第20話 太陽フレア

「魔道士様、衛星通信が途切れるのはエウリュノメーのフレアのせいかしら」


 的射は言うことを聞かない情報管理室のPCを前に頬を膨らませている。あの盆踊り事件から5日経つが、まだパースケは不測の事態に対処するため社内におり、手持ち無沙汰なのか社内PCのメンテナンス等を引き受けてくれていた。


 彼は頭の中がファンタジー妄想天国のおっちょこちょいだが、『魔道士様』と呼んでおだてると、上機嫌で時計の修理や壁紙の張り替えなど守備範囲外の雑事までやってくれるため社員達も重宝している。見かけによらず仕事もきっちりしているので、社内のあちこちから便利屋としてひっぱりだこであった。


「先ほどの大きいフレアの影響が出始めてるんですかね、明日から明後日にかけて規模の大きいプラズマ風が来る予報なんですが、今回直撃コースの可能性があるんですよね」


 パースケは的射のPCにブツブツとつぶやきながら、作業をしている。


「メンブレンは太陽フレアの影響に対してやや脆弱です。停電や電子機器の故障、無線が使えなくなる可能性があるので、念のために、データーのバックアップを取って、必要なところはケーブルでつないでおきましょう」


 ラブリュスを衛星として従えているのはヘーパイストスだが、そのヘーパイストスは惑星として恒星エウリュノメーを回っている。ラブリュスで太陽と言えばすなわちこのエウリュノメーの事をさすのである。

 ギリシャ神話では雷と火山の神ヘーパイストスの父は、ゼウスであったが、すでに星の名前として使われていたため、この太陽は、捨てられたヘーパイストスを助けた女神二人のうちの一人エウリュノメーと名付けられていた。

 このエウリュノメーは神話と違い結構なかんしゃく持ちでしばしば大きなフレアを吹き上げ、ラブリュスを混乱に陥らせる。人工衛星の故障、GPSの誤差増大、身近なところでは、停電やコンピューターどうしの無線通信の障害を起こすのである。


「それは気になるわね。ロボット達も、社内のコンピューターもみな無線通信だから。順平、聞こえますか?」


 しゃべりながら、ふと思いついたのか的射はブレスレット端末で順平を呼び出す。


「せんせー、何ですか? 今ちょっと忙しいんですけど」


 うるさそうな順平の声に的射は頬を膨らませる。


「今から、職場巡視に回るわ。忙しければ来なくていいの、パースケと回るから」


「先生、僕も行き――」


 ブレスレットから庶務課長の叫び声がするが、的射は聞こえないふりで通信を切った。


「どうも順平は私を子供扱いしているわ。一人じゃ危なっかしいと思っているのかしら。巡視くらい一人でできるわよ。太陽フレアの対応にも詳しそうなパースケ君も一緒だし」


 パースケは、自信満々で先を歩く的射の後をひょこひょこと追いながら話しかける。


「いや、順平は先生の事を心配してるんですよ、また天井が落ちてこないかってね」

「見くびらないでね、私はこう見えて運動神経の塊なの」


 的射はやや低めの鼻を天井に向けて、得意げに膨らませた。


「勇敢だなあ、先生は」


 古風な厚い眼鏡の青年はため息を漏らした。


「僕は先生の事、尊敬しているんですよ。この前の盆踊り事件の時も、先生の最強消毒呪文disinfection PWがなければ、大変なことになってたし。先生のおかげで汚染プログラムはわずかな痕跡だけ残して完全に排除されていましたが、先生がいなかったらと思うとぞっとします」

「どうしてそんなことになったのか、心当たりがあるんじゃ無いの?」


 後ろから追いながらパースケは目を見張る。


「先生には隠し事はできないなあ。実は回線につないだまんま寝落ちしちゃいまして」

「きっとその隙にイントラネットから何かが感染したのね」

「先生はパスワードリカバリーとか、マルウェアの排除に詳しいんですね、どこで――」

「魔道士様、そこからは企業秘密ゆえご勘弁を」 


 的射は後ろを向いてニヤリと笑って見せた。





 パースケを引き連れた的射がまず訪れたのは庶務課だった。


「今から職場巡視をします、皆さんは気にされずにお仕事を続け――」


 ドアを開けた的射はそこで言葉を失う。

 床には接続されたケーブルが散乱していた。


「し、しまった、巡視の最初はここからだったか」


 隠そうとしていたのか、引き抜いたケーブルを手に持った順平は、ばつが悪そうに顔をしかめる。


「ここはメデューサの頭の上かしら、安全管理者さん?」


 的射がちらん、と立ちすくんでいる順平を見て、ほくそ笑んだ。

 いつも保護者のような顔をして的射をいさめる順平が、ケーブルを持ってうろたえている姿を的射は勝ち誇ったように眺めている。


「これはどういうことですか、順平? 普通に歩いていても机と机の間の通路まではみ出したケーブルで足を取られそう、危ないわあ」

「ですね。低重力下ではケーブルが浮き上がりやすいですから、足に引っかかりやすくて、さ、ら、に、危険性は高くなりますねえ」


 尻馬に乗って付け加えたパースケは、順平が目をつり上げて自分をにらみつけたのに気がついて首をすくめた。


「そんなことを言われても太陽風に乗ったプラズマによる障害が予測されているんだから、仕方ないでしょう。こういう危険物を扱う工場内では通信が途絶えたら、事故につながる可能性があるんです。リスクがあるときには確実なケーブルでつないでおかないと――」

「天井にケーブルを這わすとか、もっとまとめてテープで縛って床に固定しておくとか、やり方があるんじゃないかしら」


 と、言った後で、的射は天井を見上げる。重力が低く、人間が飛び上がりやすいため、偽ルナの天井は高く設計されておりケーブルの長さが足りそうにない。

 それなら、床。

 しかし、壁際から室内の通路ギリギリまで荷物が積み上げられており、この量では例えケーブルをまとめても、机と机の間の細い通路の半分以上をケーブルが占めてしまう。今回はこれでしのぐしか方法はなさそうだが、この環境は早急に改善しなければ。

 的射は両手を腰に当てて、大げさに頭を振ってため息をつく。


「以前の職場巡視の時にも言いましたよね、順平。この積み上がっている荷物をなんとかしなさいって。ラブリュスの地下にはマグマがあって、時々地震だってあるんだから、倒れてきたら危ないわ。作業環境管理の視点から見ても問題よ」

「すみません、ついつい忙しくて」


 的射先生あなた諸々もろもろにふりまわされて――、とは言えず、腰をかがめた順平は、威嚇のつもりか頬を膨らませて唇を尖らせている少女産業医を渋い顔で見る。


「まさか安全管理者の順平の本拠地がこの体たらくだとはね、全く灯台もと暗しとはこのことだわ」


 的射はわざとらしく大きくため息をつく。


「以前から思っていたんですけど、庶務課が一番雑然としているわね。この状態はほこりっぽいし、健康にも安全にも良くありません。フレアの影響が過ぎ去ったら」

「去ったら?」


 恐る恐る順平がたずねる。


「庶務課管轄の倉庫をきれいに片付けてスペースを空けて、この部屋の中に積み上がっている荷物を整理して入れてもらえませんか。いいこと、聖域なしでね」

「聖域なしでねーー」


 的射の後ろでパースケが人差し指を立てて振りながら、癇にさわる高い声で復唱した。


「あいつ、絶対に許さん」順平がつぶやいた。

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