第8話 シュークリーム

「せ、せんせー、待ってくださいよ」


 憤然と経理部を後にする的射を慌てて追いかける順平。


「もう、あったまにきたっ」


 目の中に炎が揺らいでいるかの様な血走った目で、的射は順平をにらみつける。


「あなた、何考えているのっ。わかってるのよ、わざとでしょ。結局一番肝心な冷却機能付き防御着と、高性能フィルター付き防塵フェイスマスクの話が詰められなかったじゃないの」

「すみません。でも、あのままじゃ、大喧嘩になってました。あの人を敵に回していいことはないんです」


 的射は憤懣やるかたないとばかりに眉を大きく上げる。そして、勢いよく順平に背を向けた。


「な、何なのいったい、あの男はっ」


 確かに、完全に的射を小馬鹿にしたあの目つきは、横で聞いている順平ですら気分が悪くなるほどだった。


「まともな意見が採り上げられないって、悔しい」


 人気の無い廊下で、少女の両肩が小刻みに震える。顔に当てた手がはじいた涙がキラリと光って、ゆっくりと廊下に落下していった。


「先生」


 少女の泣き顔に、かける言葉を失って順平は傍らで立ちすくんでいた。





 順平は、一旦応接室に戻って的射に気分直しのお茶を勧めた。


「今度は紅茶でいいですか」


 残っていたシュークリームと紅茶を出す。

 紅茶を飲んだ後、遠慮もせずに少女はシュークリームにかぶりついた。


「なんだか、腹が立つとお腹が空くの。このシュークリーム、大きくて皮がふわふわね」


 鼻の頭を赤くした少女が、やっと微笑んだ。


「クリームたっぷりで美味しいでしょ。この辺境では珍しくこだわりの店なんです」


 返事もせずに的射は次のシュークリームに顔を埋めている。

 ついさっきまで泣いていたのに。

 全く、この先生は優秀かも知れないけど無類の世間知らずだ――。

 順平は困ったように微笑んだ。


「先生、物事には根回しっていうのが必要なんですよ。誰でもいきなりやってきて糾弾されれば、意固地になって反抗します。タイトだって、節約したからと言って自分に金が入るわけではないんです。視野は狭いけど、あれでも奴なりに仕事に情熱を傾けているんです。もちろん、先生に対する態度は許せませんけど」


 頃合いを見て順平がそっと諭す。

 少女は赤い目で黙ってうなずいた。

 けんか腰で談判する姿を見た後で、こんな素直な反応を見せられると、順平はなんだかほおっておけない気持ちになる。


「足は大丈夫ですか? お疲れでしょう、次は明日にしますか」

「え?」


 目を丸くして少女は順平を見上げた。今度は鼻の頭にクリームが付いている。


「明日は安全衛生委員会でしょ。今から残りを回りますよ。決まってるじゃないですか。この会社は問題が山積のようね。燃えてくるわ」


 さきほどまでの可憐な姿はどこへやら、気力を回復した熱血産業医は残ったシュークリームを口に詰め込むとさっと立ち上がった。その反動で金属光沢のある長いおさげ髪が、龍のように空中を舞う。


「立ち止まっていても物事は進展しない。前進あるのみよ」


 あっけにとられている順平を尻目に少女はさっさと事務室を出て行った。





「最終組み立てを行っている部署です」


 的射が最後に案内されたのは、長方形の広い作業場であった。

 中では充分な余裕を持って組み立てロボットが配置されている。四方を4メートルほどの高い柵に囲まれた中で、マニュピレーターと呼ばれる操作用アームを多数持つ機械が、センサーで部品を認識すると器用に掴んで、素早く組み立てを行っている。  

 よく見ると、どこの柵の上部にも手で掴んだようなゆがみがあった。たびたび柵をよじ登って稼働中のロボットの調整をしていたのだろう。

 組み立てが終わると、赤いランプが点滅し、すべるようにやってきた運搬ロボットが製品を運び出し、そして新しく未完成の製品と部品を搬入する。

 ずらりと並んだロボットが軽い音を立てながら一斉に稼働している壮観な光景。しかし、壁に近いところの機械が一台止っていた。的射はその柵に結ばれている小さな黒いリボンに目をとめる。内心の動揺をおさえるかのように、少女は深く息を吸い込んだ。


「もしかして、ここですか?」

「ええ」


 そっと順平がうなずく。


「産業医は工場内、どこでも入れる合鍵を持っていますから、夜間ご自分で稼働させて飛び込まれたようです。死因はマニピュレーターと架台に挟まれたための頭部破裂です。たまたまパトロールロボットが巡視していない時間だったようで、先生がここに入った時の状態は解らないんです」

「監視カメラは?」

「操業時しか稼働してなくて……」


 理由は金の節約だろう。的射は小さくため息をついた。


「その後、この機械は稼働したの」

「いいえ。あまりに現場が凄惨で……、さすがに誰も近寄ろうとしないんです」


 黒いリボンだけは僕が付けました。このままだと、寂しすぎるので。

 言い訳するような口調で順平はつぶやいた。

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