第5話 職場巡視
社長室を出て、最初のこじんまりした応接室に戻った的射は、刺すような目で順平を見つめた。柔らかそうな桜色の頬がさらに膨れている。
「協会からは病気で、って聞いていました。状況が変ったのなら教えていただかないと」
明らかに語調に険がある。
「いや、警察の調べでは故意の事故のようで、どうやらご自分でロボットの中に飛び込んだみたいなんです。で、マニピュレーターのエンドエフェクタに掴まれて、作業台に挟まってしまって」
怪訝な顔で見返す的射に気がつき、慌てて順平は言葉を付け足す。
「マニピュレーターは操作を行うロボットのアームの事です。エンドエフェクタは仕事をする先端部、『手先』という言葉が近いでしょうか。飛び込んだ時に、エンドエフェクタが反応してしまったんです」
「飛び込んだ……飛び込めたんですか?」
眉間に皺を寄せて、少女産業医は首をかしげる。
「危険なロボットはその稼働時には近づけないように、柵で囲うなどの対策をしているはずです。戸が開いたと同時にロボットが止るような仕組みもあるはず。違いますか?」
「柵はね、あったんですけど」
新任安全管理者の青年は口ごもった。
「重力が低いでしょ、だから柵の上から入ることが常態化してしまっていて――」
「それって、飛び越えられたってこと? 柵の意味がないじゃないですか」
的射の目がまん丸くなり、順平を見返す。赤毛の青年は返す言葉もなく肩をすぼめた。
「で、安全衛生委員会で、この事故に対して協議し現場にその結果のフィードバックは行われたんですか? 議事録が残っているはずですよね」
「あ、そ、それが」
青年の目が泳ぐ。
「なんせ辺境の中小企業なんで、今までろくな査察もなくて。で、先生があんなことになって警察沙汰の大騒ぎで、まだ安全衛生委員会どころじゃなくて――」
「警察の取り調べと労働基準監督署の査察が入って安全衛生委員会の議事録の提出を求められて、記録してないことが露呈した。ついでに引き継ぎの産業医も依頼していないこともばれて、操業許可を取り消されそうになって慌てて産業医派遣協会に泣きついた、ってわけね」
人差し指を順平の鼻先に突き出して、的射は詰問する。
顔はまだ初等科の生徒なのに、貫禄は前産業医よりもある様な気がする。タジタジになって後藤は身体をすくめた。
的射は狼狽する順平を見て、目を三日月のように細めてにっこり笑った。しかし、順平は目の奥に沸いているマグマに気がついて、顔を引きつらせる。
「別に順平に怒っている訳ではありません。でも、私が来たからにはきっちり仕事をやらせていただきます。産業医の仕事は、仕事に従事するすべての方の安全と健康を守ることです」
的射の目がきらん、と鋭い光を発した。
思わず順平はごくりと唾を飲む。
「さっそく今から抜き打ちで危ない場所がないか職場巡視をしますからこの工場を案内してください」
「え? 今からですか?」
「もちろんです」
聞く耳を持たないとばかりに、的射は大きくうなずいた。
「そして、明日さっそく安全衛生委員会招集です。前任産業医の事故の状況をまとめて、明日提出してください。安全衛生委員会は形式的な儀式ではありません、再発を防げるようにしっかりこの件について討議することにしましょう」
有無を言わさぬ口調で言うと的射は不敵な笑みを浮かべた。少女の頬に浮かぶ、くっきりとしたえくぼ。しかしそれは、彼女の迫力に飲まれてしまっている順平にとって、不気味なクレーターのようにしか見えない。
偽ルナに点在するクレーターには小さくても深いものがあり、時々ローバーがハマりこんで大騒ぎになる。順平の頭の中では、的射の顔に浮かんだクレーターにはまりこんでいるローバーは他ならぬ自分の顔をしていた。
さすが産業医協会がこのきな臭い現場に送ってきただけある、相当手強そうだ。順平はため息をついた。
「まずは第一工場です」
先ほど門のところで見たトレーラーの荷台がスライドして、大量の四角い塊を搬入口に下ろす。
クローラーで床を滑るようにやってきた数台の検閲ロボットが長方形の目から青い光で照らしながら検品を行う、大きすぎるものは別のコンベアに乗せられ、うなりを上げる機械の中に消えていった。その後彼らは自分の身体の三倍はありそうな塊を次々に黒いコンテナに運び込んだ。
「このアイギスって鉱物、すごく重い鉱物だったわよね」
「はい。でも、地球では300キロの物体でもここでは50キロの重さで持ち上げられますから」
巨石を軽々と持ち上げる搬送用ロボットの仕事ぶりに的射の口が半開きになっている。
「で、この奥からは特殊なバイザーが必要です。万が一溶鉱炉の光が直接目に入ると目が焼けちゃいますからね。溶鉱炉内はセンサーが張り巡らされすべてAIが管理しています。追加する材料の種類などを指示してくるのも彼らです。」
厳重にロックされた扉を空けると部屋が二つに区画されていて、超強化ガラスで境された奥の部屋では、先ほどの鉱物がロボットによって、大きな溶鉱炉に放り込まれていく。溶鉱炉の中はまるで地獄の釜、溶かされて紅蓮に染まった金属が生き物のように激しく踊っている。
溶かされた鉱石は精錬されて純度の高い金属に変えられると炉を出て半円形の透明なチューブでできたいくつかのレーンに別れて流れていく。粘性のある液体と化した鉱物は、ロボットの操作する金型で自動的に成形が行われ、ベルトコンベアに乗って別な場所に運ばれていった。
レーンの中には、他の鉱物も混ぜて合成金属にするレーンもあり、そこでは低重力という特殊環境を利用して地上よりも精度の高い合成金属にする工程が行われていた。
何レーンも同時に動いていく壮観な光景。これを可能にしているのは、周りに配置された何台もの産業用ロボットであった。目を様々な色に光らせながらお互いに連携を取り、コンテナの微調整をしたり、人が触ることのできないこぼれた金属の液体を素早く処理したりしている。
ここら辺になると人間らしき姿が見られるが、せいぜい一部屋に一人、二人。彼らは手持ち無沙汰にボンヤリとロボット達を眺めていた。
「見事だわ、このライン。ロボットの動きも滑らかね」
「お金がないので、AIのプログラムは社長のお手製です。見かけによらず、こいつらいい仕事をするんですよ」
棒状になった金属が運ばれた場所では、格子の入った柵の中で機械が何本もの細いマニピュレーターをちょこまかと動かしながら火花を散らして細かい成型を行っていた。柵の高さは約4メートル。柵の回りを大きな目に蛇腹の動体を持ったパトロールAIが数台うろうろしていた。彼らは、高いところにはキリンが首を伸ばすようにその蛇腹を伸ばして隅々までのぞき込んでいた。
「パトロールは24時間ずっとなの?」
「ええ。その現場の管理AIが止めることがなければずっと」
「管理AI?」
「ええ、この工場の各部署を管理するプログラムをされた人型AI達です。実際に仕事をするロボットは彼らの命令で動きます。管理AIの上には総括AIがいて全体的な稼働状況を管理しているんですが、奴ら最近、人間様より文句が多くて困っているんですよ。二言目には上から目線で『私の助言は、あなたがた人間のためなんですよ』と、来やがる。全く大きなお世話ですよ」
珍しく順平が罵り声を上げる。
「でも、言うことが正しければこちらも聞く耳をもたないといけないわよね。人間はコミュニケーションを大切にする生き物だから、AIの口の利き方を柔らかくするようにプログラムを変えてもらえば?」
「社長に頼んでいるんですが、プログラムの一部が自動進化してしまってうまくいかないようです」
「はあ?」
的射の目が大きく見開かれ、口が半開きになる。
「冗談じゃないわ、うまく制御できないのは危険よ。さっさとトラブルシューティング専門の外注に出して直して貰ったらどうなの。フェイルセーフの処置だけは確実にしておかないと」
「利益を出すために、省ける無駄はできるだけ省いてるんです。外注は経理が許さないんですよ」
この下りはどこでもよくある話なのか、的射は噛みつかずに小さなため息をついた。
「あとで話し合いましょう。えっ、とここは」
先ほどまでの無骨な金属の塊ではなく、いかにも何かの部品といった複雑な形に成型された金属が、ロボットによって扉から運び出されていく。
さっきまで広い工場内でちらほらとしか居なかった人間が、ここには数人忙しそうに
「ここは特殊溶接部。機械には任せられない極秘部分の溶接をしています。ま、人の手による溶接は機械と違って設備投資も要らないから安上がりだし、人間のほうが臨機応変に対応できて仕事の質がいいんです。それに機械溶接の方法をプログラミング化するとどうしてもハッキングなどで機密が漏れてしまうので、人間がやっているんです――、表向きの理由はね」
「表向き?」
「総括AIの野郎がですね、溶接の時に出る金属の蒸気が凝固したヒュームが吸着すると機械が悪くなるからここは人間がやれって」
「はあ、あ?」
思わず的射から間が抜けた声が漏れる。
「馬鹿馬鹿しい。本末転倒でしょ、それって」
産業用ロボットが発展してきた背景の一つに人間が行うと危ない仕事の肩代わりがある。しかし、精密なロボットは壊れやすいから、代わりに人間がやるとは。
言葉を失った的射。
しかも。
出入りする男達が付けているのは、アーク光から目を守るアイガードの他にはおざなりな防護マスクと作業服のみ。
「入るわ、ここの部屋。今から巡視します」
「先生っ、この部屋半端なく熱いんです。先生にあう作業衣はないし、ましてやその小さなお顔にあう特殊マスクなんて用意して――」
的射は手に持った茶色の鞄から最新式のフィルターの着いた特殊なフェイスマスクと、温度調節装置付き防護服を取り出した。最終戦争でも使えそうな本格的な仕様である。彼女は手慣れた様子でスーツの上からそれをすばやく身につけた。
「もしかして、特注ですか?」
フェイスマスク越しに、にやりと不敵な笑みを浮かべて的射はうなずいた。
「抜かりはありません」
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