第7話 頑固者

「実は半蔵さんも何度か用度部に防塵マスクの件で直談判に行ってるんですよ。でも、経理がうんと言わないんです。削れるところは削る。が、うちの社のモットーで……利益分は給料にまわすからとにかく働けという社風なんです。働き手に辞められても、給料が高ければ穴埋めの働き手は来ますからね」

「長い目で見て一番の節約は、健康で働いてもらうことなのにね」


 中央の常識を辺境でふりかざされては迷惑なんだ。半蔵の言葉が蘇る。


「だけど、身体を壊して仕事に打ち込むのは間違った美学よ。それを啓蒙、改善するのが私たちの仕事だわ」


 的射は頬を赤く染め、腕組みをしてつぶやいた。手に持った透明な袋には粉塵の付いた防御着とマスクが入っている。順平はその袋をさりげなく受け取った。


「これは、こちらで洗浄しておきます。さ、先生次の場所に」

「待って」


 先に足を踏み出した順平を、的射が止める。


「こういう業務の物品管理をしているところはどこなの?」


 順平がゆっくりと振り向いた。顔いっぱいに困惑が広がっている。


「うちの会社の場合、採用物品をとりまとめて購入するのは総務部の用度品管理課ですが、最終的に購入の可否を判断するのは経理部の財務担当です。財務担当は厳格なコストカッター。職務に熱心すぎて、人命より金勘定優先、『魂は軽く、かね白色矮星はくしょくわいせいより重い』が口癖です」

「それは、是非とも一度お会いしないとね」

「もしかして、い、今から?」


 的射は無言でうなずいた。





 半蔵さんも頑固だが、このお嬢さんはさらに頑固。加えて根回しという概念を知らない直情径行。そのうえ全身から喧嘩っ早そうなオーラまで漂わせている。名は体を表すじゃないが、『まとい』という名前の通り、江戸時代の町火消しのような気性だ。順平は心の中でため息をつく。


「先生、血の気が多そうだから心配です」

「大丈夫、喧嘩はしません。産業医は働く人だけの味方ではありません。実情を理解し、できるだけ健康的に働くための良い環境を提供できるように、会社と働く人の橋渡しをする職務です。中立的な冷静さが必要な仕事だと肝に命じています」

「それを聞いて少し安心しました」


 順平は財務にアポを取るためにブレスレットのキーを叩いた。


「それでは、財務担当のタイト・片桐かたぎり課長の所にご案内します」


 新任の産業医の面会希望ということで、あのふてぶてしい財務担当も断れなかったようだ。すぐ来るのならOKという返事がかえってきた。

 二人が通された経理部の室内は今まで見たすべての部屋で一番すっきりと整頓されていた。背の高い男が戸口で待っていて、的射を見ると静かに礼をした。


「初めまして、那須先生。私はタイト・片桐。財務担当で用度品の採用選択を行っております」


 片桐は銀縁の眼鏡を付けた、色の白い痩せた男だった。低重力で乱れるのを嫌うのか、黒髪をオールバックに固めており、むき出しになったこめかみがピクピクと動いている。それは細い目と共にいかにも神経質そうな雰囲気を醸し出していた。

 彼らは衝立で仕切られた簡易応接室に案内された。勧められた椅子に座ると同時に、的射は溶接部門に充分な安全対策が施されていないことを説明し、改善の必要性を説明した。


「はあ? あそこに強力な換気装置を設置しろっておっしゃるんですか。どれだけ金がかかると思ってるんです? 経理部長が卒倒しますよ。それに第一どこにそんな金があるんです? 社長は悠長な事を言ったかも知れませんが、辺境のご多分に漏れずここもカツカツでまわしている零細企業なんですよ。どこかに金のなる木があるのなら是非教えていただきたい、そうすればいくらでも希望通りの物品をそろえて見せますがね、ははははは」


 的射の説明を聞いたタイトは長椅子の背もたれに頭をのけぞらして乾いた笑い声を上げた。重力が低いせいで、痩せた身体が大きく浮き上がる。

 ああ、コレはまずい。順平はちらりと傍らの少女の顔をうかがう。

 的射の頬がかすかにピクっ、と動いた。


「人の命がかかっているんですよ。今の段階でヒュームの吸入を止められれば、多少肺に沈着していても人体の掃除屋細胞であるマクロファージを強化培養したものを投与することで排除できるかもしれません。だけど問題を先送りにすればするほど、早晩呼吸困難を起こしてしまい、彼らのQOL(クオリティ オブ ライフ)を下げてしまいます、もちろん寿命も短くなるんです」

「じゃあ、治療しつつ仕事をすればいいじゃないですか」

「危険な濃度のヒュームに暴露されながらでは、直しても再発して意味がありません。もちろん労働災害ということで、治療費は会社側の負担ですよ。それに職人さん達の治療期間、溶接部門はストップすることになりますがいいんですか」

「何も慌てて変えなくても、今までその状態でやってきたんだからこのままでやればいいんですよ。いいですか、先生はお若いから大義名分をふりかざせば何でも通るとお考えみたいですが、結局は会社の存続、簡単に言えば儲けが一番大切なんです」

「せめて、防護フィルターと、冷却防護服ぐらいは性能のいいものに」

「消耗品を高いものにすると、例えわずかな値段でも後々高く付くんです。現に統括AIの指示でロボット達の防塵フィルターを高性能にしただけで、結構な出費になって頭を抱えているんですから」

「でも、社員の健康が一番――」

「お嬢ちゃん、初等科の道徳は大人の世界では通用しないんです。社会はきれい事だけじゃ成り立たないんですよ」


 的射の目がつり上がる。肩が大きく上下した。


「せんせー、中立的な冷静さ……でしょ」


 順平が小声でいさめても全く耳に入っている様子はない。

 これは、まずい。噴火直前だ。


「人間を使い捨てにする気なの? 冗談じゃな――」


 顔を赤くした的射が立ち上がろうとした瞬間。


「あああああーーーーっ」


 順平は椅子から尻を引き剥がし、両足で床を蹴って思いっきり飛んだ。

 長い体がふっとび、押し倒すようにタイトの上に覆い被さる。磁力のみで固定されていた長椅子が後ろに倒れ、二人はもつれ合ってふわりと床に倒れ込んだ。


「な、なんだ、君はっ」

「の、蚤が居たっ」

「失礼な、スプレーを欠かさないこのソファーに蚤がいるというのかっ。どけっ」


 這いつくばっている順平の尻を蹴飛ばすと、目をつり上げた財務課長が怒鳴りつけた。


「もう出て行ってくれ、私には時間がないんだ」


 二人はつまみ出されるように追い出され、結局そこで談判は終了になった。

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