♰Chapter 21:屍食鬼の出現と助力
一般人が逃げ惑うなか、合計三体の奇形の”人間”が暴れていた。
一つは、首元が異常に肥大化したもの。
一つは、手足が異常に細長いもの。
一つは、首元が肥大化したものにおぶさった眼だけが異常に大きくなったもの。
およそ普通の人間の定義に当てはまらないような醜悪な容姿だ。
どう見たとしても”屍食鬼”であることに間違いはない。
それでも辛うじて”人間”の面影を見たのはピアスや衣服の端切れのようなものが付いているからだ。
繁華街に路駐していた車両はことごとく天蓋に穴が開くか、横転している。
方々から出火しているところを見ると被害は徐々に拡大しつつあるようだ。
「琴坂の暗示の有効範囲と有効時間は?」
「目線が合うこと。人によるけど十五分くらいしかもたない」
それなら逃げ惑う人々に一斉に暗示をかけることは不可能だ。
屋内とは違って屋外では琴坂に注目を向かせることは難しい。
ましてすでに恐慌状態になりつつあるのだ。
「――でも、わたしの唄なら声の届く範囲全てに効果がある。恐怖と戸惑いを理性で押し返すことができる。でもその間は八神くんに援護できないから……一人で戦ってもらわないといけない」
「民間人の避難が終わるまでは自力で何とかする。琴坂は琴坂にしかできないことを頼む」
「……分かった。精一杯唄うから――」
彼女は石畳が敷かれた十字路を歩んでいく。
その中央で静かに瞳を瞑った。
やがて。
「――
美しい旋律が混乱の中に響き始める。
静謐でありながら夢のような穏やかさのある歌唱。
ドイツの作曲家・シューベルトによる曲をアレンジしている。
火炎と血肉に荒れる繁華街が彼女の唄によって柔らかく包まれていく。
混乱は秩序に、興奮は冷静に。
あえてふんわりとした曲調を選択したのは人々に安定を与えるためだろう。
「……オレに割く援護がないと言っていたがそれは謙遜だな」
オレ自身にも心のゆとりと今まで以上の冷静さが生まれている。
屍食鬼はといえば声にならない悲鳴を上げながら三匹とも琴坂に駆けていく。
一目散であるところを見るに敵を誘引する効果もあるのかもしれない。
「行かせるか!」
基礎土魔法による簡易な石壁を作り上げると憎々しげにこちらにターゲットが移る。
”じぃぃ……!”
「”屍者”――中でも会話ができない”屍食鬼”で間違いないな」
早々に意思疎通を諦める。
手足がやたら細い屍食鬼が鞭のようにしならせた攻撃を仕掛けてくる。
動きは緩慢だが加速がすさまじいため、衝撃で石畳が粉砕されている。
「鞭の原理が通用するなら慣性を付ける手前――接近戦で片付けるべき」
両腕を武器にした鞭は接近戦を挑もうとするオレの進路を阻むように繰り出される。
その度に軌道調整を余儀なくされるが問題はない。
二本躱したあとは引き戻すだけの時間がかかるのだから。
滑り込むようにして股下を左右に一閃。
もともとバランスの悪かった屍食鬼は崩れるように地面に倒れた。
心臓を貫こうとして、目標を変える。
――こいつはオレが出会った最初の屍食鬼と同じ存在だ。恐らく心臓を貫いても死なない。
だからといって悠長に急所を探り当てる猶予もない。
試すにしてもこの一回のみ。
容赦なく頭部に短刀を埋め込む。
痙攣したようにびくびくと痙攣してから灰になる死体。
読みは当たりだ。
心臓を破壊しても止まらないのなら頭部を破壊して運動命令を止めてしまえばよい。
「一体目……!」
唄い続けている琴坂の献身で、民間人の避難は終わりつつある。
彼女の視線はいつしかオレに向けられている。
「残りの二体は奇妙だな」
先程の個体とは異なり、ぴったりと寄り添うようにくっついているのだ。
でっぷりと太った個体と目だけが大きく肥大した個体。
仲間意識はないのか、消えた個体に焦る様子はない。
”――ア”
「……あ?」
”アイシテル”
”ワ……タシ、モ”
残りの二匹は人語らしき片言を話した。
だがその意味は理解しがたい。
――この二体はさっきの奴とは違うのか……?
”アアア!!!”
油断なく動きを見定めていると不意に大きい目の個体が大声を上げる。
過敏になっていた知覚がすぐに大目玉の屍食鬼へ焦点を合わせる。
その瞬間、それはにやりと笑った。
大目玉からの瞬間的な赤い閃光。
「な……⁉」
水晶体を通って網膜に映される像。
それが脳に伝達されるとオレは一歩も動くことができなくなっていた。
指先の一本、視線の一本すら動かすことができない。
筋肉という筋肉の動きが抑制されている。
――それだけじゃない。
呼吸すら止まっている。
身体機能や内臓機能がことごとく停止間近だ。
”ミテ、ウゴカナクナッタ”
”ホントダ。タベヤスクナッタ”
”アハハ、エライ?”
”スゴクエライ”
不格好な化け物が気色悪い声を上げながら近寄ってくる。
「――
「っはあ……はあっ……く……!」
オレは身体の硬直が解けるとすぐにその場から回避する。
先程までオレがいた場所には巨体が倒れ込んでいた。
”アレレ。ウゴケテルヨ?”
”オカシイナ?”
琴坂はいつの間にかオレの隣りに来ていた。
「……避難誘導は終わったよ。思ったより特殊な個体に当たったみたい、だね」
「そう……だな」
わずかな間とはいえ、内臓の動きすら止められていたのだ。
その負担が溢れんばかりに身体を傷付けている。
「ここからはわたしも八神くんのサポートに徹するから。しゃがんで」
オレは言われるままに片膝をつく。
その気配に屍食鬼は何やら焦り出す。
”ナニカシテルヨ!”
”ナントカシナイト!”
大地を砕きながら突貫してくる様子はもはや質量武器だ。
まともに体当たりを受ければ肉片になることは想像に難くない。
「
白銀の魔法陣が展開され、オレの周囲に眩いほどの魔力残滓が浮遊する。
「
オレの髪が掻き分けられ、そっと触れる彼女の細指。
敵はもう間近に迫っている。
「――さあ、行って!」
オレは即座に跳躍する。
「嘘、だろ……!」
軽く跳躍したつもりが五メートル近くは跳んでいる。
身体強化の域を超えてこれはもはや飛翔の域だ。
琴坂は即座に魔法障壁の歌唱を始めた。
ターゲットが頭上高く舞い上がったことで、屍食鬼は標的を彼女に変更。
派手な衝突音が響き、彼女の盾が揺らぐ。
何度も何度も何度も。
狂戦士のようにひたすらに盾を殴り続ける屍食鬼。
だが彼女の顔には一切の焦りがない。
「オレのことも認識しているのか」
巨体の背中がぼこぼこと泡立ち始める。
そこから先端が刃のように尖った無数の触手が伸ばされる。
一本――二本――三本――……。
唄には知覚を拡張する効果もあるらしい。
超高速で射出される敵の攻撃を危なげなく認識し、回避・迎撃することができる。
”オオオ!”
大目玉の屍食鬼は再び身動きを封じる光を発する。
「――同じ手は通用しない」
先程こいつはわざわざ大声を上げて視線を誘導した。
その理由はきっと直接相手と視線が合わないと意味のない異能だから。
視界を腕で覆い直視を避ける。
”イヤダ! イヤダイヤダイヤダ!!!”
「セアッ!」
落下の慣性を利用し、首に巻き付いていた瞳の大きい屍食鬼に短刀をねじ込んだ。
”アアアアア!!!!?”
”ドウシタ⁉”
脊髄部分に深く食い込んだ刃は間違いなく致命傷だった。
力なく垂れ下がり、灰になって消える。
”オイ! オイ!”
残された首の太い屍食鬼が何度も呼び掛けるが返事はない。
オレは返り血を浴びつつも最後の一体にも深くねじ込んだ。
”グゥ……!”
その巨体に踏みつぶされないように距離を取る。
刺し傷は確実に脊髄に到達しているが動きは止まらない。
爛々と光る眼は死んでいない。
”イトシイキミヲ……コロシタ。ユルサナイ! ヺエエエエエ!”
屍食鬼が丸い体躯をさらに丸めている。
――いや違う。
内側から膨張しているのだ。
肌が限界まで伸び、毛細血管の端まで鮮明に見える。
体長はすでに五メートルを超し、それでもまだ大きくなっている。
「触れば爆発、触らなくても爆発だな……」
いくら能力が拡張されているとはいえ、オレの力は破壊するためのもの。
破壊せずに眼前の化け物をどうにかする方法は持ち合わせていない。
琴坂は歌唱を止めると動けなくなった屍食鬼に手を添える。
「どうにかできるのか?」
「……大丈夫。これはわたしが何とかするから……!」
再度の白銀の魔法陣が展開される。
”ぐ、ううううぅ”
「……強力な、怨嗟の塊だ。でも解呪できないことは、ない……!」
”グアアアアア……!!”
巨体はすでに十メートルに迫ろうとしている。
限界まで引き伸ばされた黒ずんだ肌に血管が浮き出ている。
そしてこの先の展開を暗示するように明滅を繰り返している。
もはや一刻の猶予もない。
琴坂はただそっと二言。
「あなたの痛み、辛さ、苦しみ、無念をいま楽にしてあげるね。だから――おやすみ――」
”ア――……”
自然消滅していく屍食鬼。
塵すら残さず消えたのは彼女から敵への恩情か。
「……終わったね」
「ああ、終わったな」
オレの疲労は完全に消えている。
琴坂の唄とやらは恐ろしいほどに強力なようだ。
繁華街の延焼もすでに鎮火の方向に向きつつある。
放っておいても数分で火は消えることだろう。
ふとオレは気になっていたことを尋ねる。
「屍食鬼に対するオレの戦闘はどうだった? 気兼ねなく事実を言ってほしい」
その言葉にふいっと視線を向けた琴坂。
「……期待していたよりは、よかった。でもやっぱりまだ魔法使いやそれに類するものとは戦い慣れていない感じもした。例えば……魔力の流れ。大きな目の屍食鬼は魔力回路が集中的に視野部に構築されていた。魔法に慣れていたならある程度予測はできるはず」
「なるほどな……」
彼女の指摘はもっともだ。
オレはまだ魔力の流れを完全に読めるわけではない。
ぼんやりと魔力の存在を感じるというその曖昧な感覚だけだ。
対して彼女は精密に敵の武器がどこか、どんな危険があるのかを推測していた。
今後の課題だな。
「ふた月が経っても一向に魔法の奥は見透かせないな」
「そうでもないよ。筋はいいし、八神くんが二回の大きな任務で生き残ってこれたことにも納得した」
それから静寂が戻った十字路の中心でわずかに微笑む。
「これからも一緒になることはあると思う。だから、その時はよろしくね」
「ああ、こちらこそだ」
〔絶唱〕の守護者・琴坂律との共同任務はここに終了したのだった。
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