女にとっての調査期間だったに違いない。


どんなに情報セキュリティを強化してもそれ以前に隔絶されたネットワークに情報を保存されていたり、あるいは神宮寺家のように圧倒的なネットワークを持っているのならばそれは無意味と化す。


過去は決して消えてはなくならないのだと突き付けられているようだ。


「……今更だがオレがお前を殺すとは思わなかったのか?」

「殺さない、と思っています。でももし八神くんに口止めで殺されたとしても、それはわたしの自業自得です。恩を仇で返す、というのはきっとこのようなことを言うのでしょうから」

「よく言う。事実上、オレはお前を殺せない。」


オレは小さく溜息を吐く。

利用される側からは脱却できたと思っていたのだがそれはまだ遠いらしい。


「報酬は?」

「この依頼を見事に完遂して見せたのなら、今後あなたが困ったときに必ず神宮寺朱里がお力添えをさせていただきます。そして不思議な力のこと、暗殺者であることも他言しません。これからあのようなことが起きたとしても黙殺します。金銭の報酬もいくばくか用意させていただきます」

「証明はできるか?」

「今回の依頼は非公式とはいえわたしは――神宮寺朱里は家名を背負う身です。誓って嘘は吐きません。契約書を作りサインをした方がよければそのようにしますが」


神宮寺の瞳に陰りはない。

この少女は暗殺者であろうとも一定の敬意を払っている。

本来なら契約書は必要だが、それは法の裁きがあってこそ。

魔法のこと、暗殺者のことを話さないなんて契約書は事実上強制力はない。

法的に埒外の存在なのだから。


「契約書は必要ない。その依頼を受けよう。次は期間だが」

「できるだけ早めにお願いします。必ずしも一定ではありませんがかなりの頻度で死者が出ています」


オレは最後の条件を尋ねる。


「この件の犯人が〔ISO〕に捕縛される、あるいはすでに死んでいた場合はどうする?」

「前者の場合、お約束の報酬の一部――つまり不思議な力や暗殺者の口外は絶対にしませんし、これからのそれも一切関与しません。ただわたしがバックアップするということは期待しないでください。後者の場合も報酬の一部と言うことで納得していただきたいです」

「構わない。最後の質問だ。オレが殺したことをどう証明する? そしてそいつが吸血鬼と目される人物かをどう見極める?」

「それは八神くんの善性を信じるほかありません。ただ一つ言えることはわたしはあなたの過去を知っていて、今の行動の根幹を成している心情も理解しているつもりだということです」


それはつまりオレが偽善を行い、人を助けるということだろうか。

実質的に今の神宮寺にオレは太刀打ちできない。

無理に抗っても労力に見合うだけの成果はない。


それに――彼女の言う報酬が真実ならばオレにとって必ずしも不利益ばかりとも限らない。


「契約成立だ。話はそれだけか?」

「ええ、これだけです。あと」


言葉に詰まる彼女。

それから心を決めたような面持ちをする。


「これから仲良くしてくださると嬉しいです……! こんな形になってしまったことは残念ですが、わたしは八神くんとお友達になりたいと思っていますから」

「適切な距離を保った学生同士の友達なら、な」


オレは神宮寺と別れると部室に戻る。

重めの話をしたばかりなのに、さらに妹談義第二幕なるものを聞かされて疲労困憊になるのだった。

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