♰Chapter 25:屍冠のゼラ

それからも散発的に屍食鬼との戦闘を行った。


都合四回。

敵影を見かけてもうまくやり過ごした回数も含めればその倍の屍食鬼がいた。


時に天井から、時に商品棚の陰から。

醜悪な化け物は多種多様な待ち伏せで攻めてきた。

なかには握りこぶしサイズの人面屍食鬼もいて、危うく噛みつかれるところだった。


サンセットモールとその周辺の屍食鬼の数は多すぎる。

恐らくは前々から構築していた拠点の一つなのだろう。


しかし昼間は人々の集うショッピングモールであるというのに、どこにこれだけの屍食鬼を隠していたのか。

そもそもここにいる屍食鬼は造形が特殊なものばかりで今までの屍食鬼とは違う。


一体何がどうなっているのやら。

謎は深まるばかりだ。


今現在四階を駆けているオレと水瀬は間もなく先程の人影のいた場所に到着しようとしていた。


「止まって、八神くん!」


その呼びかけにすぐに停止する。

水瀬の警告の理由はすぐに知る。


――建物が揺れている。

同時に視界の端からゆっくりと現れるそれ。


「これは――」


一階から四階まで届く巨大な屍食鬼だ。

どこにどうして眠っていたのか、先程まで存在すら悟らせなかった死肉の巨人。

建物を破壊しながらゆっくりとオレたちの目の前で止まる。


化け物の肩に座るのは一人の女性だ。

泣きぼくろが特徴的でどことなく妖艶な雰囲気がある。


「――こんばんは、少年と少女。本当にここまで来れるなんて。すごい人間もいたものね」


優雅な所作で、篝花のような印象を受ける麗人。

意思疎通を図れない”屍食鬼”とは明確に線を引く濃密な存在感。

しっかりとした人語を話しているからには恐らく意思疎通ができる”吸血鬼”だ。


「しいて言うなら満月まで日があることが残念だわ。その日ならきっと仲良くなれたと思うの。ねえ、そうは思わない?」

「さあな。オレが分かることと言えば”吸血鬼”のお前が危険な存在であるということくらいだ」

「同意ね。屍食鬼を使役するなんて聞いたことがないもの。魔法か魔術か。どちらにせよ、大人しく投降することをオススメするわ」


大鎌が刃鳴りするが、それを見ても相手は微笑みを崩さない。


「あら吸血鬼ってことまでもう知られているのね。ん……確かにあれだけ派手に動けば気付かれても不思議じゃないのかしら? それに魔法に魔術……人から見ればそう映るものなのね」

「貴方達が人間から血を奪っていること、一部の人は屍食鬼となり忽然と姿を消していることも知っているわ。答えて。貴方達の目的は何?」


水瀬の厳しい視線に女吸血鬼は首をゆっくりと横に振った。


「可愛いわね。まだ未熟で青臭い――それでいて甘い香り。そうね、どうせ死んでしまうのだから答えてあげてもいいのだけれど……そうすると怒られちゃうからごめんなさいね。私は私で渇きを満たせればそれでいいのだもの」


女が巨人の肩を軽く叩いて合図を送ると、ゆっくりと動き始める。

持ち上げられていく剛腕。

天窓から降り注ぐ月光に照らされ、初めて人間の死体ばかりで構築された肉腕だと気付く。


――悪趣味極まれり、だ。


「水瀬!」

「分かっているわ!」


振り下ろされる巨腕を大鎌が受け止める。

地面を揺るがす衝撃と凄まじい負荷が彼女を襲う。


「くっ……!」

「あら、見かけによらず頑丈ね。その細い体のどこにそんな力があるのかしら?」


オレも水瀬に任せてばかりではない。

敵の腕を伝い、女のもとへ駆ける。


も頑張って応えなさい」


その呼びかけがキーワードだった。

巨大な腕からさらに細い腕が伸び始める。

無数の触手と言い換えてもいい。


――琴坂と共に戦った時の屍食鬼の攻撃と似ている。


短刀が金切り音を上げ、固い触手と接触する。

手応えは人間の肉と骨を断つ感触に似ている。

数十回と刻んだところで刃毀れを起こしたため、巨人に深々と突き刺して投棄する。

それから取り出したのは黒幻刀だ。


「何の魔的要素もない武器でここまでやれるなんて少年、やるじゃない」

「随分と余裕だな」


短刀を突き出すオレに女は初めて牙を見せて笑った。


「なに⁉」


相手が霧のように消えていく。

そしてやや離れた通路に人型をあらわした。


「ふふふ、名乗り遅れたわね。私は貴位吸血鬼のゼラ。一部では冥界の支配者として、屍冠ガダヴァ・コロナと呼ばれることもあるわ」

「ゼラ……!」


水瀬は巨人の猛攻を捌き切ると、頭部から足元にかけて大鎌の剣閃が輝いた。

鈍い悲鳴を上げながら崩れ落ちていく巨人。

肉塊の山はすぐに積み上がった。


「最近作ったお気に入りだったのに。名無しでももったいないわ」


心底残念そうにするゼラ。

やがて爪を伸ばした。


「思ったより人間の中でもやる子もいるのね。数百年もの間に貴方達みたいな人間とやり合ったこともあるけれど貴方達の方が数段上ね。ひょっとして吸血鬼――と言っても高位屍食鬼ファムルス・アルトゥスから成り上がったばかりの子だけれど、彼が数日前に負けたのも貴方達の仕業かしら?」


数日前といえば十塔坂における水瀬とアングストハーゼとの戦闘だろうか。


「ああ、ファムルス・アルトゥス――貴方達人間に分かる言葉でいうなら高位の屍食鬼ね。犬っころに化けるのが好きだった彼らしく、最後まで滑稽な幕引きだったわ。つまらない異能の他には動物に化けることにしか能がない吸血鬼の端くれのまま死に逝くなんてね」


オレは戦ったことはないが報告書によれば水瀬はその限りではない。

彼女は思い当たったようだがその表情は苦々しい。


「貴方はそれでも彼の仲間だったの?」


どうやら死んだ仲間を小馬鹿にするような態度が引っ掛かったらしい。

それに対してゼラはきょとんとした表情で答え返す。


「人間の言う仲間って言葉自体は好きよ。でも彼は仲間じゃないわ。高位屍食鬼ファムルス・アルトゥスから王の気紛れで吸血鬼に成った。いいえ、成り切れなかった雑兵に過ぎないわ。あれを仲間と呼ぶのなら今時の人間の感性を疑うわね」


価値観の違いは軋轢を生む。


「……少なくとも彼は言葉を理解し、対話はして見せたわ。敵対の意思は変わらなくとも人格を否定すべきじゃない」

「人格……ね。それは人間独特の考え方ね。私たちは人を贄、屍食鬼を駒、吸血鬼を障害物としか思っていない。相手の人格や品格なんてものは全く考えないし、考えるに値しないわ。そういう意味では数百年前の人間の一部の貴族に考え方は近いのかしらね」


さあ、と興味なさげな表情をする。


「やっぱり貴方は見逃せないわ」


水瀬からオレへの視線の交錯が行われる。

あらかじ決めていた撤退のサインだ。


サンセットモールは完全に相手の支配領域だ。

戦闘を回避した屍食鬼を含め、まだここには多くの屍食鬼が徘徊している。

加えて吸血鬼・ゼラの濃密な存在感。

一度は吸血鬼と戦った水瀬ならではの引き際として決断したのだろう。


――つまり見逃せないという言葉は本音でありながら、相手にオレたちが逃亡すると思わせないための布石。


「嬉しいわ。たとえそれが贄からの熱視線だったとしてもラブコールであることには違いないもの」


伸長した爪が水瀬を襲う。

斬撃を交わし合うが水瀬の刃は一向に通らない。

いや正確には何度も通っているが、霧に変化することで物理的なダメージが通っていない。

まるっきり手応えのない風と戦っているようなものである。


「少年の方は休憩かしら?」


余裕の笑みまで浮かべる始末。


「あら――?」

「これで――!!」


水瀬は台風のような風を大鎌に纏わせると一息に薙ぎ払う。

女は斬撃を受けている間は霧となり、飛ばされるしかない。

そうしなければ致命傷を負ってしまうのだから。


「行きましょう、八神くん!」

「ああ!」

「逃げるなんてつまらない――死者の呼び声カダヴェル・ヴォックス


風を纏って一階まで着地したオレと水瀬。

それを囲うようにどこからともなく屍食鬼たちが集まってくる。


オレは持ってきていた濃密な魔力煙を出すアーティファクトを即時展開する。

それは視界を奪い、魔力の痕跡すら一掃した。



――……



ゼラはモールの天蓋硝子を突き破り、屋上の縁に立って地上を見下ろす。

遠ざかる人影はすでに追っても無駄なほどに距離ができている。


「――領域の一つが暴かれたうえに人間ごときに逃げられるなんて。王に怒られちゃうかしら?」


冷たい瞳。

先程までの柔和な表情はどこにもない。

遊びに飽きた子供のように、熱は冷めてしまっている。


「最近私たち吸血鬼や屍食鬼を嗅ぎまわっている人間のことを少しは知ることができたし……いいえそれでもプラス寄りのマイナスね。あなたたちが私たちを追跡するのなら、きっと近いうちに再会できるはず。そのときこそ、終わりにしましょう」


独白めいた言葉は風に攫われて消えていく。

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