♰Chapter 10:蠢く屍者
最終下校時刻を回るとオレと水瀬は一緒に帰路に着いていた。
それは神宮寺に魔法と気付かせず、いかにあの簡易儀式を実行するかというテーマを話し合うためでもある。
「神宮寺さんは財閥のご令嬢なのよね? なら下手に近づくとこちらが火傷を負うことになり兼ねないわ」
「ああ、それに今は不幸が起こっていなくともオレたちの行動次第で魔法を深く知りたいと思ってしまうかもしれないしな。藪蛇になったら目も当てられない」
「難しい話ね……」
部活動の時間は部活動の時間として勤しんだオレと水瀬。
今後の神宮寺に対する対応はいまいち決めあぐねていた。
「でも八神くんは一応神宮寺さんとのパイプができているわけだし、貴方に簡易儀式を教えてさりげなくやってもらったほうが良いかもしれないわ。私と彼女では名前を知る程度で、そんな状態で儀式を行ってもあまり成功するとは思えないもの」
「オレに、できるか?」
水瀬はオレの瞳を覗き見ると小さく頷いた。
「きっと今の貴方なら大丈夫。魔法の知識も経験も日々重ねているもの。通用魔法に至ってはほぼ実戦で使えるレベルよ。魔法使い見習いから正真正銘の魔法使いになったと自信をもって言えるわ。おめでとう」
「水瀬にそう言われると嬉しいが、実感は湧かないな。確かに並くらいには魔法を使えるんだろうが、まだ知らないことが多すぎる。お前や幻影に長くいる魔法使いはオレ以上の時間をかけて研鑽を重ねたはずだ。その時間を埋めるにはまだ足りない」
「ふふ、真面目ね。そこは貴方の良いところでもあるし、悪いところでもある。一歩進んだら褒める、二歩進んだらもっと褒める。三歩以上進んだなら周りと比較するのもいいかもしれない。でもどれだけ進んでも自分を褒めてあげることを忘れないで」
そんな格言じみたセリフに考えさせられることもあった。
褒めて伸ばすというのはオレの暗殺の師もよく言っていたことだ。
”飴だけでも鞭だけでも人は成長しない。だから私は二つを使ってお前を育てるんだ”
褒めの飴と厳しさの鞭。
あの人はすでに死んでしまったが、今でも時折思い出すことだ。
明後日の方向に思考が飛んでいたがすぐに現実に戻す。
「それは肝に銘じておく。神宮寺の件だが、儀式のやり方は水瀬から教えてもらえると思って良いのか?」
「ええ、もちろん。八神くんならそう時間は掛からないでできるはず。そうね……これから任務がない限りは夕食後に私の部屋に来て。そこで修練を重ねましょう」
「了解」
初夏は日暮れまでが長い。
午後七時を回った今は彼方の空が橙色と紫色の中間のような色味をしている。
街はすでに夜模様であり、様々な色に満ちている。
歩道橋のちょうど真ん中で水瀬の脚が止まる。
「ねえ八神くん」
「どうした?」
突然歩みを止めた理由に見当が付かず、疑問符を浮かべる。
「話は変わるんだけど私と――」
「う、うあああああああああああああああああああああああああああ!!!」
自動車が走る騒音を掻き消すほどのつんざくような男の悲鳴。
オレと水瀬はすぐに声の方向に視線を向ける。
「助けてくれ!! 頼む!! 誰でもいいから!!!」
手荷物を全て捨てて走る男。
その後ろから黒い影がものすごい速度で追い掛けている。
「水瀬、話は後だ。今はあれを追いかけるぞ!」
「ええ!」
念のために身体強化の魔法をかけるオレたち。
男とその追跡者、さらにその後ろからオレたちという不思議な構図が出来上がる。
男は直線では追いつかれると判断したのか、手近なビルに逃げ込む。
影もそれを追うように入っていった。
建物前の看板には”建設中”の文字がある。
「まずいわね……未完成ならどこが崩れてもおかしくない」
「一刻も早く捕まえないとな」
建物内はとても暗かった。
視界はほぼきかず、入り口だけが街灯の光を映して明るくなっている。
完璧な闇ではないのは、工事現場の常夜灯がわずかな光源となっているためだ。
耳を澄ませば人の足音が聞こえる。
「上の階に上がったようだな」
「ええ、急ぎましょう!」
ところどころ資材が置かれた床を避けつつ、階段を上がっていく。
十五階ほどを跨いだとき、ふいに外に出た。
ビル建築中だから中途半端にしか完成していないのだ。
影はすでに男の首を掴んでいる。
「ひっひぃ……!!!」
汗と涙で顔はぐしゃぐしゃだ。
そして何より影は本当に影だった。
真っ黒な靄が全身に纏わりついており、確実に常識の存在ではない。
――魔法使いか魔術師か。あるいは魔術の被造物か。
なんにせよ、〔幻影〕としてやるべきことは一つ。
オレは短刀を取り出し、水瀬は大鎌を顕現する。
「――貴方は人? それともアーティファクトかしら?」
水瀬の言葉に振り返る影。
真正面から見て初めてその全体像を知る。
「っ」
水瀬が鋭く息を呑む気配。
赤い目。鋭い牙。両手両足から伸びる爪。
鼻は削げ、顔から胸にかけての半分は抉れている。
人間であれば致命傷。
造形は醜悪極まっている。
それはオレと水瀬を無視すると男に喰らいつこうとする。
「させないわ!」
通用魔法の中でも最速の部類に入る風魔法が刃となって化け物の背中を抉った。
”グゥオオオオ……”
低いかすれた声音。
声帯の肉も半分ほど削げているため、大した声は出せないのだ。
「私がなるべく引き付けるわ。その間に八神くんはあの人を」
「了解」
水瀬は男を手放した化け物に駆ける。
真っすぐに突っ込んでくる彼女を最大の敵と認知したようだ。
鋭い爪と大鎌が弧を描き、衝突する。
敵の技量は大したことはない。
言葉通りに少しずつ戦場が移動していく。
意図的に彼女が退いているのだ。
オレは咳き込んでいる男に駆け寄ると身体の状態を確かめる。
息切れ、動悸、発汗、青ざめた顔。
左肩に傷はあるがわずかな出血量だ。
衰弱してはいるが致命傷ではない。
「立てるか?」
「う――」
危うく叫びそうになった男の口元を手で押さえる。
「静かにしろ。いいか。今はあの化け物の注意を彼女が引き付けている。だがもし目立つような行動をすれば再びお前は化け物の的だ。理解したなら一度だけ頷け」
泣きそうな表情ではあるが大きく頷く男。
「立てるか?」
「あ、脚が震えて……」
この建物の十五階まで登った疲労と恐怖から来る怯えが限界に来たのだろう。
「オレの身体に掴まれ」
「す、すまない……」
オレは自分の身体を支柱にして男を支える。
水瀬はすでに爪を全て削ぎ落としており、敵の最大の武器は牙程度。
油断はできないが、苦戦するほどの敵ではない。
一歩一歩、確実な前進を繰り返す。
「ふう……ふう……!」
ふと耳元で男の粗い息遣いが聞こえた。
「大丈夫か? あと少しで階段まで辿り着く――」
「あ、ああああ……あああああ!!」
男の皮膚がだんだんと爛れていく。
その中心は左肩の傷だ。
「嫌な予感がする……!」
オレは男をその場に落とすと上から圧し掛かり、押さえつける。
そのときにはもう男の瞳孔は開き切っていた。
手首の脈は動いていない。
――死んだ? だがなぜ?
あの程度の傷は軽傷の部類だ。
間違っても死ぬようなものではない。
だがそれ以外に原因は見つからない。
化け物に刺激を与えてしまう可能性もあるが、水瀬を失うわけにはいかない。
「水瀬、そいつの攻撃で傷を負うな! 何かがおかしい!」
水瀬の視線が一瞬オレを見る。
同時に彼女の顔が蒼白になる。
「八神くん……!!」
「っ……⁉」
それでオレは死んだ男の異常に気付いた。
うつ伏せで拘束しているのだから、当然男の顔は下を向いていなければならない。
だというのに首がありえない方向に回転し、オレを見ている。
いや正確には燃えるような深紅の目が睨んでいる。
次の瞬間にはオレは宙を舞っていた。
受け身を取って立て直すが男の拘束は外れてしまう。
「ありえない……死体が動く? そんな馬鹿な話があってたまるか……!」
顔と身体の向きが違う歪な死体。
その肌は浅黒く変色している。
ゆっくりとオレに向けて歩を進める。
オレは動きの鈍いうちに接近すると心臓を一突きにする。
人間ならば死は免れない急所。
”ア、アアアア……”
嘲笑うような歪な笑い声。
「化け物だな……!」
大振りの腕の一振りがオレを薙ぎ払おうとするが、それは短刀を手放して回避。
身体にひねりを加えた体術で男を蹴り飛ばす。
感触は人間のものより硬い。
死後硬直によるものだと推測する。
「斬っても死なないなら、原形をとどめない形での死――」
オレは男の胸に刺さった短刀を引き戻すと右腕と左腕を切り落とす。
いくら硬いと言っても結城から貰い受けた短刀・
即座に相手の胴体に渾身の掌底を叩きこむ。
強烈な手応えと同時に吹き飛ばされ、よろめく男。
――そこにはもう、足場などなかった。
音もなく落下する男。
上から見下ろした地上には両腕を失った歪な死体が転がっていた。
動かないところを見るとようやくあの男は死んだらしい。
「〔
背後から紺碧の魔力の微粒子が風に乗って流れてくる。
影の化け物はそのまま黒い極小の粒になって消えていく。
水瀬は制服のポケットから咄嗟に小瓶を取り出すとその一部を収めた。
「それは?」
「これは私が常備している採集用の小瓶アーティファクト。魔法や魔術で気になった物的痕跡があれば取っておけるの。準備はしておくものね」
水瀬はそれをしまうと大鎌も魔力に帰す。
「それにしても結局どういうことなのかしら? 最初は確かに彼はただの民間人だったはず。でも八神くんを押しのけあまつさえ襲ってくるなんて」
少なくともオレより魔法使い歴が長い彼女でも解き明かせない現象が起きているらしい。
不可解な出来事にオレも状況を整理できていない。
だが一つ、分かること。
「あの男はすでに傷を負っていた。何かされたんだとすればきっとあそこからだ」
「そうね。ひとまず遺体は事後処理部隊に任せて洋館に戻りましょう。今回のことはそれから」
放課後はこうして血生臭さときな臭さだけを残していった。
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