第6話 特殊溶接部
的射と順平が部屋に入ると白い作業服に防護マスク、簡単なフェイスガードの上から分厚い銀色のアイガードを付けた灰色の髪の男が振り向いた。
周囲には溶接による白い光が点滅し、白い煙が湧き上がる。かなり離れた場所にも防護マスクのフィルターを通して独特の臭いが漂ってきた。
的射は部屋の壁に目を走らせる。小さな換気扇が一つ付いただけで、部屋は薄く霞がかかったように煙が漂っている。
「馬鹿野郎。ここに子供を連れてくるなんて、どんな了見だ」
深い皺をゆがませて、いかにもたたき上げといった感じの男が怒鳴る。
「さっさと出て行きやが――」
「産業医の先生です、半蔵さん。職場巡視です」
順平は汗をだらだら流しながら紹介する。この暑さは、備え付けの簡易防護服程度ではとても抑えきれていない。
「え、医者ぁ? このお嬢ちゃんが?」
半蔵と呼ばれた男が今度は大きく眉をゆがませる。今まで産業医の巡視なんて形ばかりでほぼサインのみだったのだろう、実際に巡視があるなんて思ってもみなかったようだ。
「お嬢ちゃんじゃありません。私はここに仕事で来たんです」
アイガードごしでもわかるほど眉をつり上げて、的射は天井の排気口や、溶接作業員の姿を見ている。
「おい、順平。とっととこいつを追い出せ。ここの現場監督は俺だ」
「ちょっと、何するの?」
順平は、的射の背に手を回して、強制的に部屋の外に連れ出そうとする。
「せんせー、親父さんは悪い人じゃないんです。あの人がああ言うのなら、マジであなたはもう外に出なきゃ」
的射は首を捻って後ろを向くと肩越しに叫んだ。
「待ちなさい、ええと半蔵さん。巡視拒否するなら、社長にこの部署の作業中止を提言しますよ。ちゃんと作業環境測定はしているの? こんないいかげんな換気扇だけで充分な換気もしないようなこんな環境、病気になります。それはあなたが一番良くわかってますよね」
「出せ」
順平は的射を無理矢理部屋の外に引きずり出す。続いて半蔵も部屋の外に出てきた。
防護服を脱いだ的射がピンク色のスーツ姿になったのを見て半蔵は眉をひそめる。
「ふん、医者なら医者らしく白衣でも着なよ」
「産業医の仕事は、治療ではなくて、働く人の心身の健康を守り、そして職場環境の医学的改善です。医師用チュニックを着るとどうしても、治療を施す側とうける側の意識になってしまって、相手に無言の圧力を感じさせてしまいます。共に改善していく仲間である人々にそのような感情を呼び起こさせるのは本意ではありません」
「で、そういう格好というわけか」
お世辞にも高性能とは言いがたいフェイスマスクを外すと、半蔵は廊下に設置された長椅子にどっかりと腰掛けて、的射にも座るように勧めた。
「それにしても、先生よく解ってるな」
深い皺が刻まれた額と頬、茶色く焼けた肌。
「低重力下では金属ヒュームがなおさら拡散しやすいんです。金属ヒュームは肺に蓄積して危険です。このような環境では肺がやられてしまいます」
堰を切ったように話し出す孫のような年齢の少女を見て、半蔵は肩をすくめた。
「ふん、俺たちの世界じゃ、咳がでてからが一人前って言われてんだ」
「何ですか、その前時代的な妄言は」
的射の目がさらにつり上がる。
「地球時代でも聞かない言葉よ、あなた達は古代人なのっ?」
半蔵はアイガードを外して、不機嫌な顔で額の汗を拭う。
「このくそ熱い中で、これ以上厚いマスクなんてごめんだね。それに溶接現場にクーラーの風を入れるわけにはいかないんだ、強い風が当たるとガスが飛んで溶接の状態が悪くなるからな」
「最近は薄めで高性能のマスクも沢山あります。それにこの40度を超える温度は冷却装置付き防護服の適応でしょう」
「そりゃ、俺たちだって涼しい場所で綺麗な空気を吸って仕事をしたいさ。でもね嬢ちゃん、この辺境に特殊マスクを運んでくるだけでもコストが相当かかるんだよ。なんでも潤沢にある中央と一緒にしてもらっちゃあ困る。中央の常識を、辺境でふりかざされては迷惑なんだ。辺境の小さな工場を転々として、俺たちはこのやり方でたたき上げられてきたんだしな。辺境には辺境のやり方ってもんがあるんだ」
的射はちらりと助けを求めるように順平を見る。だが彼は肩をすくめるのみ。誰が相手でも説得に応じる相手ではなさそうだった。
的射は小さくため息をついて、いかにも頑固職人という風貌の親父に向き直った。強い光源から目を守る銀色のアイガードの上からはよくわからなかったが、半蔵という名前からは想像もできない青い瞳が皺の間からまっすぐに的射を見ている。
「技能を持った人たちは、会社の宝です。じん肺で失うわけにはいきません。作業環境測定の結果を確認して、できるだけ高性能な防塵マスクを買ってもらえるようにしましょう」
「理想論だな。期待しないで待ってるよ」
薄笑いを残して、半蔵は片手を上げて煙たい室内に戻っていった。
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