♰Chapter 32:不思議な少女

オレは水瀬と別れてから即座に少女を追っていた。

いや少女をというのは不正確だ。


オレは目撃者の容姿を知らない。

結城が言うままに、北東方向の交差点へひた走っているのだ。


人が多い。

この周辺は洒落た店が多く建ち並ぶ通りだ。

歩道は煉瓦タイルが敷き詰められ、クラシックな街路灯が道を照らす。


「あそこか――!」


走り続けて初めての大きな交差点。

結城の予知が正しければこの周辺に目撃者の少女がいる。


オレは周囲を観察する。

道行く人の中には確かに少女に該当する者はいる。

だが具体的な容姿を知らない以上、誰が目的の人物なのかを判別するのは困難だ。


そのとき、道の脇から周囲を警戒気味に出てくる少女を見つける。

落ち着いている風を装っているが、周囲に向ける視線の険が取れていない。


「十中八九、彼女だな」


吸血鬼の方は追ってきている気配がない。

水瀬が上手く抑え込んでいるらしい。


信号が青になるとすぐに人混みが動き出す。

彼女を見失わないように尾行する。


横断歩道を過ぎ、ある程度人がいて、なおかつ全く人がいないわけではない場所で声を掛ける。

下手に一対一で向かい合って警戒されるよりは一般人がいた方が都合がいい。


「待ってくれ」

「――!」


身体接触はしなかったものの、触れられたかのように俊敏な身のこなしで距離を取る少女。


「……誰?」


振り返った表情を見てオレは硬直した。

雑踏というフィルターが取り除かれた今、彼女の容姿ははっきりと見て取れる。


セミロングの黒髪。

桃色の瞳。

少女としてのあどけなさを纏いつつも、妙な大人っぽさも感じる。

恐らくオレよりもほんのわずかに年下だろうに不思議な感覚に陥る。


だがそれ以上に理解してしまった。

眼前の少女は連絡橋の上で真夜中に歩いていたというあの少女なのだ。

映像はピンボケではあったものの、雰囲気や大まかな外見は合致している。


――今は追及していられる状況じゃないな。


「……聞いてる?」


警戒のほかに少しの後ろめたさのような気配を感じる。

その様子から結城の言う目撃者も彼女で間違いないことを理解する。


口調から怖がらせないようにいつもよりやや柔らかめに発声する。


「ああ、悪い。オレは八神零。君には見られていたと思うが」


それを聞いて一目散に逃亡しようとした少女。

オレは手を取ることもなく二の言葉を紡ぐ。


「君を捕まえようってわけじゃない」


その言葉に駆けだし掛けていた足がゆっくりと止まる。


「……どういう、こと?」

「君に今、危険が迫っている。その危険から身を守る手助けをさせてほしい」

「……おにーさんのこと、信じられない。普通の人はあんなことしないし、普通の人なら私に追いつけるはずもない。それなのに今こうして私に声を掛けてる。すごく、異常なことよ?」

「それは理解しているつもりだ。今は全面的に信頼してほしいとも思わない。ただあの男に君を渡すわけにはいかないんだ」

「どうして?」


無垢な疑問。

どこまで話すべきか迷うが、ここは正直に話すことを決める。


「君は今、あの男――吸血鬼に追われている。なぜ追われているのかは知らないが捕まればいいことにはならないのは確実だ」


わずかに考えるような間があったが疑惑の感情のほうが上回ってしまっている。


「ふーん、それならやっぱりおにーさんのことも信頼することはできないね。だっておにーさんも変な力を持っているでしょ?」

「だがその力は君のために使う」


もたもたしている時間はない。

いくら水瀬でも彼女が持っているのは制限付きの固有魔法。

本来の守護者としての力の半分以下しか出せないのだ。


吸血鬼とはショッピングモールでもやりあったが、計り知れない異能を持っている。

固有魔法のような存在に加えて、吸血鬼特有とでも言うべき権能。


「っ」


――なんだ?


彼女の瞳が一瞬桃色から緋色に変わった気がした。

それからオレをしっかりと見据え、切羽詰まった顔をする。


「分かった。おにーさんのことをこの夜だけ、信じるよ。とりあえず走ろ!」


腕の裾を掴まれ、強引に駆け出す。

一人で逃げられるよりはましだが、その行動の理由が分からない。


「なぜ急にその気に?」

「いいから、はやく!」


背後に不穏な気配を感じたオレは振り返る。

そこには先程まで普通に歩いていた歩行者がいない。

代わりに人が人を喰らう凄惨な光景が広がっていた。


――屍食鬼。

それも一体や二体ではない。

視界に入るだけでも十を超えている。


流石のオレもあまりに唐突な地獄絵図に顔をしかめる。

同時に屍食鬼と距離があるのにその気配を察知した彼女にも疑問が浮かぶ。

上手く整理できずにどちらの疑問も含めた言葉が漏れる。


「どういう、ことだ……?」

「私も知らないってば! でもなんとなく怪物たちがどこにいるのかは分かる!」


彼女は屍食鬼が引き起こしている惨状についての疑問だと捉えたらしい。


人が多いことが災いしたか。

あるいは身代わりがいることが吉と出たか。

オレたちの進路を塞ぐ屍食鬼がいない一方で方々から上がる悲鳴と混乱の声。


「ねえ、おにーさん! おにーさんの知ってる安全な場所ってどこ⁉」


オレが瞬時に思い出したのは水瀬の洋館だ。

あそこは結界に囲われ、トラップも豊富。

だが圧倒的に距離が遠い。


ここからだと公共交通機関を利用しないと馬鹿にならない時間を要する。

駅までは距離もあるうえに、到着したところで電車がすぐ来るとは限らない。

この騒動が拡大しているのならそもそもとっくに交通網は麻痺してしまっているかもしれない。


候補地を絞っていく。

するとある場所が思い浮かんだ。

まったくもって不本意かつありえないくらいに敵地だった場所。


「ここから少し先にサンセットモールというショッピングモールがある。そこに屍食鬼がいなければ一時的な安全地帯になるかもしれない」


一瞬瞳孔が大きくなったのを見逃さない。

彼女は何事もなかったかのように言葉を返す。


「でもモールって……人が多く集まる場所ってことはもう襲われてるってことじゃ――」


彼女が急停止したことでオレも止まる。


進路上の道路に複数の人影がある。

だがいずれもただの人間とはかけ離れた、赤い瞳をしている。

そして身体のどこかしらから血液を零している。

間違いなく致命傷だ。


背後からも追いかけてくる異常な人影がある。

こちらはまだ距離があるがもたもたしている暇はない。


「……おにーさん、戦えるんだよね?」

「命の危機に迫られたなら、たとえ一般人の前でも武器は振るう」

「私のこと、一般人だと思ってるんだ?」


その一言の意味を問いただす前に、前方の屍食鬼が駆け寄ってくる。

距離が縮まるにつれてだんだんと詳細な容姿が分かってくる。


血に浸された衣服。

歪な走り方。

壊死したようにくすんだ黒色に染まった肌。

人間としての知性も品性も保たれていない。


「前は私がやる」

「前って――」


それは全て自分でやると言っているのと同じだ。

後方の人影は百メートル以上の距離がある。


彼女の大きな深呼吸。

わずかに魔力の起こりを感じ取る。


「――おじさん、おばさんが誰かは知らないけど……ごめんね!」


屍食鬼の腕が振り上げられる。

あるいは一人の少女を捕まえて噛みつこうとする。


――その肉体が瞬時に細切れになる。


後から寄ってきた屍食鬼は灰になって消える同類を訝し気に見つめている。

もしかすると獣以下の知能は残っているのかもしれない。


「来ないなら私から行くね」


一歩踏み出すと屍食鬼は飛び掛かってくる。

それを今度は両断した。


オレの目に映ったのは彼女に触れる瞬間、刻まれる屍食鬼の姿。

よく見れば彼女の人差し指からは少量の血が流れている。

それが極限まで薄く細く引き伸ばされ、鋼糸のようになっているのだ。


視認しづら過ぎて、近寄った途端に細切れになったように見えている。


「おにーさんは大丈夫?」

「ああ、オレは――伏せろ!!」

「え――?」


建物と建物の隙間――路地裏から異常な速度を持つ屍食鬼の一体が彼女に飛び掛かる。

だがその牙が彼女の肌に到達するより早く、オレの短刀が頭部を切り裂いた。

粘っこい音を立てて崩れ落ち、灰になって消えていく。


時折混じっているという強い屍食鬼のうちの一体だろう。


「見ず知らずのオレの心配をしてくれるのはありがたいが、自分の身を最優先に守ってくれ」


桃色の瞳がオレを見て呆けている。


「……平気か?」

「……あ、うん。守ってくれてありがとう」

「礼は受け取るが、とりあえず走れ!」


後方から屍食鬼数体が距離を詰めてきている。

オレと少女は結局、オレの案であるサンセットモールへ向かうことにする。

途中で屍食鬼をできうる限り処分し、倒しきれなかった追っ手を撒くことも忘れない。

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